第8話 第2節 アンデッドと晩酌乙女
夕飯を食べて、宿に戻る。リアは浴場に寄りたいと言い、入浴の必要のない(あと一緒に入るなんて恥ずかしくて無理な)私だけ先に戻っていた。
宿泊費は経費で落ちるけど、少しでも抑えたいからと相部屋にしていた。
ひとつの部屋に並ぶふたつの寝台を目にして、こんな妄想みたいな現実……と、いつも呆然としてしまう。
下心を抑え、今日の調査についてまとめていると、リアが戻って来た。お酒の瓶を抱え、つまみらしき包みを持っている。
珍しい。晩酌だ……一体どんな話をされるんだろう、と緊張してきた。
向き合うように寝台に座って、私も付き合う。白ワインとオイルサーディン。リアの好物だった。
「別に大したことじゃないんだけどね」
ちびちび魚をかじりながら、リアは切り出す。
「エルフって長く生きるけど、代わりに全然生まれて来ない種族なんだ。だから、たまに生まれてくると、森中のみんな喜んで、かわいいかわいいって甘やかされて育つの。それも、いくつになってもだよ」
こくこく、とお酒を飲み干し、赤みがかった顔で口を∧の形にする。
「わたしもいい加減、いい大人になったのにさ、よちよちかわいいね~って赤ちゃん扱い。こんなのもうやだ、って思ってたら、ちょうどこの案件の募集が回ってきて。これなら、って思って。一人前のエルフだって、周りのお姉さま方に認めてもらうために応募したの」
そこまで言い切ると「はあ、言っちゃった」とリアは顔を両手で覆った。
「もちろん、クラリスさんからいろいろ教わったり、子どもたちと喋ったりして、今はちゃんとした学校を作ろうって責任を持って、真剣に考えてるけど、根っこではわたし自身のため。……あはは、なんか、今考えるとすごく子どもっぽいね」
「そんなことは……」
私は今日の先生の話を思い出していた。エルフの精神的な成熟が遅いというのは、長い間、甘やかし続けるという文化的な背景があるのかも知れない。
「でも、結局、ミスばっかりで……わたし、サイルと一緒じゃなかったら、一体どうなってたんだろう……」
リアはそうぽつりと呟くと、突然ぱっと立ち上がり、私の隣にぽすっと座ってきた。
そのまま、驚く私の手をきゅっと掴んできてさらに驚かせ、今まで見たことないくらい切実な眼差しを向けてくる。
「だから、ねえ、お願い、サイル、わたし、絶対に成長して、誰にも甘やかされないくらい、立派なエルフになるから……それまでは見捨てないで」
私は驚いた。
いつも明るくて、自信に満ちて、優美に見えるエルフな彼女の、なんてあられもない姿──でも、きっとこちらの彼女が飾らない姿なのだった。できない自分に落胆して、孤独が怖くて、だけど、一人前に見られたいからひた隠して。
なんだか、そんな彼女が──とても、かわいらしく思えて仕方なかった。
え? 私は自分の情緒に混乱する。仮にもずっと年上の上司を、かわいいだなんて……お酒が入ってるから? でも、アンデッドの消化器官はざるだし……熱いのはきっと、リアの火照りが移ったからだ。
いくら呼吸を繰り返しても、うるうる瞳をうるませ私にすがりつく彼女が、どうしてもかわいく見えてしまってしょうがない。思わず撫でてしまいそうになる。
いや、子ども扱いが嫌だって言ってるのに、私がしてどうするの。なに考えてる。
「み、見捨てないよ」
私は努めて冷静に言った。
「職員とのコミュニケーションとか、子どもたちと仲良くするとか、私にできないことをリアは簡単にこなしてるし……種族ごとに向き不向きってあるんだよ。それを補い合うのは、仲間、として、当然のことでしょ?」
私たちの関係をどう言い表すか迷ったけど、結局、「仲間」に落ち着いた。
その響きにリアは少しぼんやりしたあと、目を細めて声をあげる。
「ううう! 嬉しい! ありがとう、サイル~!」
きゅう、と抱きついてくるので私は硬直した。ええ? 甘えんぼじゃない?
前に肌におしつけた温もりを上書きするように、リアは私にべったりくっつく。すごい。前、駅でされたハグなんか比じゃないくっつき具合だ。
やわらかいのに、しなやかで……お風呂あがりの石鹸の匂いが、さわさわ揺れる髪の合間から漏れてくる。
どうしよう……かわいすぎる……もっと、触れ合いたい。
でも、線引きがわからない。背中に腕回すくらいならいいよね。子ども扱いじゃないよね。対等だよね。普通に、スキンシップとしてアリだよね。こういう時の知識が流行の恋愛物語の中にしかないのが恨めしい。
おずおずと背中に腕を回すと、リアの身体はくったりと力が抜け、私の身体に張り付いた。
「んー、えへへ、サイルの触り心地、不思議」
リアが猫なで声を漏らす。途端に、胸のあたりがきゅっとなった。
──この人のことが愛おしすぎる。
私は、アンデッドの無感情なイメージに反して奇声を上げたいくらい高揚して、彼女のことを、もっと深く、もっと強く、抱きしめたかった。
ただ、どこでリアが嫌がる甘やかしになってしまうか、わからなくって、どうしてもそこから先には踏み込めない。うう。
甘やかされたくないって人に甘えられたらどうしたらいい?
答えはない。詰み。私は沈黙して、後のことは時間に委ねるしかなかった。
しばらくして、リアは大きく息を吐いて、私から離れた。
自分でも恥ずかしくなったのか、赤い顔で膝を抱え、困ったような表情をしている。
「あーもう、ごめん……三十歳過ぎてこんな感じじゃ、恥ずかしいよね……」
「ううん、私は全然……って、今なんて?」
ぽーっとした勢いで流しそうになったけど、聞き間違い?
ごくりと喉を鳴らす私に、リアは苦笑する。
「え、わたし三十二歳だよ。サイルと四つ違い」
「……ああ、そう、なんだね」
衝撃が大きすぎて、思わず無感情な声が出てしまった。
え? ええ? 三十二? 絶対百は越してると思ってたのに、そんなに若かったの?
私は激しく動揺しつつも、一方で頭の冷静な部分が思考を巡らせていた。
確かに、それなら、リアに関してのいろいろなことが説明がつく。
「ステラ・テーブル」の先生曰く、エルフの精神的な成熟度合いは、五十歳で人間の十八歳相当という。その感覚でいえば、リアの正味の年感は十二、三歳程度になる。
頭の中、点が線に繋がっていく。甘やかしに対する反発的な態度、私に対してフラットな言葉遣いでいいと提案してきたこと、仕事の詰めの甘さ、子どもとの距離感、素を見せた時の愛らしさ──。
少女だ。
この人は、年頃の女の子なんだ。
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