第23話 使命

 やっぱり間違ってなかった……。


運命なんて言葉を使うのは恥ずかしい。そう思っていたことが、恥ずかしくなるくらいの事が起きている。


来歌が枝姉弟からもらったクレープ屋の情報、来歌に今朝連絡したこと、トモキに出会ったこと、全てがこの時のために用意された物だった。


 渚は自分がまるで物語の主人公になったような気持ちになる。


トモキ風に言えば「MANGAみたい」だ。


27年の人生で、こんなに強く運命を感じる出来事が今まであっただろうか、運命や神様に強く引っ張られるような感覚が。


 1週間半ぶりに見たプシューは、問題なく元気そうで心からホッとする。


もし話しかけられなくても、元気だと確認できただけで大丈夫と思えるほど胸が温かくなった。


 プシューは黒いレースの襟がついたピンク色トップスに、フワフワのスカート付きの黒いパンツを履いていて、前回のスーツ姿と全く違う私服姿だった。

これはこれで可愛いー!えー他の服も見たい!なんだったら買ってあげたい!と女の子のアイドルに課金する人の気持ちが少し分かった渚だったが、お目当てのアイドルと接する方法は全く分からなかった。


 プシューの周りに人はいなかったが、どうしても躊躇してしまう。とりあえず、もっと人気が無い場所に行った時に話かけるか、最悪自宅まで付いていこうかと思っていると、プシューは、ガラの悪い男性に話しかけに行った。


 男性と話せるんだ良かった、と思った時。

プシューが少し震えてるように見えた。急いで近寄る。


近寄ると相手の男がゾッとするような言葉を吐いた。


「初心なふりすんなよ、異星人の唾がついた女のくせに」


 視界が揺れるような感覚になる。悪意しか感じられない吐き気を覚えるようなセリフだった。


 プシューがどれほど辛いかを考えると腹が立ち、男にペットボトルでも投げつけてやろうかと思ったが、手前にいたプシューが後退りしてきたため、それに触れないように自分も後に下がる。


 そして再度醜悪な言葉が降ってきた。


「良かった?セックス。何回イッた?」


こいつはプシューが騙されてウノ国にいった事を知ってて言っている、わざと煽っていると思った時。


渚の可愛いアイドルは壊れてしまった。

 

 「あああああああああ!!!!!」


発作だ。1番恐れていた事だった。


「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!ぅうあああああああ!!!」


 こういう時に大事なのはこちらが慌てないこと、安心できる言葉をかけ続けること。

渚はテキストで学んだことを頭で再度確認し声をかける。


「プシューちゃん!」


プシューが薄っすらこっちを見て

「……助けて……」と呟いた。


それを見た渚は、まだプシューちゃんには希望がある、まだ生きたい、自分に生きる価値があると心の奥底で思えていると思い力が湧いてきた。 


私はこの子を助けたい。


自己満足かも知れない、必要ないかも知れないと悩んだけど、この短い人生を自由に生きていいなら、今私はこの子を助けたい!

渚はそう強く思った。

此処まで自分の心に我儘になれたのは、小学2年の時に弟が産まれた際に、寂しい私も抱っこして欲しいと母に泣いた時以来かもしれない。


私は我儘を言っていいんだ。


「絶対助ける……大丈夫だよ」


 プシューを抱きしめると、ゆっくり目を閉じた。

呼吸が落ち着いいるのを感じ、肩を撫で下ろす。

 

 「プシューちゃん!?」


後ろから女性の声がする。

振り返ると、先程のプシューと同じ髪色の女性が顔を真っ青にして立っている。やはり親族だったんだと思い渚は急いで現状を伝えた。


「プシューちゃんのご家族ですか?PTSDで発作を起こしているみたいです、今は落ち着いているので一緒にベンチに運んで下さい」


 すると女性は更に顔を青くしたかと思うと、今度は紅潮させ、空に腕を思いっきり振り下ろした。


「誰?!何?!うちの子から離れなさい!!!」


空振ったせいか、更に興奮して腕を振りこちらに迫ってくる。


「お、お母様落ち着いて下さい!」


危機がせまり、ようやく渚は自分が相手から見えてない事に気づいた。プシューの母親から見ると、渚の膝に抱えられている娘は地面から浮いているように見えるし、何もない所から話しかけられてるように思える。

