第14話 第2節 アンデッドの深い夜

 ルヴさんが私を連れて入ったのは薄暗いバーだった。こんな夜中だというのにたくさんの人が集まり、物静かな雰囲気を演出するように会話に興じている。


「マスター、ロールスターと、初めての子が飲めそうなやつ」


 カウンター席に座って、ルヴさんが慣れたように注文する。そんな自由な頼み方していいんだ。私はこういうお店が初めてだったので、とても助かった。


「ふふ、こういうお店は初めて?」


 思ったことと全く同じことを言われて、私は慄く。


「は、はい」

「そうよね。あの子と行くのはいつも、朝のバタートーストとか、かわいい食べ物のお店だものね」

「……あ、あの、私、仕事に戻らないといけないので」

「あら、一杯くらいいいでしょ。怯えなくても大丈夫……」


 そう言って、優しく頬を撫でてくる。その慈しむような手つきに緊張の糸が一気に緩んで、逃げようと上げかけた腰がみるみる椅子に居座ってしまった。


「ふふ、かわいいアンデッドちゃん。あ、お酒来たよ。こっちがサイルちゃんのね──それじゃあ、私たちの出会いに、乾杯~」


 あっという間にルヴさんにペースに巻き込まれ、私は出されたお酒を口にする。名前はよくわからなかったけど、甘酸っぱくて痺れるような味だった。疲れもあって、一気に頭がとろんとしてくる。


「ねえ、あなた、リアのこと、好きなんでしょ」

「えっ!」


 そんなところへ突然、ルヴさんが突っ込んでくるので、無駄にあたりをきょろきょろしてしまった。


 ……いやいや、なに動揺してるの。私は落ち着いた態度を装って返事をする。


「そ、それは好きですよ? 優しいし、いつも気を遣ってくれるし、綺麗だし……私にはもったいない上司だと思ってます」

「そうじゃなくて……」


 誤魔化せたと思ったのに、ルヴさんは私の髪の先をいじりながら、迫るように言ってくる。


「恋している。そうでしょ?」


 どこまでも見透かされてる。


「…………なんで」


 私は硬直して、かろうじて疑問だけ返した。ルヴさんはころころ笑いながら言う。


「前に会ったパーティの時、私とリアちゃん話してるところに、無理に割り込んできたよね? あれ、私がリアちゃんにとっての誰か、確かめずにいられなくて来たんでしょう」


 完璧に言い当てられていた。


 あの時、ルヴさんがリアを可愛がっているのを見て、どういう関係性の人か確かめないと死んでしまいそうだったから、その時の会話の輪を強引に抜けてまで確認に行ったのだ。


 恥ずかしさのあまりなにも言えないでいると、ルヴさんは顔をふわっと緩ませ、ぎゅっと抱き着いてきた。


「あ~ん、もうかわいい~~~♡ ふふふ、お姉さん、リアちゃんとあなたがくっついたら、尊すぎて化石になって森の養分になっちゃうかも」

「むぅぅ……」


 確かにこれは無性に抗いたくなってしまう、過剰な甘やかし方だった。

 リアとは比較にならない圧倒的な圧力に圧されて、一刻も早く傍を離れたいと思っていた彼女の気持ちがわかった気がした。


「もう、そんないいもんじゃないですよ! ルヴさん、リアってば酷いんです!」


 反発心に突き動かされた私は、ルヴさんの圧を押しのけるとリアへの愚痴をしこたまぶちまけた。


 すぐに見栄を張ること。すっごく意地っ張りなこと。子どもたちとのお喋りに夢中で挨拶周りをおろそかにすること。本人はもうドジしないと思ってるけど、未だに私が潰してること。頑固なこと。なのにみんなの人望は集めてること。自分はあっさり私のもとから離れること。あと、考えを変えないこと……あれ、何度も同じこと言ってる?


「ふふ、リアちゃん、相変わらずね……」


 夢中で喋ってるうちに、ルヴさんはうっとりした顔つきでグラスを揺らしていた。

 その余裕そうな態度が少しだけ癪に障る。どうしようもない私の辛さでさえ、遥か高いところから見下ろされ、お酒のつまみにされているような気がして。


「相変わらずって……リアはちゃんと成長してると思います」

「へえ、今度はリアちゃんの肩を持つんだ。好きと嫌いに揺れる乙女心、いいね」

「私は真面目です!」

「ごめんごめん。私もリアちゃんはとても頑張っていると思う。想像を遥かに超えてね……」


 ふと、ルヴさんはエルフな顔つきになってカクテルに口をつける。その姿があまりにさまになっていて、私は思わず見とれてしまった。


「本当はね、この案件は私が請け負う予定だったの」


 ルヴさんは言った。何気ないもしもの話が、私の胸を突く。


「……そうなんですか」

「他に誰もやらなさそうだったからね。十五年くらい別にいっか、って思ってたら、あの子がどうしても自分がやりたいって言い出した。まだ三十歳くらい? 私が同じ年の時なんて森の中で甘えてばかりだったのに、すごい向上心でしょ。その『頑張りたい!』ってリアちゃんの気持ちに、胸がいっぱいになっちゃって、ついオッケーしちゃった」


 ルヴさんは苦い笑みを見せる。


「後で友達のエルフに怒られたよ。『あの子にまだできるわけないでしょ』、『リアちゃんが潰れちゃったらどうするの』って。私も心配だったし、事業として転ばすわけにもいかない。だから、もしリアちゃんが挫けたり、投げ出すようなことがあれば、私がいつでも代わるつもりで治部にも話を通してたの。だから実は、私、教研部に籍があったりするんだよね」

