第26話 私は歯車

 来歌の心臓は、先ほどまでの何倍もの早さ大きさで打ちはじめ、事の重大さを脳より先に伝える。


 彼だ。


どんどん近づくに連れて、血管が青く透けるほどの色白だと分かる。


身長は190cm近くあり、広い肩幅の上に小さな頭が乗っている。手足も長くモデルのような体型でとても目立つ。


 ウノ人には褒められそうな印象しかないが、この体型もルナリア人の目には不気味に映るのだろうか。


横に長く大きな二重の目には、黄金色から金色に光る瞳があり、ふさふさの白いまつ毛が生えている。眉と目の幅がかなり狭く、ほりが深かい。鼻柱は細く女性的だが唇はぽってりと男性的だ。


 初夏の今にも沈みそうな夕陽に照らされ、髪は輝き、顔に落ちた影がより一層美しさを引き立てる。


 来歌にはその歩みも、髪一本一本揺れる様も、全てがスローモーションに見えた。

あまりにも美しい。

渚が写真を見て、ファイナルファンダズィみたいと言った理由が分かるほど、現実味がない人間で、来歌が生きて見た中で1番綺麗な生き物だった。


「格好良すぎる……」


 生で見るディミトリの迫力に来歌が思わず呟くと、前を通り過ぎようとしたディミトリが「え?」

といって振り向く。


 来歌はあまりのことに、姿が見えていないことを忘れていたのだ。

しかし、口を開けて馬鹿みたいな顔で突っ立っていたので、見られなくて幸いだったとも言える。


来歌は頭まで響く心臓の爆音と手の震えを抑え、

声をかけた

「あっ……驚かせてしまってすいません」


 声も震え、顔や耳がじんじんと熱くなり、目が潤むのが分かる。

恥ずかしい、怖いと感じていたが、来歌にはあと少しの時間しかない。震える手で思いきって透明コートのスイッチを切った。

 