良く分からないものから娘を守りたいのは当然だった。


 しかし渚はお節介だと言われても、必要がないと言われても、プシューを助けると強く思い決めていた。自分がこの後どうなってもいい、恥をかいてもいい、少しでも直接プシューのお母さんと話して今後どうしたらいいかを分かってほしい。


「私は剣崎渚と申します!あ、怪しいものですが、宜しくお願いします!!」


 そう叫ぶと片手と膝にプシューを抱えたまま、透明コートのスイッチを切った。


プシューの母親は「きゃっ!」と小さく言い、息を飲んだ。

そして周りをキョロキョロ見回し、どうしようか考えているようだった。


近くのフードコートには、遠くの方ではあるが客もいるし、いつプシューの母親以外のルナリア人が来るかも分からない状況であったが、少しでも誠意を見せたいと思い姿を見せた渚であったが、完全に変なことを言ってしまい、恥ずかしくなり顔を真っ赤にした。


恥をかいてもいいと思っていたが思っていた恥とは少し違ったのだ。


「お、お母様、すいません。プシューちゃんを助けたくて」


と渚が弁解しようとすると、プシューの母親はそれを遮った。


「この前電話してくれた渚さんね?……とりあえずプシューを寝かせにいきましょう、見つからないうちに早く」


渚はプシューの母親が受け入れてくれてくれ、本当に「有り難い」と思っていた。悲鳴をあげて助けを呼ばれても仕方ない状況で、得体の知れない異星人である自分と協力してくれることが、どれだけ奇跡に近いのかと思うと涙が出そうだった。


早く行動しなくてはと、透明コートのスイッチをいれると

「ありがとうございます!」

といって、プシューの身体の下にもう片方の手を入れると、ゆっくり持ち上げようとした。


しかし、普段園児を3人ぶら下げる渚でもプシューの寝ている身体は少し重たく、持ち上がらなかった。


そこにプシューの母親がしゃがみ込んでおんぶの体勢をとった。

渚が察してプシューの脇腹を持ちプシューの母親の背中に乗せる。


 2人で対面で運ぶより不自然にならず、1番いい選択となり、プシューの母親の機転に感謝した。

渚は床に置かれた、紺色のバッグと雑誌が入った買い物袋を自分の透明コートの中に入れ、後を付いていく。


 細く背の低い身体にプシューの身体は重いのか、ゆっくり歩を進めている。


その背中を眺め、このお母さんなら大丈夫、絶対乗り越えられる。そのためにはちゃんと理解してもらわないと、と口を真横に引き締め決意を新たにする渚だった。


 プシューを降ろしたのは、人気のなさそうな紳士服専門店横のベンチだった。

プシューの母親は、良く眠るプシューの頭の横に腰を降ろし、顔についた涙を手で拭っている。

 どこから話そうか考えていると、先にプシューの母親が口を開いた。


「渚さん……プシューが大変な時にそばにいてくれてありがとうございます」


そして渚がいるだろうと思っている方を向くと


「私はプシューの母親でヴァイオレと言います」


と名乗った。渚がいる所とは全然違う方向だったが。信用しますという態度を現すために言ってくれたのだと思い、渚はすごく嬉しかった。静かに母親と目線があう所に移動する。


「ヴァイオレさん、こちらこそ私がした事を受け入れて下さってありがとうございます」


 そう渚が言うと、少し微笑みヴァイオレは言葉を選ぶように下の方を見て話す。


「……あなたがどうしてここにいるか、どうやってきたかは気になりますが、先にプシューがなんで倒れたか教えて下さい、私は叫び声が聞こえてから来たので」


 プシューのそばにいなかったことを悔むように下唇を噛む姿を見て、渚は心底何があったのかを話したくない気持ちになった。 


「……嫌な話になりますが大丈夫でしょうか?」


「…………はい」


2人は目を合わせない、元々合わせられない状況ではあるのだが。


「………………お嬢様は」


「プシューでいいわ、かしこまらないで大丈夫です」


「……プシューちゃんは……バイト先の人だと思われる男性に罵声を浴びせられて、PTSDにより発作を起こしました」


「罵声?」


「…………初心なふりすんな……とか異星人の唾がついた女……だとか……」


言ってて可哀想で泣きそうになってたが、顔をあげヴァイオレの顔を見ると、そんな感情は吹っ飛んでしまった。


 ヴァイオレの目はみるみる吊り上がり、顔の全ての毛細血管が煮えたぎるように真っ赤に染まった。歯をむき出しにし3つの目を精一杯剥いた様は赤鬼そのものだった。


「ぁああのクソ野郎かぁぁ!!!!クソバンドマンがぁぁ!!!刑務所に入れてやる!!!!!」


あまりの迫力に風圧すら感じる。立ち上がり、渚にガンガンぶつかりながら進もうとするヴァイオレの二の腕を前から掴み引き止める。


「お母さん、落ち着いて下さい!」


渚の勤める保育園でも、同じセリフを言った事があったなと、頭の隅で再生されていた。

その時はどうやって止めたんだっけ。


「止めるな!ウノ人のクソあまが!!なんにも分からんのに!!」


ガラがどんどん悪くなるヴァイオレが振り切ろうとする。


こうだ!!!


