第三部 十四年目~事業終了
第18話 第1節 アンデッドとこの先のこと
教研部と議会の中継役を務めてきたパンドン行政官が、ついに退官されることになった。持病の痛風が悪化したので平地地域の故郷に戻り、余生を過ごすそうだ。
「ええ~、この事業も足かけ十五年ですか。たった一校から始まり、今では普通学校も整備され、オーダイトのほぼ全域に、平等に教育が行き届くようになった。後は、これまでの知見を集めた『学校法』の制定が成れば、すべてが完成となります。最後まで見届けられないのが心残りですが、みなさんなら必ずや、やり遂げると信じております。ありがとう」
お高い料理屋を貸し切って行われたお見送り会、パンドン元行政官はそう挨拶した。
足かけ十五年……実際は十四年と少しで、キリをよくするためにそう言ったのだろうけど、もうそんなに経ったのかと私は感慨に耽る。
職員も三分の一程度が入れ替わり、初期メンバーも中年・壮年の顔つきになっている。立ち上げ期は若かった子も家族ができ、子どもができ、つい最近に高学校を卒業したとか。それだけの年月が、この事業とともに過ぎてきた。
顧問のクラリスさんも随分と風貌が変わったと思う。立ち上げ初期はバリバリと働き、私やリアをこき使っていたのに、今はすっかり痩せて性格も丸くなったように感じる。
「またクラリスさんのお宅でパーティにしたかったんですけどね」
同席しているリアの言葉に、クラリスさんは角をカリカリ掻いて、疲れたように言った。
「あの家は売ったから、もう無理ね」
「え! 売っちゃったんですか?」
「旦那の事業の資金繰りでね……まあ、ここの地価もずいぶん上がったし、オーダイト貨幣も堅調だから利ざやは悪くなかったよ」
買った値段より高く売れた、ということだろうけど、私には強がりに見えた。
伝え聞いた話によると、クラフデン経済は低迷しているらしい。あれほどの先進国であっても試練の時を迎えるとは、時間の濁流は容赦がないのだと身に染みる。
一方、長命種の私とリアは全く変わりがなくって──と言いたいところだったけど、いつの頃からか、リアも変わった気がする。うまく言い表せないけど、物腰が落ち着いてきて、エルフのオーラ相応の振る舞い方をするようになっていた。
「サイル、グラスが空だね。なにか取ってか?」
「あ、大丈夫。ありがと」
そう答えると、にこっと笑い、クラリスさんとの会話に戻る。
……少し前までのリアなら、こんな気遣い見せなかったよね、と思う。
学校事業に終わりが見えるようになって私たちは、目下の仕事の話題や、参加する会合、委員会や宴会の段取り、人の噂みたいな、その場限りの話ばかりするようになった。
いつかのような喧嘩をすることもなければ、知らない面を知ってドキドキすることもない
もちろん、これはこれでいいんだけど……なんというか、刺激が足りないな、と思うこともままあった。
それなら、未だに燻っているリアへの想いを伝えればいいのかも知れない。
でも、何年も前に、最高の状況が訪れたにも関わらず、伝え損ねてしまった私に、毎日毎日、同じようなことを繰り返すだけの生活の中、そんな機会が訪れるはずもなかった。
「もう学校法の草稿が仕上がる頃だろうけど、学校の完成を国際的にアピールするためにも、つけられる箔はつけといた方がいいと思う」
見送り会が宴会に変わりつつある頃、クラリスさんが仕事の調子でそんな風に話し出した。リアが真面目な顔つきになる。
「箔ですか」
「そう。教育水準はその国を測る指標のひとつ。まともに教育が機能している国って評判がないと、外国の優秀な講師も呼べないし、留学提携先を見つけるのも難しくなるでしょう」
それと、クラリスさんの教育顧問としての実績を作りたい、というところだろうけど。
「話を聞かせてください」
リアが促すと、クラリスさんは椅子の下の荷物から資料を取り出すと、料理皿をどけて机の上に広げた。
「私が所属してる『世界学力振興機構』っていう団体があってね。まあ、長いから『機構』って呼ぶけど、そこが五年に一度、全世界共通のテストを実施するの。対象は義務教育就学者、オーダイトだと五十万人くらい。結果は加盟している全ての教育機関に公開されるから、そこで世界的な水準に見合う数字が出ていれば、オーダイト教育は世界的な信用力を得られるでしょう」
