第5話 第1節 エルフと年下の先輩の部下
「ほ、ほんとだ……年下だあ……」
わたしは彼女、サイルさんの応募書類を見ながら唸った。年齢には
なぜか、わたしは彼女が同い年だと勘違いしていた。
そしてもって、彼女は年齢カウントが始まった瞬間から働いているはずなので、職歴も同じ期間に渡る。つまり、二十過ぎで里を出たわたしよりも就職歴が長い。
つまり、年下の先輩の部下──。
ややこしい上に、ちょっとまずい。なんか偉そうなこと言っちゃった気がする。うわあ、恥ずかし……。
長命種同士で生まれた年が被るなんて奇跡みたいなものなのに、どうしてそんな思い込みを……と頭を抱えそうになったけど、あれ? よくよく考えると、長い目で見れば四年なんて誤差みたいなもの? 気にすることもない?
むしろ──もっと踏み込んだ方がいいんじゃない?
「教育担当官」
「あ、はいっ!」
声がかかって、慌てて書類を引き出しに突っ込んだ。
見ると、当のサイルさんがわたしの向かいに立っている。
「採用決定者への通達手続きが済みました。こちらリストです」
「ありがとう……助かる~」
わたしはリストをありがたく受け取った。候補者の情報が、印刷かと思うくらい丁寧にびっしり書かれていて「わあ!」と叫びそうになった。
サイルさんは庶務の鬼だった。頼めばなんでもてきぱきガンガンやってくれる。
アンデッドはそういうのがすごく得意な種族らしい。休憩や睡眠をとらずとも、全く仕事の効率が落ちないんだとか。首都の薬屋で『アンデッド薬』という、うんと強い強壮剤を見かけたことがあるけど、そういう由来だったんだ。
ともかくサイルさんの採用は、わたしの想像以上にハマっていた。ふと初対面の時のやりとりを思い出して、サイルさんの応募書類を見返す余裕ができたくらいだ。
「それでは、失礼します」
「あ、ちょっと待って」
ぬるりと去っていこうとするので、わたしは慌てて呼び止める。
サイルさんはぴたりと足を止めると、同じ位置にすたすた戻ってきた。
「不備がありましたか?」
「う、ううん、完璧だから大丈夫! それとは別に、その、言葉遣いについてなんだけど、わたしたち、長命種同士でさ、長く密に付き合っていくことになるわけだし、もっとフラットな感じでやり取りしない?」
「ふらっと……とは?」
「今わたしがしてるみたいな楽な喋り方のこと。例えば、わたしのこと肩書じゃなくて、名前で呼ぶとかね」
正直、教育担当官、と仰々しく呼ばれるたび、なんか背中がぞわぞわする。
だからそう提案してみたんだけど、サイルさんは露骨に困惑した表情を見せた。
「そ、そんな馴れ馴れしいこと……治部の方々もどう思うか……」
想像よりずっと手ごたえが鈍くて、わたしは慌てた。
「だ、大丈夫! わたし自身は楽に接してくれた方が話しやすいし、役人さんたちもあんまり興味ないと思うから」
「で、でも……」
サイルさんは困り眉をして言い淀み、わたしの中でますます焦りが広がる。
も、もしかして、普通に嫌だった? 上下関係ははっきりさせておきたい方?
どっちにしろ、ここまで困った様子をされると無理強いはできない。
「ご、ごめんね。ただの思い付きだから、難しいならそのままでいいよ」
急いでそう言い添えるけど、サイルさんは視線を落としている。
ど、どうしよう……なんてことのない思いつきで、早くも関係がこじれちゃうかも知れない。背中にダラダラ汗が伝い始める。
緊張するわたしに、やがて、サイルさんは顔を上げてとつとつと言った。
「い、いえ……せっかく提案してくれたので……頑張って、みる」
その様子はまるで、重たい道具をふんぬ、と必死に持ち上げる小さな子みたいで。
……かわいい。
そんな気持ちが、ふわっとした風が通り過ぎるように、わたしの心の中をよぎった。
あれ、もしかして──これ?
ルヴさん初め、エルフのお姉さま方特有の、なんでもかんでもかわいがりたくなる本能。わたしにもしっかり搭載されてたんだ……。
いやでも、サイルさんは実質同い年だし、仕事仲間だし、そんなことを思っちゃいけない。
わたしは強いて頬が緩まないように、言った。
「ふふ、かわいい」
「えっ」
「あ」
あ。
まずい。出ちゃった。からかってるみたいになっちゃった。
取り繕おうと言葉を探しても、頭の中が取っ散らかっていて、全然どうしようもない。
硬直するわたしに対して、サイルさんはびっくりしたように目を大きくしていたけど、やがて、両手でしずしず口を覆い隠して小さな声で言う。
「あ、ありがとう……」
お、お礼? いいの? 今のでよかったの?
すごい。コミュニケーションって全然わからない。でもまあ、喜んでもらえたなら嬉しい。
「こ、こっちこそありがとう! もろもろ! じゃ、じゃあ引き続き、よろしくね」
「う、うん……次は教育実態調査の資料、やっとくね………………リア」
サイルさんはぴゅっとその場を去った。え。なんだそりゃ。うわあ。
わたしは頭痛がするみたいに頭を抑えてしまった。うう、辛い。あんなの、かわいすぎる、今すぐ抱きしめてあげたすぎる……。
思えば彼女を採用したのも、どこか助けてあげたいような、その不思議な儚さに惹かれたからだった。もちろん、実務経験も加味してのことだけど──こんなところで、エルフの本能が覚醒するとは思わなかった。
これは本当によくない。対等な相手として見なくちゃ。
わたしは深呼吸して、自分のやるべきことを見直す。
ひとまず採用者は固まって、部署に人手は集まりそうでほっとする。
面接で任期についてめちゃくちゃ問い合わせがあったので、途中退職も許容ということになり(この後手後手の判断もクラリスさんに呆れられた)、八割方人間のよくある職場の風景になりそうだった。
まあ、よくあるといっても聞いた話で、わたしにとっては未知の世界だ。
ここにエルフはわたしだけ。ここから本当の意味でわたしの独り立ちがスタートする。
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