「落ち着いて下さい!!!!」


渚は腕に力を込め、強く引っ張ると、全力でヴァイオレを抱きしめた。


ヴァイオレはびっくりしたのか静止する。


「落ち着いて下さい……プシューちゃんにはあなたしかいません………」


渚は息を切らせながら続ける。


「……起きた時にお母さんがそばにいてあげれば、安心して再度発作がでることを防げるかもしれません……」


渚は医者でもない自分がこういったことを言うのは良くないと思っていたが、今はヴァイオレに大事な事に気付いてもらう事が優先だと思った。

ヴァイオレはしだいに落ち着き身体の力が抜けていった。


「……もう大丈夫です……ありがとうございます」


「良かった……」


「取り乱してしまいすいません」


礼儀正しい態度に戻ったヴァイオレは、少し恥ずかしそうにしていた。


「いえ、大事な娘さんの事ですから怒って当然です」


その言葉を聞いて、ホッとしたヴァイオレの様子を見て、どこから話すか再度検討し直した。


「お母さん、以前電話で話した内容を覚えていらっしゃいますか?しなければいない事を短くお伝えしたかと思います」


「勿論覚えています……1週間は家におりましたし、男性に会っても大丈夫な様子でした……本人が頑張りたいと言ってましたので、今日は私が見ている約束でバイトに行きましたが…………軽率だったと思います」


そう返答すると本当に悔やんでいる様子で、眉をしかめ、未だ目覚めないプシューの肩に手を置いている。

渚はその様子に心が痛んだ。


「いえ、お母さんは充分されていたと思います。言った事を信用して実行して下さり、ありがとうございます…………これは私のミスです。もっとお母さんに詳しく伝えないといけなかったのに、出来ていませんでした」


すーっと息を吸い、一呼吸置くと渚はきっぱりと言った。


「あの後ずっとプシューちゃんが心配で仕方ありませんでした。今日はこの前言えなかったことを言いに来ました。厚かましいかもしれませんが私に時間を下さい」


 見えないと分かっていても、ルナリア人の風習にないと分かっていても、渚は身体を2つに折るように頭を下げた。


 ヴァイオレが口を開く。


「……あなたを信用しても大丈夫なのか、正直分かりません。でも危険な事をしてまでこちらに来てくださった……プシューを心配するその気持ちは本当なんだと思います」


渚は頭を下げたまま聞き続ける。


ヴァイオレは娘から目を離すことなく告げた。


「……プシューの友達として、お話を伺ってもいいですか?この子の発作が良くなるかどうかではなく、貴女のいち意見として聞きます」


渚は見えない顔を輝かせた。


「ありがとうございます!」


ヴァイオレも少し柔らかい表情をみせる。


「プシューは異国で、すごく情熱的な友達を作ったのね」


そういうと、プシューの頭を撫で、愛おしそうに目を細めた。


 しばらくするとプシューは目を覚ました。


2人が心配していたパニックのような状態ではなく、起きてすぐに母親に抱きつき「怖かった」と繰り返し、渚が声をかけると

「夢かと思ってました!」

と心底びっくりしていた。


「私に会いにきてくれたんですか?」


真っ直ぐそう聞かれ、照れてしまう。


「うん、どうしても心配で……会わないと後悔しちゃいそうで。本当に会えて良かった」


本音を話会っているのに目と目は合わず、渚は少し淋しくなる。


バンドの追っかけをしていた時に、好きなバンドマンとライブ中に目が合わない!と、来歌に嘆いていた時の自分を思い出した。


私はなんでこんなにプシューちゃんが好きなんだろう、と思った時にプシューがその答えをくれる。


「私もすごく会いたかったです……」


辛い時なのに、はにかみながら言うプシューの顔を見ると、愛しさが込み上げてくる。


 好きに理由なんて要らない、好きなものは好きだ!と大声で言いたい気持ちになった。


「私ね、プシューちゃんを助けたいの、友達として幸せにしたいと思ってる。辛いことがあったあとなのに申し訳ないんだけど、少し話せないかな?」


「…………またさっきみたいになるのは怖いです……ならないように出来ますか?」


「うーん……完全にではないけど、ゆっくり……なんていうか体験を溶かしていって、認める作業が必要なの。それにはお母さんとプシューちゃんが一緒に頑張ることがも必要なの」


