第21話 断罪

 渚さんと別れ、入国管理施設から帰宅してもう1週間と3日がたった。お母さんは会ってすぐに私を抱きしめてくれて「怖かったね」と言ってくれた。

私も「ごめんなさい」って沢山泣いたけど、お母さんのほうがもっと泣いてた。


 渚さんがお母さんにどう言ってくれたのは分からないけど、詐欺にあったこと、脅されて恐怖を感じたことなど、お母さんは全てに対して理解を示してくれている……異常なほどに。


だから1番恐ていた、悪事に加担をしたことで母に見捨てられるかもしれない、という想いは風にのってウノ国に帰って行ってしまった。

勿論、滾々と説経はうけたし、されて当たり前のことをしたと思う。毎日人の怖さについて色々言われているし、1年間は夜の外出は禁止になった。


 帰ってからの1週間も全く外出をしないように言われた。

理由は「怖いことを思い出すと怖くなるから、思い出さないように」という良く分からないものだった。

お母さんも「あんまり良く分からないけど……そうなんだって」と歯切れが悪く混乱していたみたたいだ。


 渚さんはお母さんにどう伝えたんだろう?

悪い事をしたから、罰として外出禁止なんだったら勿論そうするけど、怖いことを思い出すってなんなんだろ。

詐欺にあったこと?審査官に嘘をついて密入国させられた怖さ?電話で脅されたとき?

ただ渚さんはとても良い人で、マンションの前で、もう仕事はしたくないと怖がってた私を連れて帰ってくれた恩人だ。

だからお母さんに嘘をついたりしないと思うから。


何か考えて言ったはずなんだけど、全く分からないし、この事を深く考えると頭がぐわんぐわんし始めるから、考えてたくない。


 それをお母さんに言うと、唇をぐっと噛みしめて変な顔しながら「思い出さなくていいんじゃない?」ってまた抱きしめてくれる。

ネットや本とかで色々調べてるみたい、ほんと私がバカな事をしたせいでめちゃくちゃ迷惑をかけてる。

だからできるだけ自分でどうにかしないといけない。


 何が1番怖かったんだっけ? 大事なことだから思い出さないと…………なんだっけなぁ。


 1週間たってはじめて外出した日は、1番近くのコンビニに行った。お母さんはびくびくしながらついて来てくれて、ずっと私の腕を掴んでいた。

私が好きなアイスや紙パックの紅茶を買ってくれたんだけど、罰を受けないといけない人間なのにいいのかなって思った。


 2日目は、普段行かない小さなショッピングセンターに車で行った。ゲームセンターのクレーンゲームで、猫型ロボットのぬいぐるみを知らないおじさんにもらった。

母には「何も分かってない!!」とものすごく怒られた。

 買い物をしてフードコートに行くと、ずっと体調不良を理由に休んでいるクレープ屋のバイトの事を思い出した。

 他のスタッフに代わりにシフトに入ってもらってて本当に申し訳ない。これからの自分を律するためにも、真面目にバイトしたいな。

もう変な話には乗らない、絶対こつこつと目の前の事を頑張るんだ。本当は罰を受けなきゃいけない事をした人間なんだから。


 …………罰を受けなきゃいけない……私は汚いし。

……なんでだっけ、頭痛いな。まぁいいか。


 ハイダイ社長からは、あの後全く連絡はない。

私は使い捨てだったんだなって思うし惨めだ。

罪悪感を持たせて300万円払えと脅すことが大事で、それでお金が少しでも取れたらいいし、取れなくても罪悪感や逮捕されるのではという恐怖から、通報されることもないのかも知れない。


 サイロ先輩はどうなんだろうか?詐欺師だと知らずに私に紹介したのなら、先輩も被害にあってるのかも知れない。

 奥さんも子供もいるのだから、何かあれば大変だと思う。次のバイトの時にちゃんと言ってあげよう。 

これからはもっと優しい人間になるんだ、渚さんみいに。

 

 渚さんまた会いたいな。

いつか国同士が行き来できるようになったら、真っ先に渚さんを探そう。

家の雰囲気は覚えてるしきっと会える、会ったらもう私のことで泣かせたりしない。


 ……………………あれ?なんで泣いてたんだっけ………………ううん……忘れよう……。

 

 プシューはその日、バイト先に風邪が治ったから明日からバイトに行きます、と連絡をした。

母親にしこたま怒られたが「もう大丈夫だから、ちゃんと真っ当に生きたいの!駄目だったらもうバイト辞めるから!」とプシューが強く言ったのが良かったのか、最終的に了承してくれた。

しかし母親がついて行く、という条件付きだった。バイトしている間ずっとフードコートで待っているという。


 心配をかけているのは自分がしたことが原因だから仕方ない、とプシューも折れ「明日だけで大丈夫だから!」と約束をした。

 母親は内心バイトに行く事を納得をしていなかったが、あまりにもプシューが元気なので、レイプされかけたという事自体がウノ人の嘘なのではないかと疑いはじめていた。

プシューの言う通り、入国したあとマンションの前で怯えていた所を助けてもらった、というのが本当なのかも知れない。


この1週間と3日本当に何もなかった。男性に怯える様子も発作もなかった。


きっとうちの娘は大丈夫なんだ。うちの娘は何も問題なかった。


そう思うと、気持ちも少し明るくなる。


これで全部元通りだ。

密入国の件だって、警察にバレるまで黙っていたらいい、悪いのは騙した方なのだからこちらは被害者だ、今まで通り全力で娘を守れば大丈夫。


これまで通り。

 

