第15話 第1節 エルフと森林浴
わたしは手足を投げ出して、空間にたゆたっていた。周囲は音ひとつなく、視界にはきらきらと白い光がなびいている。息を吐くとこぽこぽ泡になって、光の粒になって弾けた。
……ああ、ずっとここでこうしていたいな。
でも、心地よいそこも、いればいるほど胸が苦しくなってくる。
仕方なく、わたしは足を勢いよく蹴り出して、水面に顔を出した。
「ぷはっ……」
音や光が鮮烈な輪郭を持ち、わたしのもとに飛び込んでくる。
森の中の
サイルと喧嘩して、その顔を見るのも耐えられなくて、わたしがあてどのない出張に出てからもう一か月になる。
もちろんただ逃げただけじゃなくて、普通に仕事はこなしていた。今は、平地、山岳地域を経て海峡を渡り、森の地域学校まで調査を済ませた。
そこでちょうどぽっかり一日空いたので、森にいた頃の気持ちを思い出したいと森林浴をしているところだった。
私は水面にぷかぷか浮かびながら、調査先に出向いた時のことを思い出す。
どこへ行っても「教育担当官が直々に!」と大わらわで、不登校問題がそれだけ
といっても実情は、首都と違って呑気なものだった。学校に来ない子はいるけど、面倒でサボってるだとか、家の作業の手伝いだとか、なんというか……そうだよね、って思っちゃうものが多い。
こういうものこそ任せられるものなので「寄り添う形でお願いします」と伝えることしかできなかったんだけど、先生方はクビがかかったような顔つきでうなずいていた。
その様子に、わたしはもう誰もが認める、ちゃんとしたエルフに見えているのだな、と気づいた。なのに、びっくりするくらい、わたしの心は動かない。
ずっと足りなくて、ざわついている。この埋まらない気持ちはなんなんだろう。
どうしてあんなに……サイルの言ったことに、ささくれ立ってしまったんだろう。
わたしは泉から上がると、髪を絞って、ずぶ濡れになった沐浴着を脱いだ。
一糸もまとわない身体は風のように軽く、身体の輪郭が森の清らかな空気に包まれる。
はあ、気持ちいい。
本当にちっちゃかった頃は、水浴のあと、すっぽんぽんのままお姉さま方に抱っこされて眠ったっけ。
もちろん今はそれも叶わないから、沐浴着を拾って干すと、あらかじめ張っておいたハンモックに横たわる。誰かに見られたら大変だけど、泉の水質的に未開拓の場所だと思う。
枝葉に見下されながら、わたしはうとうとしていた。木々の健康そうな樹皮の色が気分を和ませる。
あの内側では木部が渦巻いて年輪を形作っているけど、あれは樹の中で死んだ部分だ。木の幹で生きているのは表面の樹皮部分で、彼らは自分の死んだ部分を抱きしめるように、太く、大きく成長していく。
ただ、わけがあって大きく穴の空いてしまった木は抱きしめるものがない。
だから、エルフの愛情を核にして、空白を埋めるように新しいエルフの命を生み出す。
木々は全て、エルフの故郷だった。わたしはそれを深く感じながら、葉っぱのざわめきに耳を澄ませていた──けど。
ふと、どこかで枝の割れる音がした。人型の足が踏み抜いた音だ。
わたしは急いで身を起こすと、猛烈な速さで服を着こんだ。だけど、肌着しか間に合わない。油断した。どうしよう、こんな思い切り自由に過ごしてるところを見られて……。
「……リア? リアなの?」
呼びかける声を聞いて、わたしは心臓が止まるかと思った。
それは──彼女の声だった。
えええっ! このタイミングで?
咄嗟にわたしは逃げた。逃げるしかない。だって今じゃない、私たちが会うべき時って絶対に今じゃないよ!
じゃあ、会うべき時っていつ? ふと、ものすごく冷静なわたしが問うた。
出張が終わる頃? ううん、きっとわたしはまた、なにかと理由をつけて、彼女を遠ざける。そうしていつまでも、ずるずると無駄な時間を過ごしてしまう。
その時なんて、待っていたらいつまでも経っても来ない。
だって、わたしたちは長命種だから。いつまでも待ててしまうから。
……わたしは逃げる気力をなくし、泉の前で立ち止まった。
覚悟を決めて、彼女の方を振り返る。
そこには──思ったより全速力でわたしの方に駆けてくるサイルがいた。
「なんで急に止まんの!」
「ええええ! 知らないよ!」
つんのめったサイルに押されて、わたしたちはもつれあったまま、泉にドボンした。
幸い、縁の方は水が浅かったから、浅瀬にふたりしてずぶ濡れで横たわる形になる。
「だ、大丈夫?」
「あ、ありがとう……」
サイルの手を取って、半身を起こす。そうしてはっと息を呑んだ。
わたしはいいけど、サイルは旅装がびしょびしょになってしまっている。いつか似合っていると褒めた服……その無残な姿を見て、胸の中にいろいろな感傷が湧いてきて、涙が出そうになった。
「ご、ごめんなさい、サイル……」
「……」
サイルは黙ったまま、わたしの鼻をぴんと弾いてきた。
全然痛くなかったのに、生きてきて一番痛く感じた。
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