「えっ、それは知りませんでした……」

「治部で厳秘扱いにしてたからね。まあ、誰かさんのおかげで、リアちゃんは躓くことなく仕事をこなして、取越し苦労になっちゃったけど」


 ルヴさんがじーっと私を見るので、つい唇が尖る。


「出番がないなんて、一番いいじゃないですか」

「うん。だから今回の件も、あなたたち自身で超えてもらいたいの」


 話が核心に至って、思わず背筋が伸びる。

 ルヴさんは言う。


「この前に会った時、リアちゃんは未だに子ども扱いされることに敏感だった。ここまで頑張ってきたのにまだ認めてくれないのって心の声が、あの子の態度からひしひしと不満さが伝わってきて」


 そうなの? 私はリアの方からルヴさんに甘えているような気がしたけど……その辺りは長い付き合いのある人同士にしかわからない機微なのかも知れない。


「でもね、不可能なの」


 ただ、直後に強い断言が来て、私は身構える。


「不可能……」

「そう。リアちゃんが百歳になろうが五百歳になろうが、仮に一番偉いオーダイトの議長になったとしても、私たちにとってはきっと、一生一番かわいくて、ずーっとよしよししたくなっちゃうリアちゃんのままだと思うの」


 ルヴさんは大真面目に言った。


 ただ、それだけ聞くと愛に溢れた話のように聞こえるけど──確かに、ルヴさんたちに認めてもらいたいリアにとっては、残酷な話なのだと思う。


「そんな私たちから見ると、今のリアちゃんはちょっと危なっかしい気がしていて。だってものすごく学校のこと、こだわってるでしょう? でも、別にすごくうまくいったところで、リアちゃんの望むものは手に入らない。私たち、きっとリアちゃんを子どもみたいに手放しで褒めちゃう」

「……リアは、きっとがっかりします」

「うん。だから、リアちゃんにはあなたが必要なの、サイルちゃん。あなただけが、対等な立場からリアを認めてあげられる。リアの欲しいものを与えられる」


 ルヴさんは私の手を取った。

 本当にそうなんだろうか。温もりの染み込む様子を見つめながら、私は言う。


「だから、リアと絶対に仲直りして欲しいってことですか?」

「有り体に言えばそういうことになっちゃうけども」

「……私のもとから離れたのはリアの方です。私には、どうしたらいいかわかりません」


 思った以上に恨みがましい声音になる。ルヴさんは呆れたように肩をすくめた。


「もう、本当に喧嘩中って感じね。そういうところも愛くるしいんだけど……でもね、こういう時のリアちゃんは手強いよ。なんていっても長命種だから、耐久戦にとっても強い」

「……私も長命種です。命はないですけど」

「ええ、だから、放っておいたら世界が滅ぶまでこのままでしょうね。それだと、今後生まれてくる全ての子どもたちも含めて、誰も幸せにならないから……今夜はあなたに、とっておきの秘密を教えようと思って」


 秘密? 私たちの喧嘩の原因は、仕事上での意見の食い違いだ。情報ひとつで和解なんか、できるはずがない。


「なんですか」


 私はルヴさんの意図がわからないまま訊く。ルヴさんは深く息を吐いた。


「初めて会った時、私のこと『お母様ですか?』って訊いたよね」

「は、はい……姓がメロウルで、同じだったので」

「あれはね、生まれた樹の名前なの」

「……樹?」


 意味を掴みそこねた私に、ルヴさんは重ねて言った。


「そう。エルフの赤ちゃんは樹のうろ、つまり、樹に空いた穴の中に生まれる。私たちは率直に、木の股から生まれるとか言っちゃうけど。だから、私とリアちゃんは同じ樹の出身なわけ」

「へえ……知りませんでした」


 樹に抱かれて生まれるなんて、いかにも森の種族らしい。

 でも、それが今の状況となんの関係が……。


「ふふ、なんの関係が? って顔してるね」


 ルヴさんが頬杖をつきながら、微笑んだ。


「すっごく関係あるよ。だって、新しいエルフの子種が木に宿るのはね──エルフが、誰かを深く、深く愛して、心を通じ合わせた時だから」

「……え?」


 ど、どういうこと? とてつもない予感が私を包み込む。


「お互いがお互いを想う、深い愛が森に届いた時、その愛の結晶を宿す場所を用意してくれる。それは、片方がエルフなら相手が誰でも関係ない。エルフ同士でも、人間が相手でも……」


 ルヴさんは、私の鼻先をつんと突いて、言った。


「アンデッドでもね」


 じわ、となにか、私の中で広がったような気がした。

 血のような、炎のような、淡くて、熱くて、ぐらりとするなにか。

 今まで、ありえないからと自分で囲い込み、閉じ込めてきた感情が、溢れて、どこまでも流れていく──。


「……それは、本当ですか」

「うん。ただ、その愛はじっくりたっぷり育まなくちゃいけないから、エルフが生まれるのは数十年に一度くらいの珍しいことなの。だから、生まれてきた子どもはみんなでたくさん可愛がるんだよ」


 甘やかすことができる幸せ──ということ。


「死んでる私でも……いいんですか」

「あなた、リアちゃんのことが好きなんでしょう? なら大丈夫。必要なのはただ、愛、だけだから」


 そう優しく言って、ルヴさんが頭を撫でてくれた時、私は涙が止まらなくなった。

 そうなんだ。私も……同じように、なれるんだ。


 次の世代に受け継ぐ人々の営みの中に、ひとりの人として。


 あなたと一緒なら──。


「リアのもとに行きます」


 私は今すぐ、彼女に会いたかった。

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