第5話 第1節 エルフと年下の先輩の部下

「ほ、ほんとだ……年下だあ……」


 わたしは彼女、サイルさんの応募書類を見ながら唸った。年齢には不死帳アンデッド・ブック記載期間という注釈付きで二十八とある。わたしの四つ年下だ。


 なぜか、わたしは彼女が同い年だと勘違いしていた。

 そしてもって、彼女は年齢カウントが始まった瞬間から働いているはずなので、職歴も同じ期間に渡る。つまり、二十過ぎで里を出たわたしよりも就職歴が長い。


 つまり、年下の先輩の部下──。


 ややこしい上に、ちょっとまずい。なんか偉そうなこと言っちゃった気がする。うわあ、恥ずかし……。


 長命種同士で生まれた年が被るなんて奇跡みたいなものなのに、どうしてそんな思い込みを……と頭を抱えそうになったけど、あれ? よくよく考えると、長い目で見れば四年なんて誤差みたいなもの? 気にすることもない?


 むしろ──もっと踏み込んだ方がいいんじゃない?


「教育担当官」

「あ、はいっ!」


 声がかかって、慌てて書類を引き出しに突っ込んだ。

 見ると、当のサイルさんがわたしの向かいに立っている。


「採用決定者への通達手続きが済みました。こちらリストです」

「ありがとう……助かる~」


 わたしはリストをありがたく受け取った。候補者の情報が、印刷かと思うくらい丁寧にびっしり書かれていて「わあ!」と叫びそうになった。


 サイルさんは庶務の鬼だった。頼めばなんでもてきぱきガンガンやってくれる。

 アンデッドはそういうのがすごく得意な種族らしい。休憩や睡眠をとらずとも、全く仕事の効率が落ちないんだとか。首都の薬屋で『アンデッド薬』という、うんと強い強壮剤を見かけたことがあるけど、そういう由来だったんだ。


 ともかくサイルさんの採用は、わたしの想像以上にハマっていた。ふと初対面の時のやりとりを思い出して、サイルさんの応募書類を見返す余裕ができたくらいだ。


「それでは、失礼します」

「あ、ちょっと待って」


 ぬるりと去っていこうとするので、わたしは慌てて呼び止める。

 サイルさんはぴたりと足を止めると、同じ位置にすたすた戻ってきた。


「不備がありましたか?」

「う、ううん、完璧だから大丈夫! それとは別に、その、言葉遣いについてなんだけど、わたしたち、長命種同士でさ、長く密に付き合っていくことになるわけだし、もっとフラットな感じでやり取りしない?」

「ふらっと……とは?」

「今わたしがしてるみたいな楽な喋り方のこと。例えば、わたしのこと肩書じゃなくて、名前で呼ぶとかね」


 正直、教育担当官、と仰々しく呼ばれるたび、なんか背中がぞわぞわする。

 だからそう提案してみたんだけど、サイルさんは露骨に困惑した表情を見せた。


「そ、そんな馴れ馴れしいこと……治部の方々もどう思うか……」


 想像よりずっと手ごたえが鈍くて、わたしは慌てた。


「だ、大丈夫! わたし自身は楽に接してくれた方が話しやすいし、役人さんたちもあんまり興味ないと思うから」

「で、でも……」


 サイルさんは困り眉をして言い淀み、わたしの中でますます焦りが広がる。

 も、もしかして、普通に嫌だった? 上下関係ははっきりさせておきたい方?

 どっちにしろ、ここまで困った様子をされると無理強いはできない。


「ご、ごめんね。ただの思い付きだから、難しいならそのままでいいよ」


 急いでそう言い添えるけど、サイルさんは視線を落としている。

 ど、どうしよう……なんてことのない思いつきで、早くも関係がこじれちゃうかも知れない。背中にダラダラ汗が伝い始める。


 緊張するわたしに、やがて、サイルさんは顔を上げてとつとつと言った。


「い、いえ……せっかく提案してくれたので……頑張って、みる」


 その様子はまるで、重たい道具をふんぬ、と必死に持ち上げる小さな子みたいで。


 ……かわいい。


 そんな気持ちが、ふわっとした風が通り過ぎるように、わたしの心の中をよぎった。

 あれ、もしかして──これ?

 ルヴさん初め、エルフのお姉さま方特有の、なんでもかんでもかわいがりたくなる本能。わたしにもしっかり搭載されてたんだ……。


 いやでも、サイルさんは実質同い年だし、仕事仲間だし、そんなことを思っちゃいけない。


 わたしは強いて頬が緩まないように、言った。


「ふふ、かわいい」

「えっ」

「あ」


 あ。


 まずい。出ちゃった。からかってるみたいになっちゃった。

 取り繕おうと言葉を探しても、頭の中が取っ散らかっていて、全然どうしようもない。


 硬直するわたしに対して、サイルさんはびっくりしたように目を大きくしていたけど、やがて、両手でしずしず口を覆い隠して小さな声で言う。


「あ、ありがとう……」


 お、お礼? いいの? 今のでよかったの?

 すごい。コミュニケーションって全然わからない。でもまあ、喜んでもらえたなら嬉しい。


「こ、こっちこそありがとう! もろもろ! じゃ、じゃあ引き続き、よろしくね」

「う、うん……次は教育実態調査の資料、やっとくね………………リア」


 サイルさんはぴゅっとその場を去った。え。なんだそりゃ。うわあ。

 わたしは頭痛がするみたいに頭を抑えてしまった。うう、辛い。あんなの、かわいすぎる、今すぐ抱きしめてあげたすぎる……。


 思えば彼女を採用したのも、どこか助けてあげたいような、その不思議な儚さに惹かれたからだった。もちろん、実務経験も加味してのことだけど──こんなところで、エルフの本能が覚醒するとは思わなかった。


 これは本当によくない。対等な相手として見なくちゃ。

 わたしは深呼吸して、自分のやるべきことを見直す。


 ひとまず採用者は固まって、部署に人手は集まりそうでほっとする。

 面接で任期についてめちゃくちゃ問い合わせがあったので、途中退職も許容ということになり(この後手後手の判断もクラリスさんに呆れられた)、八割方人間のよくある職場の風景になりそうだった。


 まあ、よくあるといっても聞いた話で、わたしにとっては未知の世界だ。

 ここにエルフはわたしだけ。ここから本当の意味でわたしの独り立ちがスタートする。

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