第16話 第2節 アンデッドの夢一夜
一方で、私はみんなの見えないところでしっかり報いを受けていた。
夜、誰もいなくなった職場で、私は溜まりすぎた仕事を処理している。今までの分に加えて、単位制導入に向けて湧いてきた雑務たち……私がやらなきゃ、単位制はいつまで経っても実現しない。
今日で完徹七日目だった。休日はもちろん返上して、それでも終わらない。
とても辛い。いや、別に辛いのはいいんだけど、辛い中でどうしても辛くなるのが嫌だった。うん……? よくわからなくなっている。
私はこうなるまで放っておいたことを後悔していた。リアと喧嘩した後、問題を直視することを避けてきたのは私も同じだ。ルヴさんが訪ねてきてくれなかったら、どうなっていたことか。そういう意味では、私もリアを子どもっぽいなんて笑えない。
私が耐えられるのは、昼間、この苦労を全く感じさせないよう、しれっと振る舞うのが気持ちいいからだった。早朝、一緒に朝ご飯を食べにやってきたリアに「もうそんな時間?」って言いたい。なんていうか、仕事人って感じがして格好いい。
そう、私はリアに格好つけたい。その一心だけ。それ以外は考えない。
黙々と作業を続けた。一度、波に乗ってしまえば没頭していられる。
じっと文字を読み、印をつけ、別の資料を探して、必要事項を書く──。
「サイル」
「えっ?」
はっと顔をあげると、そこには何故かリアがいた。あまりに現実感がなさすぎて、夢でも見ているのかと思った。
「な、なんで? どうしたの、こんな時間に……もしかして、なにか緊急事態?」
リアが息を切らしているのを見て、私は腰を上げる。例えば、今、大火事かなにかが迫っていて、リアは私が残っていることを思い出して来てくれた、とか──。
そんな悪い想像を、リアはふるふる首を振って否定すると、すっと私に近寄ってひしと抱きしめてきた。私にとってご都合的な展開に狼狽する。
「な、ちょっとどうしたの……」
「辛いんだよね」
「……え」
「サイル、前、言ってたよね。人の社会に交じれなくて辛かったって……あれ、あの時はもう終わった話なんだと思ってた。でもさ……他の種族と同じみたいに、日常でも無理したら痛みも辛さも感じるんだよね。眠らずに、ひとりで仕事してるのも、ちゃんと辛いんだよね?」
真剣に語るリアに、私は思わず苦笑する。
「それを、こんな夜中に気づいちゃったの?」
彼女の服装を見下ろすと、寝間着に外套を引っかけただけだった。寝床でまどろんでいるうちにふと気が付いて、いてもたってもいられなくて、慌てて駆けつけてきたのだとしたら──なんて嬉しくて、愛おしいんだろう。
「サイル、今まで全然気づかなくて、丸投げしてきちゃって、ごめんなさい……わたしも手伝うよ……」
泣き出しそうな顔で言うので、私はついに吹き出してしまう。
「なに言ってるの。私が眠そうにしてたことがある?」
「ない、でも……」
「私はアンデッドなんだよ。こんなの平気。むしろ、リアが日中眠そうにしてる方が問題でしょ?」
「やだ。私だけちゃんと眠ってるなんて、そんなのやだ」
「大丈夫。朝ご飯をご馳走してくれるだけで」
「やだ!」
ええ、なんて強硬な……あんまり愚図られると弱ってしまう。
「もう、わかったよ。せっかく来たなら、ちょっとだけね」
「うん」
しおらしくうなずくと自分の席に着く。この時間、いつもの偉そうな席にリアがいるのは新鮮で──なんだか涙がこぼれそうになってしまった。
「それじゃあ、ここまで済んでるからこっちをお願い」
「わかった」
ふたりだけの職場。
そういえば、本当に最初の頃はこんな感じだったっけ。ほんの少し前のような気がするのに、すごく懐かしい。もう七、八年も前だ。若かった人間の職員が、すっかり中堅どころの顔つきになったりしている。それだけの時間。
その中で私とリアは変わらない。長い時間の中、ずっと仕事一本で来ている。
私ひとりだったら、周囲が変化していくのは、不安で仕方なかったかも知れない。
でも、あなたが一緒だから、私は……この辛さを受け入れられる。乗り越えられる。
そう思うと……じんわりと書類の文字が滲んだ。
もう、いいんだ。私は十分に幸せだから。これ以上、望んだらきっと、ばちが当たる。
私は自分の気持ちを封じ込め、黙々と仕事をこなした。そのうち、朝日が差し込み始める。いつもなら、このくらいにリアがやってくる頃合いだけど。
様子を窺うと、彼女は机に突っ伏して眠っていた。朝の陽ざしに照らされたその横顔はとても綺麗で、その瞬間を残す魔法があったらよかったのにと、私は本気で残念に思った。
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