第3話 音の中の違和感

翌朝、合宿所の食堂はざわめいていた。陽菜は、手に持ったトレイの上のパンを見つめたまま、ほとんど口を開かなかった。昨夜眠ったのかどうか、自分でも分からない。


隣に座った同級生が声をかけてくる。


「陽菜、大丈夫? 顔色悪いよ」


「うん、大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」


嘘をついた。声が少しだけ上ずったのを、自分で気づいた。けれど誰も突っ込まない。それも、少し悲しかった。


午前の合奏が始まる。校舎裏にある練習棟、冷房の効いた空間に管楽器の音が重なる。


陽菜の担当は、トランペットの1stパート。冒頭の主旋律を任される、大事な立ち位置だった。


譜面台に目を落とす。

指が、まだほんの少し震えていた。


タクトが振り下ろされる。


♪──


出だしは問題なかった。音程もブレスも正確だった。けれど、曲が中盤に差しかかると、ふいに音の輪郭がぼやけた。


「……ごめんなさい」


小さく謝りながら吹き直す。

まわりは気にしていないふうだったが、陽菜は自分の中に生じた“ズレ”に気づいていた。


楽譜どおりに吹いているはずなのに、心と音がつながらない。


その瞬間、彼の声が、脳裏によぎった。


「野球って、むずかしいな。でも、やっぱり楽しい。」


本当に楽しそうだった?

あの投稿、誰に向けて書いたんだろう。


練習後、陽菜は一人、校舎裏の小道にいた。静かで、アスファルトの匂いが夏の熱気と混じっていた。


ポケットの中で、スマホを握る。SNSのアカウントを開く。


浩一の最後の投稿には、やはり「いいね」がひとつもついていない。アカウント自体も、ほとんど放置されていたようだった。


そのとき、不意に背後から声がかかった。


「見てたのか、浩一のやつ」


振り返ると、晴翔が立っていた。制服の袖をまくり、顔は汗で湿っている。


「……知ってた? あの投稿」


「うん。見てた。でも……なんか、コメントしづらくて」


晴翔は俯いたまま言う。


「俺も今さらだけど、ちょっと引っかかっててさ」


「何が?」


「浩一の家、川に行くときは絶対親に言うルールだったんだよ。小さい頃、危ない目にあってからさ。だからひとりでって、ちょっと変だなって」


陽菜は息をのんだ。


初めて聞く情報だった。事故とされていた彼の死に、“矛盾”が生まれる。


陽菜の中で、音の乱れがさらに大きくなった。

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