 「うわっ!」


とディミトリは声をあげた。 


ディミトリからすると、女性の声が聞こえたと思った途端、目の前に突然人が現れたことになる。


逆光になり、来歌の顔は良く見えておらず、目を細めてこちらを確認するのだが、その顔すら格好良いと惚れ惚れしてしまう。


何か言わないと、と思って服をグッと掴み考えていると、向こうが口を開いた。


「もしかしてウノ人のハーフの人……?」


 低めの声で、囁くように口元だけで話すので、必死に聞き取ろうと耳を澄ませた。


「え……あ、はい!ウノ国から来ました」


「一人で?珍しいですね……たまに親戚やガイドの人とお忍びでくる人はいるけど」


来歌は思わず、はいと答えてしまい、ハーフだと嘘をついたことになってしまった。


「あ、あの……」


もっとウノ人だと驚かれたり、運命を感じて感動の出会いになったりするのかと思っていたのに、普通に会話できてしまい、戸惑ってしまう。


 今の私は、彼に何が言いたいんだろうか。


来歌はギュッと目を閉じて答えを絞りだす。


「…………動画で貴方を見て、す、す、素敵だなと思って会いに来ました!!!」


相手は黙っている。


沈黙が数秒流れ、来歌が伏せていた顔をあげると、驚愕の表情を浮かべたディミトリがいた。目を大きく開け、口を軽く開けている。


「えっ……動画?……すてき?……」


 驚いても、ウィスパーボイスなのには変わらなかった。


 突然スイッチが入ったようにこちらに向かって歩いてくると、ウィスパーボイスの早口で慌てたように話す。


「見た目ウノ人なんですよ?そんな大声で注目されるとマズイです……僕、そこで働いてるので、こっちにきて下さい」


ディミトリはカンカンカンと音を立てて、鉄骨の階段を登っていく。


急いで来歌もついていく。階段は腐食が進み錆びだらけで、手摺を持つのも憚られた。


 ディミトリは鍵を開け、中からドアを支えると「どうぞ」と消え入りそうな声で言った。


暗い室内にいる灰色がかった彼も最高に格好良い!と来歌の動悸は一向に収まらない。


 店内は、あまり丁寧に清掃されていないのか、カビと珍味のような食べ物の匂いが鼻をついた。

大きなカウンターと、二人用の座席が二組ある少し広く感じるバーだ。


 ディミトリはカウンターの客側のスツールに腰掛けた。余った長い脚を片方はスツールにひっかけ、片方は前に伸ばす。

 来歌は座るでもなく、その前に突っ立っている。


「で……動画って何ですか?……僕にとってすごい問題なんですが」


その言葉を聞いて、来歌は心が痛くなった。


自分が伝えた素敵だって想いより、そっちが大事なんだと辛い気持ちになり、同時に

「彼は私に運命を感じたりしてない」

と気づいた。


今もこんなにもドキドキして、会ってもやっぱり好きだと感じているのに、彼は雷に撃たれるどころか、こちらを見ようともしてない。


 でも何かの可能性にかけたい……でないと自分が壊れてしまうような気がする。


 「あ……これです……」


と、スマホに動画のスクリーンショットを映して見せると、ディミトリはスマホに手を軽く添え、しっかりと見た。


何回も動画を繰り返して見て、良いなと思っていたディミトリの大きな手は、少し冷たかった。


真剣に画面を見つめる彼を盗み見ると、泣きたい気持ちになってくる。


 これはなんの物語なの。


「これ……ウノ人向けのインタビューだったんだ……僕は映ってないと思ってた……」


 ようやく来歌に目線を向ける。


物語を少しでも良いものにしたいと思った来歌は、正直に話した。


「これを見て、格好良いなと思って……絶対に会おうと思って来たんです……私……ハーフじゃなくて、純粋なウノ人です」


 これは愛の告白でもあるが、自分が不法入国をしましたという告白でもある。


「待って……!情報が多すぎる……!あの……さっきも聞き間違いだと思ってたんですが……ぼ……僕がかっこいい?」


 トモキの言う通り、ディミトリは信じられないといった顔をしていた。

ではトモキの言う通り、私は女神様に見えているのだろうか。


「……はい!すごい格好良いですよ!正直ウノ人の女性には、かなりモテると思います」


 ぺしゃんこになりそうな心を持ち上げ、今できる精一杯の笑顔と、明るい声を出す。


「…………信じられない……」


 顔を右に向け、空を見るディミトリは更に美しかったが、困惑を隠せていなかった。


「……純粋なウノ人ってことは、違法に入国してきたっことですか?ていうかなんで僕がここで働いてるって分かったんですか?貴女は誰?それとも全部嘘なんですか?」


店内の退廃的な雰囲気に似合う鋭い瞳で矢継ぎ早に問い詰められ、このままでは全て終わってしまうと、来歌は考えを巡らせていた。


「ディミトリさん落ち着いて……!」


「なんで名前を知ってるんだよ!!!!」


高身長の異星人の男性に間近で怒鳴られ、来歌は一瞬思考が停止してしまう。


好きな人に疑いの目で見られ、本当に何をしに此処にきたのか分からないと、泣きたい気持ちになりようやく声が出た。


「……ガイドの人がディミトリさんの幼馴染だって……名前知ってて……それで」


「幼馴染?いない、学校では1人だったから」


それも嘘なのか、という目で来歌を見るディミトリに、来歌は疑いをはらすために必死で言い返した。


「本当です!妹さんがいるとか、よく一緒に木登りしたとか聞きました!小学校に入った時は……」


「ちょっと待って!!!」


 来歌が弁明する途中で、ディミトリはみるみる表情を変え、ついには身を乗り出し来歌の肩を強く掴んだ。


「痛い……」


「名前教えてください……ガイドの名前」


彼の必死な目を見て、背中に悪寒が走る。


名前を言ったら全てが終わる気がしたが、全てに牙を剥くホワイトタイガーの子供のような彼を前に、嘘はつけなかった。


「……トモキさんです」


「…………っ!」


名前を聞くとディミトリは息を飲み、まるで宝物の隠し場所を知ったかのように目を輝かせた。


「どこにいますか?呼べる?」


「……こっちに向かってると思います……」


そう聞くやいなや、ディミトリは椅子から落ちるように降り、入口に向かい走りだした。

来歌がいないかのように横を通り過ぎ、ドアを乱暴に開けると姿を消した。

 

 開けっ放しになったドアの向こうからガン!ガン!と殆ど飛び降りるように階段を降りる音が聞こえる。

異国の綺麗とは言えないバーに放置された来歌は、虚しさに包まれていた。


「思ってたのと……違うな……」


力なく口の端だけで笑ってみる。


すると簡単に涙が溢れだしてきた。

本当はもっと前から泣きたかったのを、心に蓋をして我慢していたからだ。


 ディミトリはたぶん運命の人ではなかった。


少なくとも向こうは微塵もそう感じでいないし、「会ってたった10分程度の、警戒心すら解けない相手」にしかなれなかった。


そんな事実を突きつけられ、胸がぐっと苦しくなる。


「ぜ……全然MANGAじゃないじゃん……!」


ボロボロと服が濡れるほど涙が溢れる。


ここまで来ただけでも奇跡なのかも知れないが、今の来歌には理不尽さしか感じなかった。


 運命は、神は、来歌に何をさせたかったのか全く分からず、喜劇の台本通りにピエロを演じただけのように思った。


 そんな中でも時間が気になり、ぼやけた瞳でスマホを見ると、18時20分と表示されていた。

帰らないと……。そう思いバーのドアをあけようとすると、内側の取っ手はディミトリの汗で濡れていた。


実際には、自分を素敵だと言う女性と接することに緊張していたディミトリが来歌を招き入れた時に付けたものだったが、今の来歌にとっては不快でしかなかった。

手に付いた汗をドアに擦りつけ、汚いものを摘むように取っ手を降ろす。

 

