第21話 第2節 エルフとその日の終わり
そして、九日目の午後。最後の答案の木箱が閉じられた。
「終わりーーーですっ!」
わたしのあげた喜びの声に、おおっ、と会場が湧きたった。それから拍手が起こる。ぱちぱちぱちと降り注ぐ祝福の音は、恵みの雨のようにわたしの疲れ切った心によく沁みた。
「みなさん、本当にご協力ありがとうございました。こんなにたくさん助けに駆けつけていただいて……改めて、いろいろな人の協力があって、子どもたちが学校に通えているんだと実感しました。引き続き、よい学校環境のために、ご助力お願いいたします!」
そう挨拶をして締めた後、わたしは出入口に立ち、ひとりひとりに感謝を告げて見送った。
「お疲れ様でした」「お祭りみたいで楽しかったです」「一緒に働けてよかった」なんて、嬉しい言葉をかけてもらってしまい、ずっと涙ぐみっぱなしで恥ずかしかった。
「リアちゃん」
そんな中、聞き慣れた声がした。見ると、帽子を目深にかぶり口元を布で覆った人がいる。確か、ずっと採点に参加してくれていた人だけど……? と思いつつ挨拶を返す。
「あ、えっと、ありがとうございました」
「ふふ、私がわからない?」
「え?」
その人は帽子を脱ぎ、口の覆いをとって、アップにしていた髪をほどいていく。
現れた姿を見て、わたしは仰天した。
「ルヴさん! 嘘、交じってたの! 気づかなかった!」
つい嬉しくなってきゅっと抱き着いた。懐かしい感触と香り。森に帰ったような安心に包まれる。
ルヴさんはそんなわたしを優しく抱き返してくれた。
「ずっと見てたよ、リアちゃんが頑張っているところ……もう、すっかり立派なエルフになっちゃったんだね」
えっ……わたしはぽかんと、ルヴさんの顔を見つめてしまう。
「わ、わたし……本当に? 一人前になった?」
ルヴさんはまるでお母さんみたいな表情を浮かべて、わたしの頭を撫でた。
「うん。リアちゃんはもう、大人よ。もうかわいがるのが恥ずかしいくらい」
ずっとずっと聞きたかった言葉。
ずっとずっと目指していたところに、ようやく辿り着いた──。
「ほ、ほんとに? やったあ! ルヴさんが認めてくれた! 嬉しい! ありがとう!」
わたしは今すぐ走り出したいくらいの高揚感に包まれて、もう一度ぎゅっとルヴさんに抱き着く。
「うんうん、よかったねえ、よしよし」
「えへへ、へへ、ルヴさん、大好き!」
「ああ、もう、リアちゃんってば、本当にかわいい~♡」
「リア」
サイルの声がした。わたしははっと我に返ると、ぱっとルヴさんから離れる。「あら……」と残念そうにされるけど、危ない危ない、なし崩し的に甘やかされるところだった。
「な、なに、サイル」
「まだ集計が残っているから、そろそろ……」
サイルはルヴさんに会釈しつつ言う。
「ふふ、邪魔者はここで退散かな。じゃあ、またね、リアちゃん、サイルちゃん」
ルヴさんはやたらにこにこ顔で去っていった。
……なんだろう、初めて見る、含みがあるような表情だった。
もしかして、わたしがサイルのこと好きなの、バレてる?
……いやいや、そんなわけない。切り替えよう。
これから集計を行って、今度こそ本当のオーダイトの成績を出して、機構に納品する。まあ、このあたりはアンデッドさんたちに任せればあっという間に済むはず。
ただ、その先が問題で、こちらには機構所属の保証人がいないことだった。
保証人のサインがなければ、正式な採点としては認められない。それを、クラリスさんやメレジーさんに頼むなんて論外だった。
そこで、わたしは思い切って機構に「機構所属の人に採点を任せたらめちゃくちゃにされてしまった。改めて採点し直すので、これを確かめる別の人を送って欲しい」という手紙を出した。
返事が届いたのは三日前。あまりないトラブルということで、どちらの採点が正当かを確認する検収官と、経緯を詳しく知りたいので調査員を派遣してくれるとのことだった。
──そうして、その日の深夜、集計が終わった。
再採点の成績はメレジー採点よりもはるかに高水準を記録し、わたしたちはようやく人心地つくことができた。あとは、調査官と検収官が承認してくれればいいんだけど……。
「大丈夫かな……」
わたしは呟いた。夜の街、隣を歩くサイルがわたしの顔をのぞきこむ。
「検収官がクラリスの味方をするんじゃないかって?」
「うん。やっぱ、一度裏切られちゃったから」
「もう一回裏切られたら、世界なんかその程度だったってだけのことだよ」
サイルがさらっとした調子で言うので、わたしはおかしくなった。
「世界なんかその程度……ふふ、いいね。なんか」
「でしょ」
笑い合っているうちに宿に辿り着く。実は十日間分確保していたけど、向かう体力も時間も惜しくてずっと現場で寝泊まりしてしまっていた。
「それじゃ、おやすみ」
サイルは、講堂をアンデッドさんたちに開放しているのでそちらに合流する。何十年ぶんもの積もる話もあるだろうし、そうすると思っていたんだけど。
「あの……私も一緒に泊まっていい?」
おずおずとそう訊いて来た。
「え? アンデッドさんたちと過ごすんじゃないの?」
「……でも、リアが、不安かと、思って」
ああ、さっきわたしが心配を口にしたから……その健気さに胸がときめいてしまう。
「さっきサイルに打ち明けたら平気になったよ。それより、アンデッドさんたち、次いつ集まれるかわからないんでしょ。行っておいでよ」
行きやすいようにとそう言ったけど、サイルはその場から動かない。
なんだろう……と思って、こういう場面が過去、何度もあったとすぐ思い至る。
この雰囲気。
いつか泉のほとりで見たサイルの、知らない表情、知らない感情──。
ううん、違う。
今のはわたしは知っていた。この表情も、その向こうの感情の正体も。
そっか、そうだったんだ。
それは、きっと──わたしの心にあるものと同じ形をしている。
そうと知れた瞬間、急激に、胸の鼓動が高まった。
彼女の伏せた睫毛。
呼吸で揺れる細い肩。
そのひとつひとつが、わたしの視界を彩って、跳ね回る。
なにかの予感がキラキラと、わたしの中で飛沫をあげていた。
わたしは何度も心の中で言う。
サイル、はやく、言って……。
わたしと、一緒にいたいって──。
「……うん、そうする。私、戻るね」
長い沈黙の後、サイルは小さく言った。
わたしは夢から覚めたように、夜の暗がりに戻される。
「え……あ、うん。えっと……気遣わせてごめんね。また明日ね」
サイルはいつもの表情に戻ると「また明日」と告げて、元の道に戻った。
残ったのは、やたら速い胸の鼓動と、怖いくらいの寂寥だった。まだ間に合う。まだ、その背中に追いつける。そう思った。でも……できなかった。
こんな衝動のために、サイルが他のアンデッドさんたちと過ごす時間を奪えない。
わたしは宿の部屋に入ると、もそもそと寝床に入った。
数日ぶりにひとりで過ごす夜。その静かさは、しんしんと寒いほどだった。
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