第10話 第1節 アンデッドの憧れ

 リアの頑張りもあって、ようやくオーダイト学制の原案がまとまった。


 専用の書類にしたためたそれを、教区担当官のリアが治部の議会場まで持っていく。クラフデン様式というその真っ白な石造りの意匠は、ここが最も権威的な話し合いの場であることを主張しているみたいだった。


 私はリアの補佐官なので同行ができた。まあ、管理者のパンドン行政官の立ち合いのもと、議長に書面を渡すだけなのでほとんど見ているだけになる。

 重々しい黒色の木材で作られた机に、リアは一年近くかけて作った学制の原案を置いた。


「確かに」


 老いた人間の議長が受け取り、行政官が大きな判を押す。

 書類の提出ひとつでずいぶん仰々しいけど、オーダイト治部と議会は外交上、国として体裁を保つために作られたものなので、効率よく偉そうに振る舞うことだけが考えられている。


 リアは堂々と振る舞っているように見えた。本当のところはどうかわからない。

 もともとエルフは見た目にオーラがあるから、少し虚勢を張るだけでも貫禄を感じさせてしまうらしい。

 普段、リアが経験豊富はエルフに見えるのは、ずっとそう見えるよう気を張っているだけだった。事情を知っている私とふたりの時には安心しきっているのか、(精神的な)年相応にちゃんと見える。


 正直……その落差が本当にたまらなかった。ふたりでいる時間を作るために、実はそう楽でもない徹夜をしてしまうほどだ。朝、驚く彼女に「おはよ」なんて格好つけたりして。

 ただ、クラリスさんにも若いことは見抜かれているらしく、彼女の前でも緩んだ態度を取ることは最近知った。


 ……私だけじゃなかったらしい。まあ、いいんだけど。


 議会場を出ると、肩が軽くなったような気がした。無意識に緊張を強いるデザインの建物だった。そんなところで仕事をしているから、お役人はみんなお堅いのかも知れない。


 角を曲がって議会場が見えなくなったところで、ふうう……と長い呼吸が聞こえた。リアが胸に手を当てている。やっぱり、相当見栄を張っていたらしい。


「お疲れ様」

「うん。ありがとう」


 私がねぎらうと、リアはいつもの調子で応えた──けど、なんだか元気がない。


「大丈夫? どこかで休憩していく?」

「ううん、平気。すぐ戻ろ。他にも仕事、残ってるし」

「そんなの、後で私が処理しておくよ」

「ううん。わたしがやる」


 たまにリアは頑固だった。甘やかされていると思って、意地を張っているようにも見えたけど……なにか違和感がある。


 リアの意思を優先して教研への道を辿りつつ、私は彼女の様子を窺った。いつも和らいでいる目元はきつく張り詰め、唇がきゅっと結ばれている。俯き気味な姿勢だったのが、徐々に前かがみになっていき、横髪がふらりと揺れた。歩みも遅くなっていく。


「リア、どうしたの」


 さすがに見過ごせなくて、私は立ち止まって訊く。

 リアは困ったような笑みで首を振って、姿勢をまっすぐに戻した。


「……ちょ、ちょっと靴擦れしただけ。ごめんね、すぐ追いつくから先に行ってて」

「擦れるような靴じゃないでしょ。体調悪いの?」

「そ、そんなんじゃ……うぅっ」


 そこで誤魔化す気力が切れたのか、リアは小さくうめいてしゃがみ込んだ。


「え、ちょっと、リア、大丈夫っ」


 私は息を呑んで、彼女の傍らに膝をつく。リアは自分の身を強く抱きしめ、額には汗が玉になって浮いていた。


「ごめん……痛い」

「え、ど、どこ?」

「おなか……おなかが、痛い、痛い、痛いよぉ、ううう……」


 大粒の涙がポロポロと地面に落ちる。

 異常に切実な声も相まって私はパニックになった。背中に手を置き、もう片方の手でリアのお腹をさする。


「痛いの……どこ? こ、ここらへん?」

「うん……キリキリ、する……こんな痛いの、初めて……」

「いつから? 今日の間、ずっと?」

「うん……でも、提出した、あたりから、一気に……」


 リアは苦しげに言う。

 もしかして、あの仰々しい議会場が醸し出す圧にやられてしまった?

