第15話 第3節 エルフは冷たい肌に触れる

 ……少し落ち着いた後、サイルの肩口に顔を埋めながら、わたしは訊いた。


「ねえ、どうしてサイルはこんな優しくしてくれるの……」


 泣きつかれた後、わたしの中に残ったのはそんな疑問だった。

 すると、サイルはわたしの身体をくいっと離した。至近距離から、泉より深い色を湛えた瞳が、ゆらゆらとわたしを捉えて、離さない。


 その表情に、わたしはドキッとした。


 えっ──なんだろう。


「サイル……?」

「……私は、アンデッドで」


 サイルは絞り出すように言った。どこか苦しんでいるように見える。


「うん、知ってるよ……」

「三十三年前、ある墓場に、気づいたら存在してた。そこを管理している人が死霊術師の末裔で、太古の禁呪をうっかり放ってしまったのが原因だった」


 それはサイルの出自だった。彼女の口から初めて聞いた過去に、わたしは心臓が早打つのを感じる。


「実は、それ、わたし、調べたんだ……その時の古新聞に載ってた。死霊術の暴走とか……」

「そっか。まあ、有名だもんね。その時に生まれた五十三人がアンデッドの『最後の世代』。死者の肉体を借りてはいたけど、記憶を引き継いでるとかなく、まっさらな状態で。みんな生まれた意味もわからないまま、散り散りになった。どこかで働いたり、ふらふらしたり、海の底で朽ちたりしてると思う。私はなんとなく不死帳アンデッド・ブックに名前を入れる道を選んだ」


 わたしが森でたくさんの人に祝福されている間、サイルは「事故の産物」として社会に出ていたんだ。理解してはいたけど、それでも胸が締め付けられた。


「私は社会に馴染もうと思った。私でもできる仕事を探して、必死で覚えて、必死でこなして、周りの人たちが好きなものを観たり、聞いたり、食べたりして、話を合わせるようにして。そうすると面白がってもらえて、なんだかんだ居場所ができたりした。……でもね、そうやって社会の繋がりを保っていても、どこか辛さが滲むんだ」

「辛さ……」

「どこまで努力しても馴染み切れない、水の中で油が浮いてしまうような感じが、どこまでも付きまとって……それに、私が就ける仕事って短いものばかりだったから、全然落ち着けなかったっていうのもあるかな。そういうの全部が……うん、そう、とても辛かった」


 サイルは自分の胸に手をあてて、小さく息を吐く。


「そんな時、この仕事の求人を見つけたの。エルフお断りのおかしな募集……なのに、気づいたら応募してた。それでリアと初めて会った」

「うん……懐かしいね」

「私は、その時初めて、アンデッドとしての弱みを晒してしまった。次の世代と縁のない、孤独でしか生きられない私のことを……でも、そんな私と『一緒に働きたい』って、リアは言ってくれた。あの時の喜びが……今でもここに息づいてる」


 そう言って、サイルはわたしの手を取ると、その胸の真ん中にあてた。


 ──冷たい肌。心臓の動かない、静かな身体。


 けど、その奥に、なにかを感じる。

 なにか、としか言いようがない、強く震える、不思議な感触──アンデッドの魂。


「きっと、その時から、私は……」


 サイルが言う。


 その、張り詰めた声音に、わたしはさっきとは違った恐さを覚えた。


 知らない感情、知らない表情。


 森も、泉も、わたしから遠のいていく。


「サイル……?」

「リア、わ、私──」


 息が苦しい。

 とても恐い。


 でも、知りたくて、知りたくてたまらない。


 わたしはサイルの背中に手を回して身体を近づけると、彼女の耳にお願いする。


「なあに。言って」


 サイルは目を大きくしてわたしを見ると、睫毛を戦慄かせ、ふるふると揺れる唇を開く。


「あ、あなたのことが──」

「うん」


 耳を澄ますわたしに、サイルは言った。


「──あ、憧れなの」


 一瞬、時間が止まった。

 それから、少しずつ、意味が流れ出すように、その言葉が心に染みてくる。


「ほ、ほんとに? わたしが、憧れ……?」


 サイルはこくりとうなずくと、すごい勢いで顔を逸らした。耳はクールな色をしているけど、本当は先っぽまで真っ赤になっているのだと、わたしにはわかる。


 ああ、もう、シャイなんだから。かわいい。


 わたしはどうしようもない衝動──きっと、エルフの持つ慈愛の本能に駆られて、彼女の身体を抱きしめた。


「そっか……そうだったんだ。わたし……サイルに居場所をあげられていたんだね」

「……リア」

「でも、サイルが抱えていた辛さなんて、全然知らなかった。アンデッドだからって思考停止してた。もし、わかってれば、わたし、こんな子どもみたいなこと……」

「そんな、私もこのこと話してこなかったし……」

「ううん。反省させてよ。せっかくサイルが話してくれたんだもん……憧れを裏切るようなことして、本当にごめんなさい」


 サイルはおずおずと顔をあげると、静かに微笑んだ。


「いいよ。気にしないで。私も話せてよかった」

「本当に?」

「うん。本当」

「そっか。ありがとう」

「ん……これで、仲直り、ね」

「仲直り? えへへ……良かった……」


 力が抜けて、へなへなとサイルに寄りかかってしまう。そのひんやりとしたチーズみたいな感触に溺れる。すごく気持ちがいい。ずっとため込んでいたイガイガした気分が、とろとろと溶けていくみたいだった。


「わたし、好きだよ」


 わたしは囁く。サイルの肩がぴくりと跳ねた。


「え──」

「サイルとくっつくの。ひんやりして、でも、しっかり生きているのを感じて。不思議な感じ」


 言いながら、わたしは目を閉じる。


「……うん」


 サイルは小さくうなずき、わたしが触れるのを受け入れるように静かになった。


 それから、サイルの旅装が乾くまで、わたしたちは泉のほとりでゆっくりと過ごした。思えば、これが久々にふたりで過ごした休暇になった。

 いつか、サイルもわたしの生まれた森に来て欲しいな、と思った。

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