第19話 第1節 エルフと最後の総仕上げ

 今すぐ抱きついて、キスしたい。


「リア……大丈夫?」

「あ、ごめん、ぼーっとしてた」


 あられもない欲求を完璧に隠した笑みで、わたしはサイルに応える。

 お昼に入った馴染のお店。向かいに座るサイルは指についたパンくずを拭いながら言った。


「緊張するのもわかるけど。みんな、きっといい成績出してくれるよ」

「うん、わかってる。心配はしてない。でも、どうしてもね」

「十五年分の総仕上げだからね」


 まさに今、全世界共通テストがあらゆる学校で執り行われているところだった。


 わたしは落ち着いているように見せて、内心どうしようもなく不安だった。採点結果が出るのは三か月後だとわかっているのに、食事も喉が通らない。無理して飲み下している。


 こういう時、これまでのわたしならサイルに本音を打ち明け、甘えるようにしてやり過ごしてきたわけだけど、今のわたしがそうすると、ますますサイルのことが好きになってしまいそうで、いつか我慢できなくなる時が来るんじゃないかって怖くなった。


 だから、ここ数年はサイルへの依存度を下げるように頑張ってきた。この下心を知られないように。つい口走らないように。仕事で関わる人と同じような態度でいれば、かなり余裕を持って接することができることもわかった。


 ただ……そうやって欲求を封じ込めた反動で、わたしの中のサイルへの感情はどこまでも激しくなっていった。


 今も不安を誤魔化すために、無性にサイルに触れていたいし、その唇にわたしの唇を重ねたくてしょうがない(こう表現するとかなり気持ち悪くてびっくりする)。


 苦しい。こんな思いをするなら、本当の気持ちなんか気づかなければよかった。


 まあ──わたしが欲を閉じ込めているおかげで(?)、例の共通テスト事業は無事、実施にこぎつけている。


 クラリスさんにこの話を持ちかけられた翌日、わたしはすぐに二日酔いのロクシル新行政官を介して議会に話を通した。

 しばらくして、この共通テストの結果が世界的標準に到達していれば、満を持して「学校法」を制定し、学校制度の完成と見なすという結論を下してきた。


 これはちょっと嫌な形だった。


 わたしとしては、もう「教師の教師」供給も安定してきているから、学校制度は成立していると見なして「学校法」自体は決めていいと思っていた。共通テストは後付けの評価という位置づけで、今後の指標にするだけ。


 けれど、治部は共通テストの成績を「学校法」制定の条件にしてきた。その報せを見た時、そうだった……と膝から崩れ落ちそうになった。

 お役人はどこまでも格式や権威を求める習性だった。


 もし共通テストの結果が水準に届かなければ、「学校法」制定のチャンスは次回実施の五年後になってしまう。その期間で綱要や授業方式の見直そうね、というわけだけどそれにしたって長い。


 だから、絶対に今回で決まってほしい。


 議会が承認してすぐに共通テスト事業部が立ち上がり、クラリスさんの選定したメレジーさんという人が責任者として赴任してきた。

 人間の男性で、側頭部を刈り上げて前髪を上品に分けた、独特の髪型をしたその人は、なんというか──仕事はやってくれるけど反応が遅い人だった。


 わたしが気になることがあって訊ねると、決まってこう言う。


「あ~、ちょっと今すぐ言えないんで、後で確認してから伝えますね」


 後で、というのにはむらがあって、返事には二日後から一週間くらいのばらつきがある。どれだけ催促しても報告も少なく、状況を確認するのにひどく手間取り、わたしが実態を把握しきるのはほとんど無理だった。


 いくら伝えても改善されないので、クラリスさんに相談すると「嫌なら辞めさせていいけど」と不機嫌になる。彼に経験値があるのは確かなので、本当に連れて帰られたら困る。わたしたちはとにかくやきもきするしかなかった。


 そんな感じで準備期間も過ぎ去り、ここから本番を迎える。


 五十万人分の採点……それも「読み書き」と「計算」の二科目なので百万件にもなる。これを三ヶ月後までに採点して統計を取り、機構に提出しないといけない。


 ろくに味もわからないままお昼を終えて教研部に戻ると、ちょうど問題冊子が届いていた。ずっと部外秘だったのが、ようやく解禁になった。わたしたちにも漏らさないというのだから、徹底している。


「一応、全部オーダイトで教えてる内容ではあるね」


 一緒に目を通していたサイルが言う。


「うん。だけどやっぱり過年度と同じく記述式が多めかな。どうしてこうなのか考えて書け、みたいな。これに慣れてない子は苦戦しそう」

「いろんな書き方してくるだろうけど、ちゃんと期日までに採点できるかな」

「間に合わないのは論外だから、その辺りちゃんと確かめたいけど……採点してるところ、ちょっと遠いんだよね」


 百万件分の答案を保管するのと三百人の作業場所を確保するために、採点会場は人口と土地の豊かな首都近郊と平地部の境界あたりに設けられている。学校ほどひょっこり顔を出せる場所じゃない。


 なので、わたしはテスト事業部に行って、メレジーさんに声を掛けた。


「メレジーさん、教研部でも採点進捗を管理したいです。中間集計を報告してもらえるようにしてもらえると助かるんですけど」


 すると、メレジーさんは「いや~」と渋い顔をして前髪を振った。


「回答の量想像したことあります? この部屋が埋まるくらいの紙束が、どかーーーーってあるんですよ。そんな量をさばきながら集計していくのに、途中でどうなってるかなんて把握できませんよ」

「成績はそうかも知れないですけど、何枚つけ終わったかくらいはわかりますよね」

「わかりますけど、その報告のために数えるんですか? それに手数割くくらいなら、一枚でも多く答案めくったほうがいいですよ」

「忙しいのであれば、こちらで確認しにいきますけど」

「それは本当にやめてください! 過去に勝手に視察に来た役人のせいで、答案を紛失してしまったことがあるんです。自分らからすればたかが一枚の答案かもですが、その生徒にとってはたった一枚の答案なんですよ」


 話せば話すほど下唇を突き出したくなる衝動に襲われたので、ほどほどに切り上げてサイルのもとに戻った。


「現場を知らない上層部を必死で説得するオレ、って顔された」

「あの人、いつもだいたいそうだよね」


 サイルはさらっと言う。欲しい言葉をくれる彼女が好きすぎて、抱きついて撫でてもらいたくなるのをこらえるので必死だった。


 まあ、実際、わたしは現場を知らない上層部ではあるし、メレジーさんの言い分も筋が通っているように感じたので任せるほかない。わたしはそう自分を納得させると仕事に戻った。

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