プシューが母親の顔を見ると、ヴァイオレはにっこりと笑った。


さっきまでの不安定な女性は消え、勇敢な母が盾の様にに立っていた。


2人はぎゅっと手を握り合う。


「……やります、私……さっきみたいなの嫌だ」

「うん……私も一緒に頑張る…」


 渚はヴァイオレの方に向き直った。


「私は7時に入出国管理施設に向かわないと行けません、それまでどこか話せるところはないですか?」


「うちに来ますか?車で来ているので誰にも見られないはずです」


「……!お願いします!」

 

 3人は駐車場に向かった。プシューがサイロと出会わないように、渚とヴァイオレが注意しながら歩く。

渚はまるでSPのように動きまわりながら進んだ、今なら黒いサングラスに黒いスーツも着てしまえそう、と人から見えなければこんなに大胆になれるのかと、束の間の時間を楽しんだ。


 駐車場につく前に、プシューが渚にお土産が買いたいと言うので一人ベンチで待っていると、フルーツやお菓子などを両手にいっぱい持ったプシューが戻ってきた。

 車に乗り込みあっさりと帰路に着く。

車の中ではどうやってここまで来たかを話した。

プシューは興味津々で聞き「えー!すごーい!」と冒険譚を楽しんで聞いていた。


 ヴァイオレが運転する車が着いたのは、小さなマンションだった。

全体的な間取りは分からないが2LDKぐらいだろうか。人が来ると思ってなかったから片付けてなくて、と言った部屋は本当に片付いてなかった。

ソファーの上に洗濯物が乱雑に置かれ、机の上には朝食べたであろうパンの袋と無数のペットボトルが置かれている。一ヶ月ほどは掃除機はかけてなさそうだった。


ヴァイオレはペットボトルを両手で一気に何本も持ち台所へ持って行く。

プシューは台所でパイナップルのような物を切っている。色は黄色とピンクのまだら模様でトゲが沢山ある見たことのないフルーツだ。ガラスの大きな器に入れて小さなフォークと共にテーブルに運んでくれた。


「ウノ側に無いものをと思って」


プシューが選んでくれただけでも嬉しかったのに、そのフルーツはとても甘酸っぱくて美味しかった。

ルナリアの母星はウノ国よりほんの少し寒いらしく、この果物はこちらに来てからパイナップルなどと配合され改良されてできたフルーツだという。


 プシューの笑顔とそれを見るヴァイオレの優しい表情を見ると切り出しにくかったが、残り5時間しかない、待ち合わせの時間や移動時間を思うとたった4時間くらいだ。


渚はフォークを置き、まだ食べ続ける2人を前に話しはじめる。


「プシューちゃん、お母さん、まずは前提からお話ししたいんです。お話は長くなりますし途中プシューちゃんにとって辛いこともあるかも知れませんが、大丈夫ですか?」


プシューは下を向き、苦悶の表情を浮かべながら応える。


「……自信ないです。でもせっかく来て下さったんだから聞きます」


ヴァイオレはプシューの背中に手を当てながら、心配そうな顔をする。


「ありがとう」


 渚はプシューと離れていた9日間の中で考えていた事をまとめて話そうと思ったが、途中それは破綻してしまうことになった。


「まず、プシューちゃん、あなたがパニックになってしまうのはPTSDといって、命の危機にあったり衝撃的な出来事にあってしまった後に、自分の思いに関係なくそのことを急に思い出してしまって苦しくなるものなの。急に思い出す事はフラッシュバックって言うの」


「お母さん、フラッシュバックは、たんに思いすだけではなく、その時と同じ感情や身体の感覚を感じたり、実際に当時の光景が見えたりする大変苦痛を伴うものです。今日起こったことのように呼吸が乱れて倒れることもあります、少しづつ良くなるようにトラウマを解消していくしかありません。」


