3. 朝のあいさつ

 午後8時ちょうど、二人はファミレスを出た。

 派手な看板の黄色やピンクのライトがちらつく繁華街を歩く。居酒屋、焼き鳥、ラーメン、カラオケ、キャバクラ、出会いカフェ、DVD鑑賞ルームなど。遊ぶお金を持っている人にとっては、楽しい場所なのだろう。

 拓司はアカネにナビされるまま、アカネの半歩前に立って彼女をガードしつつ歩いた。四方八方を常に警戒し万が一の事態に備えるのは警備員の基本だ。

 進むうちにだんだんと派手な看板はまばらになり暗闇の割合が増す。そんな薄暗い中に細い路地があり、高い建物に囲まれた小さな古いビルが見えた。

「そこ。緑色の看板があるビルの、二階です」

 緑色の看板には黄色い文字でマッサージの料金表が書いてある。エレベーターは無く、二人は階段で2階に上がり、何語なのか読めない文字で書かれた小さな看板を掲げるドアの前に立った。正式には何屋なのかよくわからない。

「よかった、ここまで来たら大丈夫」

 アカネは慣れた手つきでドアを開けた。

「タクさんも中に入って、待っててください」

 拓司は、魔法の杖を修理する店と聞いて、骸骨が並んでいたり、ヘビが吊るされているような、恐ろしい魔法の館を想像していた。しかしドアを通って中に入るとそこは蛍光灯に照らされて明るく、商品がきちんと整理して並べられていた。

 ただ、どの品物も、何かの道具や器具のようではあるが、何なのかよくわからない奇妙な形をしており、商品の説明のフダの文字も読めない。

 拓司はコートのポケットに手を入れ、棒立ちになって店内の様子を眺めながら、アカネを待った。アカネは店主らしき年配の女性と話し、魔法の杖について相談している。

「すぐ直るって!もう少し待ってて」

 振り向いたアカネに、拓司は笑顔でうなずいた。よかった。

 間もなくして杖の修理は終わり、アカネは拓司の目の前に杖をかざして見せた。

「よーし完了!魔法の杖の復活よ!どう?傷はなくなってるでしょ?」

 拓司は杖に顔を近づけて、よく見た。傷はどこにも見当たらない。

 じっくり見ているうち、ふいに、眠気が襲ってきた。

 連勤の疲れと睡眠不足が一気に出たのか。ガツンと来る強烈な眠気だ。

「あ、ちょっとタクさん、大丈夫?」

 心配するアカネの声に、何か答えようとした。しかし何も言葉にならず、拓司はそのまま意識を失った。


 再び目を覚ました時、拓司は仰向けに寝ていた。

 視界いっぱいに空が広がっている。

 朝だろうか、夕方だろうか。夜の紺色がうすい青を経て朱色に続くグラデーション。

 頭はもうろうとしている。何だろう、ここはどこだろう。

 起き上がってみた。

「おや」

 周りを静かに水が流れている。川らしい。

 拓司は自分が小さな木舟に乗っていることに気づいた。

 川の流れはごく穏やかだ。空が朱色に染まっている方向が川上で、空がまだ夜である方向に向かって流れている。

 木舟もゆっくりと、夜のほうへ流されていた。

 オールがついている。

「へえ」

 面白そうなのでちょっと漕いでみる。ひと漕ぎするごとに舟は川上のほうへ進んだ。

 楽しくなる。拓司はオールを漕ぎ続けた。

空の朱色は、どうやら朝焼けらしい。力をこめて漕ぐごとに、舟は夜から遠ざかり、朝に向かって進んでいく。

 あっちは明るい。暖かい。朝の方向に漕ぎ続けていこう。

だが、すぐに苦しくなる。つらい。漕ぎ続けるのはつらい。しまいには、ひと漕ぎするごとに、うめき声が上がるほどつらくなってきた。

 漕ぐのをやめてみる。一気に楽になった。

 漕ぎ進めることをやめると、舟はゆっくりと自動的に、夜のほうに流されていく。

 おそらくこのまま流されていくと、最後には、夜の闇に飲み込まれてしまうだろう。

 それがどういうことなのか、想像できる。闇に飲まれる苦しさと痛みは壮絶なものだ。それにそこまで行ってしまったら、もう戻ってくることはできない。

 恐ろしくなって、拓司は再び漕ぎだした。つらい。苦しい。しかし漕ぎ続ければ、舟は明るい朝に向かって進み、恐ろしい夜の闇から離れることができる。

 どんどん苦しくなる。やめたい。やめてみる。楽になる。闇に落ちていく。こわい。また漕ぐ。苦しい。やはり漕ぐのをやめる。

 闇に飲み込まれてしまったら終わりなのはわかっている。しかし、漕ぐのをやめる安らぎ、闇に向かっていく心地よさに抵抗するのは難しい。その先に壮絶な苦痛が待っているのはわかっているのに、落ちていく流れに逆らえない。

