あの夏、嘘と祈りと

遠野 碧

第1話 夕焼けの約束

その日、空は燃えるような朱色だった。風が田んぼを撫で、遠くからカエルの鳴き声が重なり合って聞こえてくる。全校生徒わずか十五人の小さな分校。夏休みに入ったばかりの午後、裏山の広場には五人の子どもたちが集まっていた。


ドッジボールで遊び疲れたあと、倒木に腰掛け、みんなでジュースを回し飲みしながら、息を整えていた。


「ねえ、将来ってさ、みんなどうなってると思う?」


ぽつりと陽菜が言った。


「どうって?」


「なんか、大人になってる自分が想像できないっていうか……」


「だったらさ、夢とか決めといたら?」


浩一がそう言って、空を見上げた。


「……じゃあ、せっかくだし順番に言ってみようぜ。夢、なにかって」


「いいね、それ」


「俺からいく!」


勢いよく立ち上がって、野球帽を脱いだ浩一は、真っすぐな目で言った。


「俺は甲子園!絶対出る!」


誰よりも走るのが速く、誰よりも投げる球が重かった浩一。その言葉には、冗談が一切なかった。


「私は、小学校の先生になる。ここで、未来の子どもたちを教えたいの」


やわらかく微笑んだのは、いとこの美緒。眼鏡の奥の瞳はいつも真剣で、字を書くのがうまかった。


「陽菜は?」


誰かに促されて、主人公の陽菜は少しだけ照れながら口を開いた。


「トランペットで、全国大会に行きたい。あの、普門館ってところ。お母さんに教えてもらって、憧れてるんだ」


それを聞いた仲間たちは一瞬黙ったあと、満場一致で拍手した。


「かっけぇじゃん!」

「音楽、いいなー!」


「俺は警察官。悪いやつ、ぜんぶ捕まえる」


短く言ったのは、無口な晴翔だった。竹の棒を背にして、まるで小さな剣士のように立っていた。


「えーっと……じゃあ、僕は……」


一番年下の優翔が手を挙げた。彼は、まるで世界が全部味方に見えるような、あどけない笑顔で言った。


「絵本作家になりたい! 動物いっぱいの、楽しい絵本描くんだ!」


ふと見上げた空には、星がにじみ始めていた。


「なんか、みんなの夢聞けてよかったな」


陽菜が言うと、誰かが言った。


「このメンバーのまま、大人になれたらいいのに」


「またさ、学校終わったらここに集まって遊ぼうぜ」


「毎日でもいいよね」


全員が笑ってうなずいた。


五人の右手が空に突き出され、言葉はいらなかった。ただ、ぎゅっと握った拳が、夏の空を突き抜けた。



季節は過ぎ、年月が流れた。約束は、時とともに風化し、やがてある出来事によって断ち切られた。


いとこの両親の離婚。


美緒は母親に連れられて、町を離れていった。


それ以来、誰とも会っていない。


主人公——水川陽菜(みずかわ・ひな)は、今、高校二年生。


トランペットの特待生として、地方の名門音楽高校に進学した。


その日、夏の練習合宿の初日。陽菜は校内のグラウンドで、見覚えのあるシルエットに出会う。


「……え?」


振り返ったのは、警察官を夢見ていた——晴翔だった。


「久しぶりだな、陽菜」


声変わりを経て低くなった声。それでも、すぐにわかった。


でも、再会の喜びより先に、彼の口から出た言葉が、陽菜の世界を暗転させた。


「浩一……死んだんだ。去年の秋に」


夕暮れよりも早く、心に闇が訪れた。

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