第25話 不安が来た

 ついに17時半になった。

待ちきれなかった来歌とトモキは、それより早い時間からバーである虎イズの待機場所に来ていた。


 来歌は一抹の望みにかけ、ドキドキと待っていた。お互い緊張していたからか、会話は殆どなくキョロキョロするばかりだった。

頭の中でディミトリの顔を反芻し、似た人がいないかと見回す。


髪を染めているかも知れない、マスクをしているかもとぐるぐる考える。精神が剃刀のようなもので薄く1枚1枚削りとられていくように、ゆっくり疲弊していった。


 そんな神経を尖らせていないといけない時に、来歌はビジュアル系バンドの追っかけをしていた時の事を思い出していた。


バンドマン達が、ライブ会場に楽器を搬入するのを待つ通称「入り待ち」を初めてした時の事。

まだ渚に会う前だったので、来歌は1人で会場の前で待っていた。

他のバンドは次々と到着し、車から楽器や衣装を下ろして会場に入って行く。来歌の好きなバンド「鬼残暑」は大体出番が1番目だったため、必然的にリハーサルが1番最後となる。会場に来る時間も、勿論1番最後だ。


でも急に早く来たらどうしよう、会えなかったら、プレゼントが渡せなかったら、と思い来歌はかなり早くから待っていたのだ。


 鬼残暑以外の全てのバンドが会場に入り、他の待っていた女の子達もいなくなっていった。

いよいよだと緊張していると、銀色のワゴン車が停まり、そこからぬっと顔色の悪い1人の男性が出てきた。SNSで何度も見た、大好きな響音のすっぴんだった。


 格好良すぎてガチガチに緊張してしまう来歌をよそに、次々と他のメンバーは楽器を運び、前を通っていった。

ついに響音が来歌の前に来た時、顔が熱くなるのを感じながら話しかけた。


「いつも応援してます!!新曲良かったです!!今日楽しみにしてます!!これ!もらって下さい!!」


 言いたいこと全部言えた!と思いながら、手紙の入ったプレゼントを差し出す。怖ごわと相手の顔を見ると目を輝かせ笑っている。


「これ僕に?ありがとう!初めて入り待ちしてもらった!」


 と嬉しそうに言って両手でプレゼントを受け取り、手を差し出してきた。

自然と握手をして、手を振り合い別れる。


来歌は身体の力が一気に抜け、手の温もりを思い出しながら「一生推す」と目をハートにして誓ったのだった。


 結局一生は推さなかったんだけどね、と来歌の意識は現実に帰ってくる。


でも、嬉しかった記憶も大好きだった記憶も本物なのだ。後にそうじゃなくなったとしても、その時の感情が嘘だった事にはならない。


 ディミトリへのこの感情は、1時間後にはどうなっているだろうか。


渚とトモキと3人でご飯を食べながら話していた時は、上手く行き過ぎて怖いと思っていたのに、今はこんなに不安で焦っている。その落差さえ怖い。たった数時間前のあの頃に戻りたい。


 ディミトリは自分に会った瞬間、雷に撃たれたように運命を感じてくれるのだろうか。それとも過去の響音のように「ありがとう」と言うのだろうか、それとも……。


 この不安をトモキに吐露すれば、笑顔で「心配ない!」と言うのだろう。


 MANGAは必ずハッピーエンドではない事を彼は知らないのかも知れない。不幸もエンターテイメントなのだ。


 私は神や誰かのためのエンターテイメントになりに来たのではない、自分の感じた運命を確かめに来たのだ。


彼の思うハッピーエンドは私のハッピーエンドじゃないかもしれない。だから彼の心配ないは信用でき……。


 そこまで考えて、来歌は自分がネガティブになりすぎていることに気がついた。

こんな良い人に対して自分は何を考えているのかと。

今を楽しまないと。

誰かからの受け売りで自分を奮い立たせ、再度ディミトリを探した。


 しかし、17時45分になってもディミトリは現れなかった。

来歌は計画通り虎イズからトライズ3に向かう。


 送り出す時にトモキはまた大袈裟な仕草をしたので、焦っている来歌は少し苛立ちを覚えてしまったが「行ってきます!」と元気な雰囲気で答え、誤魔化した。


ディミトリと話す時間が少しでも長く欲しい来歌は、途中何度も振り返ったりキョロキョロと辺りを見回した。

 早歩きで来たため17時52分にトライズ3に着いたが、とにかく落ち着かず、人が通るたびにディミトリかと思い心臓が飛び出そうになっていた。


 そして何もないまま18時を過ぎ、まわりの店は開店しはじめ、人もぽつぽつと増えてきた。


 いよいよ時間がない。


普通バーに勤務する場合は、開店の何分前からくるものなのだろうか。準備には何時間かかる?コップは磨く?トイレは清掃する?何も想像がつかない。


 来歌は焦り過ぎて泣きそうになってきた。


「……神様お願い、ディミトリに会わせて」


小さな声で神頼みをした時。


 遠くのほうから、かなり背の高い男性が歩いてくるのが見えた。髪は透けたホワイトブロンドだ。


彼だ。

それは、会いたかったその人だった。

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