第17話 第1節 エルフの静かな決心

 柔軟な学年制度のために、オーダイトでは各学校の入学式・卒業式は半年ごとに行われる。

 わたしはできれば全部の学校のそれに参加したかったけど、ひとつしか身体がないので泣く泣く、首都の国立学校の式典にだけ参加して、残りは祝文で済ませてしまっている。その文面を考えるのも楽しみな時間のひとつだった。


 全部が特別ではあるけど、その年の春卒業式は特に、わたしにとって思い入れのある式になった。

 新たに導入した単位制度を利用した子たちが、初めて卒業する年だったからだ。


「セレン・バトラー」

「はい」


 壇上では、卒業証書を受け取るセレンくんの姿がある。あれから一年半が過ぎて、風貌はすっかり大人びて、目鼻立ちのくっきりした好青年になっていた。本当に人間の子は成長するのが早い。


 式が終わった後、セレンくんはわざわざ挨拶に来てくれた。


「ちゃんと僕を卒業させてくれて、ありがとうございました」


 そう言って、ぺこり、と頭を下げる。


「ううん。こちらこそ、気が付くのが遅れて本当にごめん……ちょっと遠回りさせちゃったね」


 サイルと何度も職場で夜を明かしたりと、超特急で単位制の整備を進めたつもりだったけど、それでも卒業が半年遅れる形になってしまったのが申し訳なかった。


「いえ。その間も勉強してましたから、なんてことはないです」

「そっか。頼もしい。……えっと、このままここの大学校に進むんだっけ?」

「はい。そのまま研究学校にも行きたいです」

「海の研究で外国に留学したいんだよね」

「そうです。そのためには、まずオーダイトで成果を出さないと」


 セレンくんの目には、幼い時にも見せていた野心が燃えている。その火が絶えなくてよかった、と私は心の底からほっとした。


「あの、サイルさん……」


 それから、セレンくんの視線はサイルに移った。


「前に、訪問してくれた時……話を聞いてくれて、ありがとうございました。それと、ひどいことを言ってすみませんでした」

「そんな。気にしないで。あの時話してくれたから、今があるんだよ」

「……昔、僕が教室にひとりでいるところを気にかけてくれたから、話す気持ちになれました。他にそんな先生、いなかったから。サイルさんは僕の人生の恩人です」


 セレンくんの言葉に、サイルは大きく目を見開くと、みるみる瞳を潤ませた。


「……嬉しい。生徒に、そんなこと言われたの初めて。ありがとう」


 そういえば、サイルは子どもたちと接するのが苦手だと漏らしていた。ずっと気にかけていたセレンくんにそう言ってもらえて、感動もひとしおなんだと思う。


 わたしは温かい気分でふたりのやり取りを見ていた──けれど。


「セレンくんも、これから頑張ってね」


 そう言って、サイルがセレンくんの手を取った時に、もや、と黒い影が浮かんだ。


「はい! 頑張ります! それで、あの……」


 緊張走るわたしの前でしっかり握手を交わした後、セレンくんは少し照れ臭そうに言う。


「なぁに?」

「サイルさん、まだ、この学校に来るんですよね……?」

「うん。用事がある時とかは顔を出すけど」


 え、なんでそんなこと訊くの……?

 わたしの心がざわつくのと対照的に、セレンくんはぱっと笑みを浮かべた。


「じゃあ、その時は、その、会いにいってもいいですか?」

「えぇ、私と? こんな、アンデッド相手に話しても……」

「いえ、そのサイルさんがよくって」

「そっか。ならいつでもおいで。私も海のこと、聞きたいかな」


 にこやかに返すサイルに、セレンくんは「やった」と拳を固めた。


 え、な、なにこの会話……まるで、甘酸っぱいみたいなやつじゃん。青春とかいうやつみたいじゃん。わたしはふたりが話している間、ずっと視点が定まらなくて目が回りそうだった。


「じゃあ、また、その時に!」


 やり取りが終わると、爽やかに言ってセレンくんは去っていった。

 サイルはその背中を眩しそうに見つめると、ふふ、と小さく笑みを漏らす。


「なんだか……どれだけ成長しても、かわいいね」


 か、かわいい──。


 その瞬間、私の脳裏にはっきりと、ガーーーン! という衝撃が襲った。

 心臓がバクバクいって、視界がちらちらする。足元がふらつく。


「リ、リア? 大丈夫? なんだか顔色が……」

「サ、サイル……まさか……」


 心配そうにのぞき込んでくるサイルに、わたしはわなわな震える口で恐る恐る訊ねた。


「セレンくんとお付き合い、するつもり……?」

「え」


 すると、ふっとサイルの顔から表情が消えた。

 それはもう本当に、舞台の暗幕をばっさり切って落としたみたいにぱっと無くなったから、思わず「ひっ」と声をあげてしまうくらいだった。

 彼女の反応に、わたしの心臓がますます細くなっていく。


「ず、図星……?」


 そーっと訊ねると、サイルは目を限界まで細めてわたしを呑み込むように凝視した。


「んなわけ」


 ん、んなわけ!?