その話しぶりからして、留学制度を実現するには、その共通テストの実施が前提になるようだった。
「なるほど……でも、五十万人対象のテスト調査となると、ものすごい規模になりますよね。時間もかかるし、予算だって……」
リアが思案顔で言った。私は資料を眺めながら概算する。
他言語だろうから問題を翻訳し、印刷・製本を行って、各地へ運送、問題内容が実施日まで漏れない保管・警備体制を敷いて、当日に実施、解答を回収し、採点・集計を行って納品する。どう頑張っても半年以上かかるし、関わる人が多いだけ費用も膨れ上がる。
クラリスさんは肩をすくめた。
「まあ、予算はあの権威好きな治部ならポンと出すでしょう。お金さえ出れば、列車や船が整ってるこの国なら流通は事足りる。ただ──一番厄介なのは採点ね」
「五十万人分の採点って……全然想像つかないんですが。他の国はどうやってるんですか?」
「どうもこうも、ひたすら人手を集めてやるしかない。ざっと三百人で二か月くらいかな」
「ええ……もうそこまで来ると、学校事業とはまた別のなにかのような……」
リアが目を細める。私は横から言った。
「そのための人員の募集から雇用、管理、広大な仕事場所や大量の道具の手配まで……こうなると、専用の部署を立ち上げた方がいいですね」
クラリスさんはうなずいた。
「そうした方がいいね。私が経験ある管理者を手配するから担当させましょう」
「あ、わかる人がいるとすごく助かります! お願いします! ……じゃあ、今話したことは明日には議会にかけあっておきますね」
「よろしく」
とんとん拍子に決まって、クラリスさんは早速、宴会場を後にした。このまま本国に戻るんだろう。前から忙しない人だったけど、好きなはずのお酒の席を仕事の打ち合わせにあてるなんて、最近は特に余裕がない気がする。
「はあ、学力調査か……いよいよ最後の試練って感じかな」
リアがしみじみとした風に言うので、私はうなずいた。
「久しぶりに緊張するかも」
「ね。でも、これでいい結果が出せれば……セレンくんの夢が叶うのも時間の問題かな」
セレンくんは無事に研究学校に進み、オーダイト周辺の海洋調査で目覚ましい活躍を見せている。といっても本人曰く「海に紐を落としているだけ」と退屈そうで、早く先進国の技術を見たくて焦がれているようだった。
セレンくんに限らず、研究学校に進学した子はみんな、外国への留学を強く希望している。ここを乗り越えれば、その子たちの夢はほとんど実現下も同然だった。
そんな重要事項を話しているうちに宴会はたけなわを迎え、パンドンさんの後任となるロクシル行政官が、赤ら顔でみんなの前に立って十八番の歌を朗々と歌っていた。
その賑やかさを眺めながら、リアは言う。
「もう、終わりが近いんだね」
宴会じゃない。仕事の話だとわかった。
「……うん。あっという間だった」
賑やかな宴会場の隅っこで、私たちは静かに目配せ合う。
「サイルはこの先、なにか考えてる……?」
仕事の期間は終わりに近づいている。信じられないけど、私たちはお雇いで学校事業をやってきたのだ。このままなにもしなければ無職に戻る。
「わからない。でも、少し、ゆっくりしたいかも。外国に旅行とか行って」
「そっか。いいね」
「リアは?」
緊張しながら訊き返す。
「わたしは……」
リアはちらりと私に視線を向けると、すぐに睫毛を伏せて答えた。
「久しぶりに森に帰りたい気分かも」
「……ああ。みんなびっくりするよ。サイルが立派になったって」
「そうだといいけど」
なんだか、じれったい会話だった。
前のリアなら「わたしも一緒に旅行行きたい」と言ってきそうなものなのに、なんていうか、よそよそしさを感じてしまう。
いつからか、わからないけど──リアは私に対しても、大人らしくなってしまった。
……わたしから離れないでって、言ってたのに。
この距離感も時間の流れが生み出したというのなら、私は一体、これから永遠に等しい時間の中で、なにに期待すればいいんだろう。
なんて、不意に立ち込めた暗い気分を慌てて振り払った。
私はリアの横顔を見つめながら、強く思う。
ただ望んでいるだけじゃ、なにも変わらない。きっと、どこかで覚悟を決めて伝えなくちゃいけない。
あなたが好きだから、これからも一緒に過ごしたい──と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます