第22話 第1節 アンデッドと突きつける現実

 また、言えなかった。


 何度、私は繰り返すんだろう。もう、いい加減、自分が嫌になる。


 こんなに愛おしくて、一緒にいると幸せな人なのに。

 誰かに取られたくないと思う人なのに。


 ──きっと、この想いを、受け止めてくれる人なのに。


 どうしても、恐い……。


「大丈夫、大丈夫。ふたりにはいっぱい時間あるんだから、いつか言えるよ」

「うんうん、むしろこんなドキドキするのは今だけだよ。楽しむくらいでちょうどいいって」


 しょぼしょぼ講堂に戻ってきた私を、既婚(!)のアンデッドが慰めてくれた。ほかの人たちも「ナイスファイト」「また次頑張ろう」と声をかけてくれる。


 ──私の恋はファデロウがバラしたせいで、アンデッドの中では周知の事実になっていた。この採点期間中も、別の裏イベントとして盛り上がっていた。


 夜、リアが眠そうに小部屋に行くたび「寝ちゃうよ!」「おやすみ言いにいけ!」と言ってきたり、リアがルヴさんに甘やかされていると「なんか抱きついてる!」「三角関係かも!」と服を引っ張られたりした。


 そういう感じは嫌ではなく、むしろ新鮮でドキドキしたけど……今日みたいに、うまくいかなかった時にはひどく申し訳なくなる。


「みんなが集まってることを、逃げる言い訳にしちゃった……」


 思わず涙が出てしまった私を、わっ、とアンデッドたちが取り囲み、どうしてそこまで? というくらい優しい言葉をかけてくれる。それがとても心地よくって、でも、すごく悔しい。


 ……リアも同じなのかも知れない。


 年上のエルフに甘やかされたくない、と言っていたくせに、ルヴさんには会うたびに子どもみたいに甘えてて、よくわからないと思ってはいた……でも、甘えたいと甘えたくないは両立するんだと思う。この葛藤の中で、人と人は通じ合って、成長していくんだ。


 だとしたら、リアと、私も──。


 ……なんて思いつつ、アンデッドたちとあれこれ話しているうちに夜が明けてきた。


 いよいよ最終日。

 出勤してきたリアや職員さんたちと合流して、最後の準備に取り掛かる。


 機構から派遣された調査員と検収官はお昼前に到着した。

 調査員は目つきの鋭い人間の女性で、検収官は糊の効いた背広を着込んだ──ゴーレムだった。

 岩のような身体を持ち、魔法を駆動源とするこの種族を私は初めて見た。もとは戦闘要員だったところ、彼ら自身の努力により超高度な情報処理能力を獲得し、あらゆる事務現場で重宝されているらしい。


 続いて、クラリスとメレジーも姿を現す。当事者としてばれたようだった。


「現実を受け入れられず余計な公費を注ぎ込んで……呆れたことね」


 二週間で終わるはずがないとたかをくくっているのか、クラリスは角の先をいじりながら挑発してくる。一方、メレジーは無表情で一言も喋らなかった。


 私たちが静かに火花を散らす間に調査員が入ってきて言った。


「双方の主張は確認しました。真偽を確かめるため採点内容を検めたいのですが、まずは前提として、原告のオーダイト国、採点は完了していますか? 全件完了が要件ですので、未完了ならば内容に関わらず機構クラリス側の採点結果を受理します」

「完了しています」


 リアが答え、総合採点票を提出する。調査員は受け取って目を通した。


「これが虚偽であった場合、即刻却下しますのでそのおつもりで。では、検収官」

「はい」


 検収官ゴーレムはうなずくと、倉庫に向かった。そこで無作為に木箱を選び出し、会場へと運び込む。


 全体の一パーセント、一万件をその場で適当に選出し、採点が適切かどうか判断する。


 クラリスはこちらの採点が終わっておらず、それだけ大量にめくれば一枚くらい未採点のものが出てくると見込んで、余裕をかましているんだろう。未採点答案が見つかればその時点で精査は中止となり、自分たちの採点結果が採用される。


 まあ、あいにくとそんなものはないんだけど。


「品質精査を始めます。よろしくお願いします」


 検収官は挨拶をすると、解答用紙をものすごい速度でめくり始めた。

 その圧倒的な光景に私は見とれた。すごい。採点に最適化したゴーレムはアンデッド以上に適正があるかも知れない。負けた気分だった。


 査収済みの木箱が積み重なるにつれ、クラリスの表情に陰りが見え始める。一向に未採点の答案が出てこないからだろう。当たり前だ。だって、本当に全部つけたんだから。


 あとの懸念は……このゴーレムさんに、クラリスの息がかかっていないかどうか。


「品質精査完了しました」


 やがて、検収官はそう言ってペンを置いた。

 差し出された精査票を調査員が受け取って目を通す。リアが固唾を飲む音が聞こえる。


「……ふむ。やはり」


 調査員は気落ちしたように私たちの方を向いて言った。


「二週間では終わらせるだけで手一杯のようで」

「えっ……」

「機構側の、二ヶ月半かけた採点の方が遥かに正確だと結果が出ています」


 私は絶句した。まさか、本当に仕掛けてくるなんて──。


 思わず、リアの方を横目で窺う。

 端正で澄ました横顔……だけど、きっとその内側には激烈な動揺が走っていて、それを表に出さないよう、必死に抑え込んでいるのだと私にはわかった。

 その静かで激しい努力の様子に、私は胸を強く締め付けられた。


 許せない──。


 ぐらぐらするほどの怒りと共に、クラリスの方に目を向けた私は……一瞬、今がどういう状況なのか、見失ってしまった。

 なぜかクラリスもメレジーも驚いた顔をしていた。


 ……なにか、おかしい。


「結果を拝見してもよろしいですか」


 私は咄嗟に言って、調査員から精査票をもらって目を走らせる。

 確かに、印刷したように端正な記号で、私たちの採点がどれだけ間違っているかを暴き立てている……けど。


「あの、これ、もしかして……書く欄が逆ではないですか?」


 そう言って私は調査員に示す。「え、どういうこと?」と検収官もこちらに寄ってくる(無骨に見えたのに、案外人間臭くて驚く)。


「この用紙だと、上が機構で、下がオーダイトの確認欄になっていると思うんですけど、採点票は作業の都合で、上がオーダイト、下に機構、っていう風に重ねていて……」

「あ、そうなの?」


 検収官はびっくりした声で言うと、木箱からひょいと採点表を一組取り上げて確認する。


「……ホントだ! 対応してるのかと思って、そのまま上下書いちゃった」

「つまり?」


 調査員が鋭い視線で検収感を見る。検収官は頬をキイキイと掻いて言った。


「逆でした。二週間の方が正確です」


 その瞬間、私の隣でリアが目を見開き、それから満面の笑みを向けてきた。


「やった、サイル!」

「うん……!」


 私たちは机の陰で手を合わせる。ぱちっと触れた彼女の輪郭に、私の中で喜びが弾ける。

 良かった……勝ったんだ、私たち!


「……驚きですよ。百万枚を二週間でつけきるなんて……一体、どんな魔法を使ったんです?」


 さしもの調査員も驚きの表情をしていたが、ふと今の役割を思い出したのか、わざとらしく咳払いをして、クラリスの方を向き直った。


「あなた方が不当な採点を行っていたことが判明しました。よって、われわれはオーダイト側の主張を全面的に認め、クラリス・クレイ及びメレジー・スレイグ両名は、他国の採点を紊乱びんらんし不利益を与えようと目論み、また、機構の信頼を貶めたとして、機構より除名処分、また、オーダイト国に対し、その損害を賠償することを命令いたします」

「な……なんで!」


 下された厳罰に、クラリスはいきって立ち上がった。


「こんな小娘たちが、たった二週間で百万枚、正確に採点できるわけがないでしょう!」


 今までなにを見ていたのか、錯乱したクラリスの言葉に、リアは悠然とした態度で返す。


「それが現実ってことです」


 いつか、クラリスに言われた台詞だった。

 この意趣返しに、クラリスは大いに食らったみたいだった。


「こ、こいつら……今まで世話してやった恩を忘れて……片田舎の島国風情が生意気な! ああ、ずっと生意気だった! 夫の事業が傾いて、クラフデンが凋落ちょうらくしている時も、悠々として! はっきりわかった。こういう恩知らずな国のせいでクラフデンが傾いていくんだわ。ああ、クラフデンこそ世界で一番優れた先進国だったはずなのに、お金も、仕組みも、技術も、全部こうやって奪われて……なにもなくなってしまう!」


 しくしく泣きむせぶクラリスに、リアは堂々と告げる。


「奪うって、オーダイトに学校を売り込んできたのはクラリスさんですけどね」

「う──うるさい! 恥知らずが!」


 理不尽な罵声。もうそこには、クラフデン国民であるというプライドしか残っていない。

 リアは目を伏せると、悲しそうに言った。


「……変わっちゃいましたね、クラリスさん。前は厳しくしつつも、なんだかんだ学校のことを真剣に考えてくれてて、好きだったのに」

「なにを大人ぶって……あんたもいずれわかる。なにもかも失われていく、この屈辱をね!」


 クラリスの悪態は全て調査員によって記録されていた。きっと、賠償額を決定する場で不利に働くだろう。一言も話さなかったメレジーは賢明だったのかも知れない。


 まあ、今後のことは治部と議会の仕事だ。


 私はもう、リアを傷つけたクラリスの命数になんの関心もなかった。

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