 そんな言葉遣いする子だっけ? それも、めちゃくちゃ低い声だった。

 え、なにその反応……十年近く一緒にいるのに、初めて見た……。


「あ、ち、ち、ち、ちがうんだ! なーんだ、な、なんか男のコと女のコみたいな話してるから、か、勘違いしちゃった、たはは……」


 わたしが慌ててとりなすと、サイルは髪先をものすごい勢いでくるくる回し始めた。


「もう、変な勘違いしないで……子どもをかわいいと思うなんて、普通のことでしょ。昔を知ってると、どれだけ大きくなってもかわいく見えるねって、それだけの意味なのに……」

「子どもがかわいい……?」

「かわいいと思うから、リアは子どもたちとよく遊ぶんでしょ?」


 あ、え、そうなの? わたしはサイルと認識の違いを感じた。


「わたしは楽しくって、一緒に遊んだりお話したりしてるんだよ。ほら、子ども独自の視点ってあるでしょ。ああいうのが面白くて」

「え? な、なにそれ……いや、それでもかわいいなあって思うことはあるでしょ」

「うーん、あんまり? かわいいって思うのはサイルのことだけかも」

「えっ……ええっ! え、ええ……」


 サイルは一瞬、ぽかんとすると、ぱっと両手で頬を抑えた。さっきの無表情・無感動はどこにいったのかと思うくらい、いろいろな感情の乗った顔をしている。

 そう、こういうところがかわいい。頬が緩む。


「あー、でもホッとしちゃった」


 わたしが言うと、サイルは目線をはすに、窺うように見てくる。


「ホッとしたって……なにに?」

「もしサイルが他の人と付き合ったりしたら、わたしとの時間が減っちゃうなあって思って……あれ、これってもしかして性格悪い、かな?」


 サイルはなにも言わない。

 あれ? なんか欲深すぎたかも知れないと急に不安になって、慌てて言い添える。


「あ、でも、もちろんそういう機会があったら、わたしのことなんか、全然気にしないでいいからね。あ、もちろん事前に相談してくれると嬉しいけど」


 まあ、そうは言いつつ、いざその時が来た時を考えたら、ちょっと寂しくなっちゃうけど──あれ?


 いや、違う、寂しいどころじゃなかった。


 少し考えただけで胸に太い杭が刺さったみたいな重たい気持ちがのしかかって、涙が出てきそうになった。


「……うん」


 サイルの返事も儚いように響く。その瞳は遠くのわたしを見るように揺らいでいた。


 なんか──なんだろう。

 わたしは泉のほとりで見た、彼女の表情を思い出していた。

 知らない感情。知らない表情──わたしは、その奥を覗いてみたくなって……。


「サイル……」

「理事長! 来賓の方々がご挨拶したいと……」


 と、そこへ職員さんの声が飛び込んできて、わたしは我に返った。


「は、はい! すぐいきます!」


 急いで頭を切り替え、仕事に立ち戻る。偉い人としての仮面をまとい、立派なエルフとしていろんな人に挨拶して回る。


 けれど、頭の片隅ではずっとサイルのことを意識していた。


 わたしは誰かにきゅんとときめくことがあっても「かわいい」と思ったことはなかった。この気持ちは、サイルと仕事を始めたばかりの頃、彼女に対して初めて感じたもので……考えてみると、似たような気持ちを与えてくれるものに、出会ったことがない。


 気づかなかった。これって、サイルにだけ抱く、特別な感情なんだ──。


 そう思い至った時、世界が静寂に包まれたような気がした。


 わたしはサイルの方を振り返る。


「……リア?」


 サイルがわたしを見返してくる。


 その顔、その髪、その輪郭、そして、胸の奥に感じた魂のようなもの──。


 わたしは気がついてしまう。


 かわいいという言葉に押し込めて、見ないようにしていた気持ち。


 ──わたしは、この子のことが好き。


「大丈夫……?」

「え、あ、うん。平気!」


 気がつくと、もろもろの挨拶が済んだ後だった。いけない。完全に上の空だった。


 でも、それぐらい衝撃だった。


 わたしは、まるですごい勢いで飛んできた矢がこめかみを掠めたかのように、ものすごくドキドキしていた。弾けるように突然湧いた感情を前に、どうしたらいいかわからなくて。


 サイルがセレンくんと話す様子にモヤモヤしたのも、彼に「かわいい」と言ったのにガーンとしたのは──この心のせい。


 わたしは、サイルに恋をしていた。


 それはきっと、素敵な感情のはずだった、のに、どうしよう。どうすればいいんだろう。いざ、わたし自身がその想いを抱えているのだとわかって、戸惑いの方が大きかった。


 だって、エルフは当たり前に恋をするけど、アンデッドがそうかわからない。


 サイルは自分が世代を繋ぐことに関われないことを気にしていて、だから、この仕事を志望した。


 さっきも、わたしがセレンくんに恋心があるか探った時、怒ったような素振りを見せていた。


 アンデッドだから恋なんてできないのに、わたしが無遠慮に立ち入ったから、そういう反応をしたのかも知れない──わたしのこの無邪気な心は彼女を深く傷つけてしまうのかも。


 本当のところはわからない。でも、確かめるのでさえも恐ろしすぎた。

 わたしたちの関係性が傾いてしまったら……わたしはやっていける気がしなかった。喧嘩した時だって、一ヶ月も逃げてしまったのだから。


 ……しまっておかなくちゃ。


 わたしは静かにそう決心した。

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