第9話 第2節 エルフと成長期
戻ってきたばかりの教研部は閑散としていたけど、続々と派遣された職員さんが戻ってくるうち、あっという間に情報過多で落ち着きのない場所になってしまった。
なにせ半年以上に渡って各地の教育実態を追跡した資料が集まってきている。そのひとつひとつを紐解き、クラリスさんのくれたひな形に落とし込んだ上で、治部に提出する資料と一般に公表する資料を作成しつつ、並行して有識者を募って協議を行い「オーダイト学制」の原型を作ったり、模範校作りの設計検討や学校敷設の正式な公布の準備をしたり、やることは本当に山ほどあった。
そして、それぞれの行程が滞りなく進んでいるかチェックするのはわたしだ。
次々集まってくる書類がなんなのか把握するところからして大変で、そのうちサイルに判別用の印をつけてもらうほどだった。
とにかく一日が終わるのが本当に早い。例えば海浜地域の資料に目を通すだけでもう夜。全地域を把握するだけで一週間かかって、その間にも会議や意見交換会、治部との打ち合わせとかいう予定が山ほど入っている。
部署立ち上げの時の比じゃない忙しさだった。あの時のわたしなら心が折れて、泣きながらエルフのお姉さま方ばかりの古巣に戻っていたかも知れない。
それでも頑張れたのは、いくつか理由がある。
第一にはやっぱり実態調査で実際に子どもたちとお喋りした経験があったからだった。
わたしが出会った中でも、報告書の中でも、ほとんどの子どもたちはみんな学校に憧れていた。
実際的にいえば、文字の読み書きを学んだり、計算の訓練だとか、社会を生きるのに必要な能力を学ぶのは、どこの地域でも事欠いていない。
ただ、それ以上で学べることとなると、手の届く範囲を出ない。山岳地帯の子なら山のことばかりで、島嶼生まれなのに大人になるまで海を見ずに過ごすのがざらだ。
調査資料の中でわたしの目を引いたのが、平地の農村に暮らす子の報告だった。その男の子は海が大好きで、海の中がどうなっているのか、海の底がどんな形をしているのか、調査官に会うたび質問してきたとか。
その子の周りは農家ばかりで教えられる大人なんていない。その好奇心が満たされることがないのはかわいそうだ。
まあ……なんてのは、わたしたち大人視点の見方だってことを忘れてはいけない。
子どもたちは、みんながみんな勉強したいわけじゃない。座ってられない子とか、勉強が嫌いだって子もいる。親が怒るから渋々やっている子もいるし、先生にひどい悪口を言う子もいる。
そんな子でも学校には行きたいという。学校は勉強するための場所だから矛盾しているようだけど、子どもたちとってはどこか「自由にできるところ」というイメージがあるみたいだった。
家にいるのは退屈だし、親にいろいろ注意されたり、仕事を手伝わされたりするけど、学校にいる間は好きに遊べる。誰と遊んでいい。好きになにを言ってもいいし、ふざけてもいい。子どもは親の目を離れて、やりたいようにできる。
もちろん本当はそんな自由じゃないんだけど、そう思っているということが重要だった。
甘やかされ続けて森も街も飛び出したわたしは、子どもたちの気持ちに共感していた。学校は、家やご近所とは別の、もうひとつの居場所になる。わたしも小さい時に学校があれば、もう少し境遇を受け入れられたのかな、と思う。
ともかく、そういう声をこの耳で聞いた経験が、毎日、暗い道を帰って、夜警の人と顔見知りになるような生活を支えてくれた。
それと、職員のみんな。
最初はぎこちない感じだったけど、長い調査期間が刺激になったのか、いつの間にか戦友みたいな感情が芽生えていて、すごく積極的に仕事に取り込んでくれるようになった。
ある時、治部に急いでいたらハーピーの子が空をすっ飛んで、忘れ物を届けに来てくれた時は感動した。
クラリスさんの態度は相変わらずだけど手心は感じる。不備だらけの私を叱る時はいつも、誰もいないところを選んでくれた。「なんか人望があるから士気を損ねないように」と言っていたけど、わたしは優しさだと思う。
向き不向きを補い合って働くのが仲間だ、ってサイルは言っていた。
わたしの体感では、ただ欠けたところが埋まるだけじゃない、もっと大きな結びつきが生まれている。それがわたしの活力にもなっていた。
……ところで、サイルはわたしの二倍は働いていた。
朝から晩までいるわたしの二倍だから、文字通り、一日中だった。彼女の後ろ姿を見つつ退勤して、朝に出勤すると、当たり前のようにいて、なんてことのない様子で「おはよ」と声をかけてくる。
最初、その光景を見た時はパニックになった。
「な、なにしてんの! そんな量の仕事振ってないよね! 早く帰って休んで!」
すると、サイルはくすくす笑った。
「アンデッドにそんな指示する人初めてかも」
そういえば、アンデッドは不眠不休で働いても能率が落ちないんだっけ。
ただ、普通にわたしたちと同じように笑ったり、ものを食べたり、眠ったりする彼女を見てきたから、夜通し働かせるなんて非人道的なことに思えてしまう。
「やっておいた方がよさそうな仕事があると、ついやっちゃう性格なの。割と普通のことだから、慣れてもらわないと困っちゃうよ」
「そうは言っても、ううん……わたしの気が収まらないから、せめて朝ご飯はご馳走させて!」
「いいの? じゃあ、ありがたくご馳走されようかな」
食べなくても平気らしいけどサイルは喜んで食事をする。わたしといる時間を求めてくれているんだ、と思うとすごく嬉しかった。
そうして、サイルと朝ご飯を食べることが日課になった。忙しい日々の貴重な癒しの時間だった。
あとで確かめてみたら、サイルが夜にしているのは、わたしの業務を軽くするような作業だった。しなくていいのに……と思いつつ、それで予定通りの進行になっているので、複雑な気持ちだった。
ここまで助けられているんだ。
わたしが頑張らないとお話にならない。そんな一心で突き進んでいた。
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