第2話 壊れた拍子
陽菜は、頭のどこかで「聞き間違いだ」と思おうとしていた。グラウンドに響く部活の掛け声、吹奏楽部のチューニング音、夏の蝉の声が、まるで“現実逃避のためのBGM”にしか聞こえなかった。
「浩一が……?」
耳の奥で、自分の声が遠く響いた。思わず一歩、後ろに下がる。地面が揺れたわけでもないのに、足元が不安定になった。
晴翔は目を逸らさなかった。ただ、苦しそうに、ゆっくりと頷いた。
「事故……だってさ。河原で、ひとりで溺れてたって」
言葉の端に、何かを飲み込んだような重たさがあった。表情を変えずに話すその顔の奥に、何かを隠しているような気がした。
陽菜は言葉を失った。
心臓の奥の、柔らかくて繊細な場所に、冷たい針が突き立てられたようだった。
彼の顔、声、笑い方、ふいに見せた照れた表情。あのときの拳。野球帽の影。焼けた肌。——全部が、一瞬でよみがえった。
それなのに、そこに“死”という言葉を重ねることが、どうしても現実として受け入れられなかった。
「なんで……今まで、誰も教えてくれなかったの?」
そう絞り出した声には、怒りとも悲しみともつかない色がにじんでいた。震えているのは声だけじゃない。足先、指先、自分という輪郭そのものがぐらついていた。
「俺も、最近知った。中学も高校も別だったし……。でも、聞いたとき、真っ先に陽菜の顔が浮かんだ」
その言葉だけで、陽菜の中のなにかが静かに崩れ落ちた。
泣きたかった。けれど、泣いてしまったら、彼の死が本当になってしまうようで、怖かった。
だから、ぎりぎりのところで涙を堪え、笑顔でも泣き顔でもない顔で、ただ言った。
「ありがとう。……教えてくれて」
それだけ言って、陽菜はグラウンドを離れた。
背中に残る、晴翔の視線を感じながら。
楽器ケースを持つ指先が少し震えていた。吹奏楽部の仲間たちの笑い声が遠くで弾ける。それが別の世界の音に思えた。
その夜、合宿所のベッドの上で、陽菜はスマートフォンを見つめ続けた。
久しく開いていなかったSNSのアカウント。あの頃の仲間とのグループ。既読も返信もつかないトーク履歴。
名前だけが、画面の中に静かに並んでいた。
ただ、ひとつだけ。
浩一の投稿が、死の一ヶ月前に更新されたまま残っていた。
「野球って、むずかしいな。でも、やっぱり楽しい。」
短い一文。その下には、誰も「いいね」も「コメント」も残していなかった。
まるで、見ないふりをされた投稿。
陽菜は画面を閉じて、毛布の中に体を丸めた。
音楽高校に来てから、自分が“感情に振り回されるタイプじゃない”と思っていたのに、
今はただ、何も考えられなかった。
目を閉じても、まぶたの裏には、夕焼けの校庭があった。
拳を突き出したあの日。夢を語った声。全員が笑っていたあの夏。——そして、そこにいた浩一が、今はどこにもいない。
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