第10話 第2節 アンデッドは柔くなる

 薬を受け取るついでに教研部に顔を出して、リアは直帰したこと、私も久しぶりに(初めて)半休を取る旨を伝えて帰宅した。


 家の戸を開くと、ずず、と鼻をすする音が耳につく。リアは床に三角座りをして、目を真っ赤にして泣いていた。私は慌てて傍に寄る。


「リア。起きてたの。おなか痛む?」

「……まだ少し」

「横になってていいのに」

「なんか……悪い気がして……」


 リアは身体を丸める。私は呆れつつ、しつこく促して寝台に座らせた。


「悪くなんてないよ。ほら、薬もらってきたから飲んで」

「ごめん……お金、出すよ」

「そんなの気にしないで」

「でも……」


 逃げるように顔を伏せてしまう。

 もうこれ以上は甘えちゃいけない、という一心が嫌というほど伝わってきた。


 リアの生い立ちを考えると気持ちはわかる。わかるつもりだけど、あえて痛くて苦しいままに、自分を放っておく理由にはならないと思う。


 私は息を整えると、その名前を呼ぶ。


「リア」


 その繊細な心を踏まないように私は言った。


「こういう時は、甘えてくれないと嫌だよ」


 さっき、変なことを考えていたせいで、思ったより切実な声音になってしまう。


 リアははっと顔を上げると、少し迷ったように手元に落ちる髪の先に触れ、すっと私との間を詰めてくる。


「……ごめんなさい。やっぱり、薬、飲む……あと、おなかさすって」

「うん……」


 一気にしおらしくなった姿に、私は胸が詰まって気持ちが漏れ出そうだった。

 薬を飲ませて、リアのお腹に触れる。


 指先が触った瞬間、ぴくっと震え、それから力の抜けるままに、こちらへ寄りかかってくる。


 私はリアの熱を感じながら、その痛みがなくなることだけを祈り、余計なことを考えないように必死だった。


「……却下されたらどうしよう、って思っちゃった」


 ふと、リアは言った。涙ぐんだ声だった。


「この一年間、みんなで頑張って、いろんな想いをこめてやってきたものが、あんな堅苦しいところで議論にかけられて、なんにも理解を示してもらえなかったら、って想像して……そうしたら、すごくお腹が痛くなった」

「わかるよ……議会場、変に威圧感あるところだったもんね」

「……サイルもそう思った?」

「うん。あんなとこで仕事してるから、お役人ってあんな風なんだって思った」


 その時、ふにゃりと、リアの身体が和らいだのを感じた。


「よかった……サイルも一緒だったんだ」


 頭を私の肩口に乗せてくる。心地よい重み。

 甘えてくれている。そのことに私は安心して、自然と手が伸びる。


「……大丈夫だよ」


 そう言って、彼女の頭を撫でた。

 きめ細かい金色の髪が、私の指の間を遊ぶように流れていく。


「リアがクラリスさんをやっつけて、通した案だよ。同じオーダイトに住む人なら、きっと理解してくれる」

「でも、もしもダメだったら……」


 ぐすぐすとした声でリアは言う。その情けなさも愛らしくて、撫でる手に熱がこもる。


「ダメだったら直して、もう一度出すだけだよ。何回だって……私たち、長く生きる種族なんだから、それくらいなんでもない」

「そうだけど……嫌になって、サイルは離れたりしない?」

「しないよ。私も、リアと一緒に仕事したいから」


 そう言った瞬間、心に陽が差したような気分になった。リアにかけてもらって嬉しかった言葉を、ようやく返すことができたから。

 リアは顔を上げると、涙まみれの目をさらに潤ませて、ひしと抱き着いてきた。


「ありがとう……わたしも、サイルとずっと一緒にいる」


 その言葉に私はくらりと来てしまった。あまりにも、恋愛劇とか物語とかで山ほど聞いた台詞すぎて。


 そんなの……もう、告白じゃん。


 もちろん、そんな文脈では全くないけど、でも、嬉しすぎて、みるみる身体が熱くなっていくのがわかる。


「あっ」


 ふと、リアがなにか気づいたように、お腹をさすっていた私の手を取ると、にぎにぎしだした。


「柔らかくなってる」

「ほんとだ……」


 私の手の周りが、硬めのチーズから柔らかめのチーズくらいになっている。肌の色も明るくなっているし、ここまで来るとほとんど生きている手と変わらないかも知れない。


「これ、大丈夫? 感覚ある? とけちゃわない?」


 リアは心配そうにふにふにしてくる。彼女の指が手の芯に届くような未知の感触に、思わず手を引っ込めてしまった。


「ちょっと、恥ずかしいかも……」

「そっか、恥ずかしいかあ」


 リアは弱みを見つけたような顔でにこにこしている。なんか、意地悪される時はこちらが子どもになったような気がしてしまう。私は主導権を取り返すように言った。


「それより、もうお腹痛くない?」

「あ、痛くない。だいぶ楽になった……ありがとう。サイルがいなかったら、わたし……」

「いいよ。私はリアのこと、ひとりじゃなんにもできない子どもだなんて思ってないから、たまには……こうして甘えてね」


 照れ臭すぎて消え入りそうになった私の言葉に、リアははにかんでうなずいた。


「うん。そうする」


 う……あどけなさと艶っぽさの入り混じったその笑みに、私は釘付けになった。

 今度はただ、欲求のためだけに抱きしめたい気持ちが湧いてくる。


 だけど、できなかった。


 この気持ちがなんなのか。

 この衝動の向かう先がどこなのか。


 わからなくて──恐かったから。


「よし、じゃあ、教研戻ろっか」


 そんな彼女の言葉に、私は深い葛藤から引き戻された。


「え、戻るって……私もリアも、今日はもう休むって伝えてきちゃったよ」

「うそ! 仕事山盛りなのに!」

「緊急なのはないから平気だって。それに、職員もみんな、リアに休みが必要って理解してるから」

「んー、そっか……でも、どうしよう……」


 突然時間ができてしまい、リアは本当に困っているようだった。この一年間、ずっと学校のことばっかり考えて、追い込んできたんだとわかる。

 そこで、私は思い切って言ってみた。


「……じゃあ、一緒に舞台観に行かない? 最近、話題になってるやつ、興味あるけど行けてなくて」

「あっ、職員の子が話してたやつ? 行きたい!」


 こうして、ほとんど一年ぶりの休日は(半休だけど)、リアと一緒にデートすることになった。まあ、彼女にそんな意識はないだろうけど、私にとってはとびきりのご褒美になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る