 早く帰ろう。ウノに帰りたい。


何事もなかったみたいに、トモキに入出国管理施設まで送ってもらって渚と話したい……。

渚……どうしてるかな……。私と一緒かな……。


やっぱりこんなもんだよねーって、そんな上手くいかなかったかーって言いあって、奮発してアフタヌーンティーでも楽しんで、そのまま居酒屋にでも行こう。

旅行だと思えば楽しかったよねーって。


 来歌はドアを開けて階段を見ながらゆっくり歩き出す。


砂ぼこりだらけの階段は、錆びと元々赤色に塗られていたであろうペンキの跡が斑になっていた。


足元から目をあげると、そこには夜と夕方の狭間、紫色に染まる空の下、チカチカと点滅する壊れた街頭の光をうけながら抱きしめあうディミトリとトモキの姿があった。

 

 神様はこのクライマックスが見たくて、私をここに呼んだんだ。

来歌は涙を流したまま、漠然とそう思った。

 

背の低いトモキはディミトリの胸から顔をあげ満面の笑みを見せた。


「ディミトリ!お前大きくなったな!!」


ディミトリも顔をくしゃくしゃにして笑う。


「トモキはそうでもないね!」


「うるせー!」


「ははは!声がなまらデカいのも変わらないね!」


「……元気そうでよかった、動画の写真で見た時雰囲気違ってたから……」


トモキは急に眉を下げ、声のトーンを落とした。

するとディミトリは、唇を震わせながら話した。


「…………元気じゃなかったよ……会いたかった……でも会う資格がない気がして……」


夕陽が落ちる寸前の真っ赤な光が、ディミトリが流した涙を照らした。


それを見たトモキも堪えきれず泣きだしてしまった。


「俺も……本当はさ、こっちに来てからの半年めっちゃ辛かったんだ……。お前……17年もこんな扱い受けてたんだな……嫌なこといっぱいあったろ……辛かったろ……」


 ディミトリは立ってられなくなり、膝をついて、ゔああああと声を出して泣くとトモキのズボンを握りながら縋った。


「俺……俺……づらがっだ!!……とうちゃんも、かぁちゃんも、妹も皆死んだ!!…………俺も死にたかった!!!」


 トモキも膝をつき、ディミトリの頭を抱きしめる。


「おばちゃんたち死んだのか……しんどかったな……生きててくれてありがとう……」

「ゔあああああ……トモキ!……トモキ……!」


2人は再度、お互いの腕に力を入れ抱きしめあった。

 

〈終〉



 「ハッピーエンドで良かったですね!!!」


ガァン!!という鈍い金属音と共に、来歌の叫び声が周囲に響き渡る。


来歌が、持っていたバックを鉄骨階段の手摺にぶつけた音だった。


呆気にとられこっちを見るディミトリとトモキを見下しながら、わざと音を立てて階段を降りる。


来歌は2人から目を離さないまま近づいていった。


「……来……歌さん?」


 来歌の異様な様子にトモキの涙は引き、変わりに心が警告を出していた。


「……んた……じゃん」


「……何?聞こえな」


「あんたの話じゃん!っていってんの!!!」


「え?」


 びっくりして動けないトモキを余所に、ディミトリはトモキの手を引きこの場を離れようとしていた。


「この人やばい人なの?密入国者って行ってたし逃げよう」


 と小さな声でトモキに警告をする。


「ち、違うよ!良い人だよ、入国の件も分かってて手伝ってるんだよ」


 と、トモキがフォローするが来歌にとっては苛立ちの燃料にしかならなかった。


「あんた、MANGAみたいだって言ってたよね?!私のじゃないじゃん!!…………あんたのじゃん!!あんたが主人公で私がヒントを持ってくる仲間だった!!…………あんたがディミトリと出会うための物語だった……!!」


トモキはようやく来歌の考えていることが分かったが、返す言葉がでなかった。


「異星人が危険をおかしてまで、ヒント持って来るなんて壮ーー大な物語ですね!!!親友と出会ってこの後どうなるの?!今度はあんたが言ってた夢がかなうの?!私は?!私は何?!なんだったの!」


来歌が本当に怒りたかった相手は来歌を翻弄する神だったが、そうするわけにもいかず、現実にいるトモキに八つ当たりしている状況だった。

トモキがいい奴だと分かっていて、怒鳴りつけている最低な自分にも腹を立てていた。


「あ……ディミトリは運命の人じゃなかったのか?」


トモキはここでもバカ正直に話してしまう。


「……運命の人?」


トモキの発言を聞いてディミトリは不思議そうな顔をする。


ディミトリに知られたくなかったことを言われた上に、核心をつかれ、来歌は顔を真っ赤にしてしまう。


「なんで言うのよーーー!!!」


涙の跡に更に涙が重なる。トモキに更に苛立った。

 

 カバンで殴ってやろうかと構えたその時、フィーンフィーンフィーンという高い音が遠くから聞こえてきた。


トモキとディミトリに緊張が走る。


「パトカーだ!!」とディミトリが叫んだ。 

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