第7話 第2節 エルフと失敗の友
もう、ダメダメだ。体裁を守るので精一杯で、なんにも周りが見えていない。
いや、すでにうんざりさせちゃってるんだから、そんな体裁も守る意味ないのに。
これじゃあ、いつサイルに愛想を尽かされてもおかしくない。確かに三十年も生きてこんなんじゃあ、お姉さま方も表に出したくないよね、と納得してしまう。
でも──ずっと落ち込んでいるわけにもいかない。
わたしはカバンから手帳を引っ張り出すと、今日の失態を書きつける。
失敗:切符を忘れた
原因:カバンの移し替えそこねた
改善策:チェックリストを作る。それか、頭の中でシミュレーションする
コメント:本当に最悪。あのサイルが呆れてた。もう絶対繰り返さない
「はあ……」
わたしは天井を仰いで溜息をつく。この失敗手帳も、この三か月で半分も埋まってしまった。
あー、はやくこんなの必要ないくらいにはなりたい。でも、この分だと、二冊目突入も時間の問題だ。
なんて、ぷかぷか物思いにふけっていた時、太腿になにか触れるのを感じた。
「きっぷ、わ、す、れ、た」
突然、わたしの失敗を読み上げられ、びっくりして見下ろすと、小さな女の子がわたしの手帳を覗き込んでいた。わたしを見上げてにっと笑う。
「きっぷないと、のったらだめだよ」
「知ってるよ。だからわざわざ買い直したの」
「ふうん。ま、そういうこともあるよ」
なんか慰められた……じゃなくて、どこの子?
ボックス席の向かいを見ると、この子の両親と思しき人間の男女がすやすや眠っている。動揺しててよく見てなかったけど、お母さんの膝に座っていたのを、退屈してこっちに移ってきたみたいだった。
「慰めありがと。元気でたよ。というかすごいね、文字読めるんだね」
「うん。トルト先生から教わったの」
「先生……その人がおうちに来て教えてくれるの?」
「ううん。公園で遊んでるとたまに来て、棒で地面に書いてね、お勉強する」
「へえ……?」
さっそく教育実態が出てきた。子どもたちが文字通り、地面に這いつくばって勉強してるなら、確かにはやく学校を作らないと駄目かも。
「学校って知ってる?」
わたしが訊ねると女の子はぴょんと手を挙げた。
「知ってる! はいはいはい! ってやるところ!」
「な、なぁに、それ」
「知らないの? 手あげるんだよ。そしたら立って、1たす2は3です、っていうの」
「あはは、そうなの」
サイルも言っていたけど、他国から入った本には学校の様子が書かれていることがある。この子が言っているのは、そういう情報なんだと思う。
「もしオーダイトに学校ができたら、行きたい?」
何気なく訊ねたつもりだったけど、その瞬間、女の子はぱっと顔を輝かせた。
「うん! いきたい!」
「あ、そうなんだ! どうしてそう思うの?」
クラリスさんと話していると大人目線でのことばかりになるので、子ども自身の思わぬ熱意にわたしは圧されてしまった。
「学校いってたくさん友達作るの。あと、山のぼる。海は泳いでやってもいい」
女の子はうきうきと話す。そっか、そういうイメージなのね。
「叶うといいね」
「うん!」
それから、わたしは女の子とお喋りして過ごした。
最近は「ちゅうもく!」と言うのが流行ってて、砂糖をぷっくり膨らませたお菓子を食べるのにハマってて、レンちゃんのお父さんがたくさんくれたお芋を、料理のために毎日踏んで潰してて、足の裏がめっちゃお芋臭い。
その子と話す時間はあっという間で、気づいたら目的地に到着していた。目を覚まし、バイバーイと手を振る女の子と、しきりにお礼を言ってくる両親と別れて、駅に下りる。
「楽しかった……」
恥ずかしい話だけど、この子と話して初めて、わたしは自分が一体、どういう仕事をしているのか理解できた気がする。
オーダイト島嶼に生まれた全ての子どもたちが通う学校。
その先の未来を左右する大事なものを、わたしはしっかり作り上げる責任があるんだ。
それなのに、こんな失敗で落ち込んでる場合じゃない!
「リア、お待たせ」
しばらくしてサイルがやってきた。わたしは待合椅子から立ち上がる。
「ごめんね、私が先に来ちゃって……がっかりしたよね、こんなポカばっかりで……」
──でもね、わたし、これから失敗は絶対になくしていくから、見捨てないで!
そう力説しようとお腹に力を込めた瞬間。
「ち、ちがうのっ」
サイルが大きな声を出してきたので、込めた力も吹っ飛んでしまった。
「ち、違う……って?」
わたしが恐る恐る訊ねると、サイルは旅装の襟をくいっと立てて顔を半分隠すと、視線を逸らしながら言う。
「その、『仕方ないね』って言っちゃったのは……わ、私が……リアと一緒に列車で出かけるのを、楽しみにしてたから……だから、ちょっと残念で……」
「……え?」
「仕事なのに旅行気分で、勝手にいじけて、リアを動揺させてしまって、ごめんなさい」
わたしの胸の中に、いろんな気持ちがどっと押し寄せた。
落ち込んでたのがバレてた恥ずかしさと、でもそんなに楽しみにしてたんだという嬉しさと愛らしさと、思わず口に出しちゃうくらい、別々で行くのが残念だったんだという申し訳なさと、でもこうして打ち明けてくれた健気さと──わああ!
「よ、よかったあぁ!」
結局、一番強かったのは安心だった。思わずふにゃふにゃな声が出て、サイルに抱きついてしまう。
と、わたしは不思議な感触に包まれる。ひんやりしていてほそっこいけど、しっかり芯が通ってるような。そっか、本当にアンデッドなんだ。わたしは今更のように実感する。
サイルは、わたしをどう感じているんだろう……。
「ちょ、ちょっと、そ、そんな突然……」
そんな感慨に耽るわたしの腕の中で、サイルがわたわたしていた。その様子がかわいくて、ひとしきりぎゅーっとしてから、身を離す。
「悲しい思いさせてごめんね。もう二度とこんな失敗しない。約束する。あと……出張中は、できるだけ一緒に過ごそうね」
「う……うん」
サイルは微笑を浮かべてうなずいた。その表情に、わたしは胸がきゅっとなる。
控えめだからこそ、その奥にじんと響く、彼女の嬉しさが伝わってくる……気がして。
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