「タクさん、ダメ!」

 誰かが呼んだ。舟の上から、キョロキョロとあたりを見る。

 近くの岸辺に、アカネがいた。

「オールを漕いで!こっちに来て」

「アカネさん」

 拓司は嬉しくなって、力強くオールを漕いだ。

「そうそう!大丈夫、しっかり漕いでここまで来て!」

 やはりつらくなってきた。苦しくなってきた。オールを漕げない。やめたい。やめるのは心地よい。

「ダメよ!そうじゃないでしょ!漕ぐの!闇に飲み込まれたいの?」

(そうだ。闇に飲み込まれるわけにはいかない。)

 拓司は一心不乱にオールを漕いだ。とにかく漕いだ。

 ある程度の勢いがつくと、だんだん漕ぐのが楽になる。強くひとつ漕ぐごとに、 次のひと漕ぎが軽くなる。

「そうよ、すごい!その調子」

 岸にいたアカネは、ひざまで川の水につかって、舟の上の拓司に向かっていっぱいに手を伸ばした。

 もはや落ちていく心地よさの誘惑は感じない。拓司は休むことなく漕いだ。

「やったあ!」

 拓司は、アカネが伸ばしてくれていた手につかまった。アカネはそれを一気に引っ張り、二人はもつれあって岸の上に倒れた。


 拓司は、目を覚ました。

 ガバッと跳ね起きる。

(ここはどこだ?)

「あ、よかった起きた起きた」

 アカネの声がした。

「おう・・・ここ、どこだっけ。何してたんだっけ」

「池袋。魔法の杖を修理してくれたお店のビルの、屋上ですよ。タクさん、修理ができた杖を見たとたん、倒れちゃって。ただ寝てただけみたいだったから、お店の人に頼んでベッドで寝かせてたんだけど、タクさん、明け方にいきなり飛び起きて、屋上までかけ上がって行っちゃって。それでまた、バタン、てここで倒れて」

「そ、そうか、ごめん。変な夢みてた。川が流れてて・・・」

 周りを見る。なるほど確かにビルの屋上らしい。フェンスに囲まれ、物干し竿の台と水のタンクがある。

 目の前の空には、うっすらピンク色の朝焼けがビル群の上に太く荘厳な一本のラインを引いていた。

「強い力を持ってる杖だから、タクさんにはへんなふうに影響しちゃったのかも。疲れてたし寝てなかったし。わたしのほうこそごめんなさい」

「あ、昨日の今頃もおれたち、ごめんとか大丈夫とか言ってなかったっけ」

「そうだ、駅のホームでぶつかってたね!」

 アカネは弾けるように笑った。

 舟を漕ぐ夢は、恐ろしい夢だった。アカネのおかげで助かった。夢の中とはいえ・・・

 拓司はひざを抱えて座り、朝焼けを見つめた。

 そのとなりにアカネも同じくひざを抱えて座る。

「もうすぐお日様が昇るのかな。見えるかな」

「そうだな、たぶん。あー。疲れた。今日は日勤じゃないから、帰って寝る。寝まくる」

 アカネは拓司の肩をぽんぽんと叩いた。

 拓司がアカネのほうを振り向くと、

「おはよ」

 と、アカネは微笑んだ。

 なぜかじわっと泣きそうになった。

「お、おはようじゃねーよ。夜勤と日勤と続けて、そのあとまたこんなところで悪夢にうなされて。一日の区切りがどこにもない」

「でも、朝だよ。夜の続きじゃないんだよ。新しい真っ白な1ページ。だからおはよ」

 拓司はすこし驚いたようにアカネの顔を見た。夢で見た、拓司の手をつかんでひっぱってくれた時の笑顔と同じ笑顔だ。

「うん。おはよう」

「いえい!」

 アカネは片手で小さなハイタッチを求めた。拓司は苦笑しながらそれに応じた。

 太陽の光の最初のひとすじが二人を照らす。


おわり

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おはよ 中本則夫 @atta-k

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