プシューはあっ、という声と共に身を小さくした。


「さっき、確かにあのウノ人の男の人の顔がすごく近くあるような感じがして……すごい怖かった」


最後は泣きそうになりながら教えてくれた。ヴァイオレは肩をさする手に力を込める。


「怖いと感じているのは、悪いことじゃないんです、思い出さないようにしていた今までよりずっと良い状態だと思います。これからは怖さを受け入れる事と、自分は被害者である、悪いのは自分ではないという事を少しづつ受け入れていく段階に入ります」


 この辺りから2人の表情が徐々に変わりはじめたのを渚は感じていたが、説明は続いた。


今後どうして治療していくかや、医者にはどう伝えていくか、セカンドレイプに合わないために、カウンセラーと周りの人間と本人の連携がどれだけ大事か等多岐にわたったがどうも伝わらない。


「すいません……分からないことがありますか?」


渚の質問に2人は困った顔をして見合わせる。


「……あの、カウンセラーって何ですか?」


プシューの質問に、今度は渚が困った顔になってしまった。


「え……カウンセラー……そうですね、相談員みたいな感じでしょうか、こっちにはいないですか?」


「いないですね、医者みたいな感じでもあるんですか?」


ヴァイオレの答えに、息がつまりそうになる。


「医者ではないんですが、悩みを聞いて心理的なサポートをしたりする人の事です……あの、例えばなんですがイジメがあった場合とかに学校には相談できる専門の人はいないのでしょうか?」


「いないですね、親の役目ですから。あとは薬を飲むように言われます」


「……確かに親が1番身近な存在であり1番の理解者である場合が多いのは間違いないんですが、心理的な事は専門家がプロセスを見守る方が良い…………とウノ国では言われています……薬ってなんの薬ですか?」


「気分を良くするようなものです、加害者も被害者も飲みます。ウノ国にはないですか?」


 イジメに効く薬など聞いたことがない。自分の常識と異なる情報に混乱するが、それはお互い様だろうと渚は思った。


「ないですね……被害者が鬱状態になってしまった場合は気分が安定する薬が処方されたりしますが……たぶんこちらのとは違うものだと思います。気分を良くするだけでは、自分の想いや傷ついた心は変わらない気がするのですが……」


言いながら、これは駄目だ伝わらない気がすると思った。

2人の顔を見ると「わかりません」とはっきり書いてあるように見える。


「薬は医師が処方しますか?」

「先生が状態をみて、AIドクター依頼して学校に届きます」

「AIドクター……」

「ウノ国にはいませんか?」


 話せば話すほど溝を感じるだけだった。


ヴァイオレが言うに、基本的にこの国には診察と処方をするだけの病院はなく、全てオンラインでAIドクターによる判断で自宅に薬が届けられる。手術を行ったり入院する病院はあるが、手術は基本的にロボットの仕事で医者は遠隔で見てイレギュラーな場合のみロボットを操作する。診察は機械でスキャンをするだけで終わるので最低限の人手で足りるとのことだった。

薬は良く効き、手術も間違いがなく、ルナリア人の平均寿命は100歳になり、老衰や突然死、新型のウイルスによるもの以外の病気は治せてしまうという。


 渚はこれほど発達した技術があるのに心をサポートする機関や考え方が全くないことに驚いた。

親に丸投げ、薬で気分を良くする……心が置いてきぼりだと思った。親がいない子供はどうなるか考えただけでも辛かった。子供だけではない、親に頼れなくなった「大人になってしまった人」もだ。


しかし、この考えはウノ人の常識で生きてきて、かつ仕事に役立てようと勉強をしたから構築されたものであって本当の正解かは分からない。


 渚はどうすればいいか頭を抱えてしまった。


私は何をしに来たんだろう、さっきまで主人公のようだと思っていた時間はなんだったんだろうと。


何が運命だ、確かにすごい偶然が重なり会いたかったプシューに会えた、それだけで充分だったが、これはプシューだけの問題じゃない、この国の悩む人達には、その時に全力で話を聞いてあげれる親以外の人が必要だ。

でも今の私では、その人達に響く言葉を何も持っていない気がする。


実際、目の前の2人には何も理解してもらえていない。考えないと……でも……。


 渚の中では考えたい気持ちと、考えを放棄したい気持ちがせめぎ合っていた。

その時、今日ショッピングモールでベビーカーに乗った赤ちゃんと出会った時の事を思い出した。


「子供にどうしてあげれるか」や「発達のためには」と考え過ぎるのではなく、自分が子供の可愛さをもっと楽しんで良いんだ、働き方を変えたっていい……確かにそう思った。我儘になっていいんだ……自分本位でも良い……駄目でもどうにかなる。


私には今やりたい事ができた、その心の火さえ灯っていれば必ず前に進める!大きな一歩でなくていい、人からは半歩に見えてもいい、私だけの一歩を!


