第31話 エピローグ


 少し横になるという鷹尾の寝姿を見物していた湯村は、子どもの声が聞こえて離れの窓をあけた。中庭の池をのぞきこむ少年と、そばにいて注意をはらう成川の姿がある。湯村も、靴を履いて外にでた。


「あっ、透おにいちゃんだ。こんにちは!」


「話はすんだのか」


「こんにちは。はい。鷹尾さんは少し休んでいます」


 少年と成川を交互に見て返事をする。もう、男の子の正体は気にならなかった。池の水底が、きらきらと光っている。顔をあげて湯村に飛びつく少年は、「おめでとう!」と、うれしそうに笑った。


「ぼくね、透おにいちゃんなら、春馬さんを見つけられると思ってたよ。えへへ、あえてよかったね」


「ありがとう。見つけたのは成川さんのおかげもあるけれど……」


 少年のかたわらで成川がいう。「このチビは春馬の甥っ子だ」「ぼく、春馬おにいちゃんの恋人がどんなひとか気になって、透おにいちゃんを見つけにいっちゃった」「春馬から聞かされたンだとよ。オープンキャンパスで、湯村透という美人に逢ったことをさ」


「そうだったんですね。(ぼくが美人? 鷹尾さんは、あのときからぼくのことを?)」


 ふたりの心が通じあった理由は、これから少しずつ判明してゆくだろう。共に過ごす時間は、充分残されている。鷹尾のもとへたどりついた湯村は、正直な生き方を模索した。


「長居は無用だ。帰るぞ」


 成川にうながされて屋敷をあとにする湯村は、門扉で離れのある中庭をふり向き、小さく頭をさげた。そこへ、母屋の玄関がひらき、鷹尾の母らしき人物が顔をだした。成川と目があい、「あら、市弥くん。いらしてたの」と声をかける。信用のおける息子の友人といった口ぶりで、成川や甥っ子の来訪に驚くようすはない。ただ、見知らぬ顔の湯村がまざっていたことで、かすかに眉をひそめた。挨拶をしておくべきか迷ったが、女性のほうで笑みをつくり、離れの息子を見舞いにゆく。きれいな立ち姿だった。


「あのひとは、まゆ美さん。春馬の、ふたり目の母親だ」


 成川のことばに、湯村の表情が翳る。人知れず、悩みや事情をかかえて生きるものは、なにも湯村だけではない。気まぐれで陽気な成川でさえも、口をつぐんで語らない秘密のひとつやふたつ、かかえていると思われた。今は無邪気な少年も、おとなになるための試練を、いくつも乗り越えてゆかねばならない。鷹尾が病院の設計図を書いた理由も、幼いころに祖父を看取った経緯に由縁するが、悲しい記憶は封印してあった。今になって思いだしたのは、大切にしたい相手と出逢ったからだろうか。


「なんだか、まだすっきりしないような……」


 少年を見送って駅へ向かう途中、湯村がそうつぶやくと、成川に脇腹を突かれた。


「春馬が元気になれば、すっきりさせてもらえるさ。いろいろとな」


「大学には、いつもどれそうなンですか」


「予定では十月からだ。おれとちがってあいつは優秀だから、四年の後期をやりなおすだけだ」


「成川さんは、親友の鷹尾さんといっしょに卒業するために、わざと留年したのですか?」


「考えすぎだ」


 くすッと笑う成川は、時間に正確な電車に乗って大学のある町まで引き返してくると、「やるよ」と鍵を差しだした。


「なんですか」


「離れの鍵だよ。まゆ美さんにはないしょで、春馬からあずかっていたんだ。もう、おれには必要ない。おまえが持っていたほうが使い道があるだろう。たとえば、あいつの就寝中に忍びこんで、抱いてもらうとかさ」


「またそうやって、ばかなこと云って……」


「じゃあ、いらないのか?」


 成川は合鍵をちらつかせ、湯村に最終判断を迫る。山ほど反論したい気分だが、湯村は「あずかります」といって、成川の手から合鍵を受けとった。少しでも、鷹尾とのつながりがほしかった。ひとりでいることに慣れていたはずなのに、自ら他者にかかわろうとする選択は、成川を感心させた。



「おれたちは、似た者同士かもな」



 という成川と別れて帰路につく湯村は、託された鍵をにぎりしめた。バス停の待合室に、迷い猫が丸くなっている。湯村はクロスケと名付け、その後の四年間を、彼のいるバス停から好きなひとがいる大学へ向かった。



✦おわり

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[BL]めぐりくる心の名において み馬下諒 @tm-36

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