 いや、リアは今までずっと弱いところを見せないよう、無理に強がってきた。その不安定な気持ちが限界を迎えて身体に出てしまったみたいだった。


「リア、今日はもう仕事休もう」

「で、でも」

「仕事なら私が全部やっておくから安心して。家はどこだっけ?」


 リアが地名を言う。私は頭の中で首都の地図を辿った。


「ちょっと遠いね。私の家の方が近いからうちに行こう。近所に薬屋もあるから、薬買ってきてあげる」

「ご、ごめんなさい……」

「いいよ。立てる?」

「……うん。お腹、触ってくれたから、楽になった……」


 リアがか細い声で言うので、私はドキッとした。


 いやいや……リアが苦しんでる時になにをドキッとしているんだ。

 私は自分を叱りつけ、できるだけ無心でさすってあげながら、身体を貸す。リアは息を荒く吐きながら、私の腕にひしとすがりつき、よろよろと立ち上がった。


 私はリアのお腹をさすってあげながら自分の家を目指した。周りから視線を感じるけど、恥ずかしいと思っている場合じゃない。


 リアのペースに合わせ、声かけを続けながら歩き、長い時間をかけて家に到着した。


「ここで楽にしてて。薬もらってくるね」


 リアを寝台に座らせて、薬屋に向かおうとすると、きゅっと手を掴まれた。


「行かないで……そばにいて……」


 弱りきった声だった。そんなもの、抗えるはずもなく私はすとんと寝台に座る。

 彼女はこてんと横になると、上目遣いにお願いしてくる。


「おなか、さすってくれると、痛くない、から……」

「……わかった」


 私は横たわった彼女のお腹をさすった。

 リアは、ふうふう、と辛そうに息を吐きながら、私の手の甲に指を添える。


「服の上からじゃなくて、直がいい……」

「い、いいの。私……アンデッドだから体温ないよ。冷えちゃうよ」

「いい。サイルに触られると、ほっとする……」


 気持ちがぐわんと乱れる。急激な浮遊感に、私は目をきゅっと閉じた。

 もう、どうしてくれる。こんな場面じゃなければ、もう……。


 と、私は目を見開く。こんな場面じゃなければ、もう、なに?


 ああ、私はこんな時になにを考えてる。


 邪念を頭の中から放逐すると、早くよくなって欲しいという一心で、ゆっくりとリアの服の下に手を差し込む。

 触れると、リアが小さく高い声をあげた。


「ひゃっ……ほんと、冷たい……」

「ご、ごめんね……でも、リアのおなか、熱持ってるからすぐ移ってくると思う」

「……不思議な感じ、する。硬いけど……柔らかくて……」

「私の身体、死蝋化してるの。脂肪が固まって硬めのチーズみたいになってる」

「チーズ……温めたらとけちゃ?」

「わかんない。やったことないから」

「そっか」


 次第に口数が減っていく。

 やっぱり冷やしたせいで、痛みが増したのかと心配していたら、そのうち、リアはすうすうと寝息を立て始めた。昨夜は眠れなかったのかも知れない。眠りに落ちるほど痛みが和らいだのなら、ほっと一安心だ。


 ただ、ぶり返すかも知れないから、薬は買っておかないと。

 そう思って腰を上げた時──私は、自分の家でリアが眠っているという状況に気がついた。


 一年前の自分にとっては妄想でしかなかった光景に、身体の芯から高揚してくる。


「……リア」


 私はリアと体温を分け合った手で、彼女の頬に触れる。


『わたし、あなたと働きたい!』


 彼女が私のもとへ走ってきて、そう言ってくれた時の嬉しさは、いつまでもこの身体に残っている。


 初めて見た時から、ずっと──私は憧れていた。


 立派なエルフになるために、そして子どもたちのために、いろんな不安を抱え込んで、虚勢を張って、生きた年月に関係なく、いつも頑張っている女の子。


 私はリアの寝顔を見下ろす。ようやく寛げたようなあどけない寝顔。


 ──浅い呼吸を通す、綺麗な唇。


「……」


 私は、じっと目を細めると身をかがめて、その唇に顔を寄せて──。


 息を止めて、目を閉じる。


 そして……ばっと顔を離した。


 できるわけない!


 私は逃げるように家を出た。外を大股で歩きながら猛烈に自己嫌悪する。

 もう、なにやってるんだ、私は。いくら大好きな人が家で眠っているからって、こんな、卑怯で、はしたないことを……。


 でも、この身体に脈打つ衝動は止められなかった。


 私は社会の中で暮らすアンデッドだ。社会というものが、子を生み、育てることで成り立っているのなら、その出会いを支える特別な感情を意識してしまうのは、当然のことで。


『実際、恋とかするの?』

『あ、えっと……憧れては、います』


 そう、いつか口にした台詞は本音だった。


 そして、今、私の中で──ふたつの憧れの区別がつかなくなってきている。


 リアと。

 恋と。


 ──ああ、あああああ……私は自分をなにかで覆い隠したくなった。


 こんなこと、アンデッドの私にあるはずないと思ってたのに。


 だけど、そうなってしまっているんだから、仕方ない。そうなんだ。


 私はリアに恋している。


 ただ、こんな想いを持たされてしまって、どうすればいいの。

 私に次の世代なんかない。私が恋をすることの意味なんてないし、それ以前に、この気持ちが本当に正しく恋かどうかもわからない。


 もう、なんなんだ。私は。なにがしたいんだろう。なんのために生きてるんだろう。


 無意味なだけならいい。でも、その無意味に誰かを──恋する相手を巻き込むなんて、ありえない……。


「おや、死にそうな顔をしてるね」


 苦しい気持ちを抱えたまま薬屋に入ると、薬師にそう言われて笑いそうになった。


「いえ、私はもう死んでいるので、ご心配なく……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る