渚はそう強く思うとしばらく下を向いていた顔をあげて手を強く膝の上で握り、言い放った。


「私、この国で『沢山お話を聞く人』になります」


 この国にカウンセラーの仕事がないなら、自分で新しい仕事を作ってしまえばいい、親しみやすい職業を作ってしまおうと考えたのだ。


「はぁ……」


 突然そんな事を言いだした渚にヴァイオレは呆気にとられていたが、プシューは目を輝やかせはじめた。


「……聞いてほしい!なんでもいいの?この病気のことじゃなくてもいいの?」


「勿論!最初のお客様はプシューちゃんだもの!なんでも話そう!特別に無料だよー!」


プシューと沢山喋れるなんて、なんて楽しい仕事だろうと渚は真剣に思う。


これからこの国の沢山の子供達と笑顔で語り合い、馬鹿笑いをしたり、悩みを聞いたり、出来たらどれだけ素晴らしいだろうか。


「やったー」と喜ぶプシューの横でヴァイオレは訝し気な顔をしている。当たり前だ、現実離れした話をする異星人の女を家にあげているのだ。母として子供を守るモードに入ろうとしていたのだ。


「渚さん、その仕事がプシューや何かの役に立つのか分かりませんが、まず大前提として、あなたは密入国者です」


「分かっています」


「どうするおつもりですか?」


「ふふ、知り合いにMANGAみたいな男がいるんですよ、いつか差別をなくすために、大きなことがしたい人と願っている人です……その人ならきっと、変えてくれます」


 渚はトモキの顔を思い出し、ふふっと笑った。


トモキと自分の夢が交差した瞬間だ。


2人で考えれば必ず行き着くところがある、ウノ国に親族のいるルナリア人を巻き込んだり、署名なんかもいいだろう、必要性を訴える動画の配信をゲリラ的にしてもいい。アイデアが無限に湧いてくるようだった。


「じゃあ……期待して待ってることにしましょうか……ほんと情熱的ね」


ヴァイオレは半々といった顔で渚に言うと、娘に笑いかけた。


今まで自分が情熱的だったことなんてない、プシューが私を変えてくれたんだと、必ずいつか言おうと渚は心に思う。


「じゃ!残りの時間は全部話そう!」


 プシューと渚は家をでないと行けない時間まで存分に話した。 


最近流行りのブランドや、髪色を変えてみたいといった話しから幼少期の話しまで語りつくしたが、思っていた以上に自己肯定が低い事が分かった。体型をいじられる事が多く、一時期不登校だったことも一因のようだった。


自分は素敵だと思うことはハードルが高い。人に頼って良い、罪悪感を感じる必要がないという所から少しづつ理解してほしいなと思い、プシューがどれだけ自分にとって可愛く見えるかを熱弁しておいた。


 帰る前にはヴァイオレがルナリアの郷土料理を振る舞ってくれた。黄色い唐辛子のソースがかかったジャガイモの料理が特に美味しく、ルナリア人とウノ人は本当に味覚があうなと感じる。


 帰る時間になり今度は必ず密入国ではなく正規ルートで来ると約束した。そうでないとプシューを犯罪者と何回も会わせるつもりのないヴァイオレに出禁を食らってしまう。


プシューとハグをして、お邪魔しましたとお辞儀をすると、プシューは

「なんで身体を半分に曲げるの?」と不思議な顔をしていて笑ってしまった。


 トゥクトゥクのある駐車場までヴァイオレに車で送ってもらう。入出国管理施設まで送らせてしまうと何かあった時に犯罪に関与していたと思われると申し訳ないからだ。


去り際ヴァイオレは

「娘があんなに明るく話す所は久しぶりに見ました……ありがとう」

とお礼を言い、渚は本当に来て良かったと思った。 


  車が去り、振り返るとトモキの黒いトゥクトゥクがある……今朝の事なのに何日も前に乗ったような懐かしさを感じた。ドアの無い後部座席に乗り込むと身体をシートに沈ませる。


来歌がきたら旅の感想をシェアしよう……トモキに計画を話す時間はあるだろうか?……どうにか連絡を取れるように……。

渚は疲れ切った身体に抗えず眠ってしまった。 

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