 次の日、心配する母親を余所に、プシューは久しぶりのバイトに浮足だっていた。

バイトなんてだるくて、クレープ生地を焼いて飾りつける以外は全然好きになれなかったが、久しぶりだと気分も違う。


 部屋で着替え終わると少しメイクに力を入れてみる。

渚と渚の母に「可愛い」とちやほやされた事を思い出して笑顔が溢れた。

ウノ人の美的感覚では、私はすんごい可愛いかったりするのだろうか、と鏡を見ながら少し顔を傾けたり、唇を尖らせてみたりしていると、背後に母親がいることに気づいた。


「びっくりした!!もう!」


プシューは、片手を頭の位置にあげて怒ったことをアピールしてみるが、存外母は辛そうな顔をしていて、それ以上何も出来なかった。


「……お母さん?」


母親はプシューに、鏡越しに力なく笑いかける。


「今日もプシューが幸せでありますように」 


「……?」


「気をつけていこうね、お母さん、ちゃん……と!見てるからね!」


泣きそうな顔をする母に、嫌な予感を感じる。

リビングに立ち去る母を追いかけると、昔より小さくなった母の背中があった。


「お母さん!!」


プシューは背中に飛びつくと、ぎゅっと抱きしめた。

大人になってから、お母さんを背中から抱きしめるのは、はじめてかも知れないと思った。

小さい頃から大好きな母の匂いがする。落ち着いて眠たくなる香りだ。


「大丈夫だよ!もう迷惑かけないから!ちゃんとするからね!」


背中越しに話かけると、母の身体は震え出した。


「……ありがとう……ごめんね、ちょっと不安になっちゃっただけ」


背中からでも泣いているのが分かる。

ウノ国から帰国した以来に涙した母を見て、プシューも一緒に泣いた。

色んな気持ちが混ざって溢れてくる。


「…………お母さん……大好きだよ……もう変なことしないから……嫌いにならないで……」


 自分が言った言葉で、プシューは何か自分の知らない映像が見えたが、やはり見えないふりをした。


 母親も何か嫌な感じを受け取ったが、自分が守れば大丈夫と言い聞かせて蓋をした。


 元の生活、元の自分、元の親子になろうと親子2人で足掻くほど深い沼に嵌っていく。


1人が沼に引き込もうとしても手を離さないだろうか、沼に沈む瞬間もお互い見つめ合うだろうか、沼の中でもお互いを愛し続けることはできるだろうか。


 どちらが先に壊れても行く末は同じ、物語は変わらないのかも知れない。


「嫌いになるわけないでしょ」


母親は背を向けたままプシューの手に自分の手を重ねた。


「大好きよ、どんなプシューも愛してる」


2人はしばらくお互いの体温を感じた。


 落ち着いてから、バイト先の大きなショッピングモールに向かった。

従業員出入口に向かうプシューの背中を見送ると、母親は先にフードコートに向かった。プシューがよく見える場所に席を取り、別の店で頼んだドリンクを飲む。

バイトは3時間あるため、見守りつつ何をして過ごそうか考える。


 プシューが店先に出てきた。お辞儀してからキッチンに入り、毛が入らないように肘まである手袋をつける。

オーダーが入るとテキパキとクレープをつくる。

こちらに気づくと、笑顔で小さく下の方で手を振ってくれた。

それを見た感想は、大人になったなぁでも頑張って働いてるな、でもなく「なんて可愛いの!!」だった。


 3歳の時にお店屋さんごっこをしていたプシューと何にも変わらない可愛さで、それだけでも来てよかったと感じていた。

見飽きることがないなと思っていたが、さすがに3時間はもたず、プシューをチラ見しながらスマホで時間潰しをする。

プシューも、母親にじっと見られ続けているよりその方がずっとましだと思ってホッとしていた。


 そこから何事もなく3時間がたち、プシューの母は取り越し苦労だったかと肩を下ろす。

フードコートで何か食べて帰ろうと約束をしていたので、このまま席で待つことにしたが、ふと、買いたい雑誌がある事を思い出した。

今までが非日常過ぎたことで、買い忘れていた物だった。

娘は制服から私服に着替え、従業員出入口に行き、ショッピングセンターのメインの入口まで行ってからこちらにやってくるので、どのみち15分ほど時間はあるはず、と踏みプシューが来るまで本屋に行くことにして席を外した。


 一方プシューは、従業員出入口から出るとそのまま従業員通路に戻り、フードコートに近い従業員用の扉から出てきたため、母の予想より5分以上早い到着となった。

プシューは母が先程母が座っていた席にいないのでどうしようかと立っていると、従業員用の扉に入ろうとするサイロを見つけた。


 話をしないと、と思いかけよると、サイロは隠そうともせず顔を歪め嫌悪を現した。


「……え」


プシューは躊躇してしまう。今まで優しく接してくれたサイロとは別人であったが、何か間違いかもと思いたい気持ちもあった。


「お、お疲れさまで」

「まだバイトしてんの?何?」


プシューの挨拶を遮り、吐き捨てるように剥がれた仮面を投げつけてくるサイロに、気持ち悪さを感じた。


「な、なんでですか?」

「いや、よく来れるなって、てかよく話かけてきたね」

「えっ」


その瞬間ようやくプシューは、ハイダイが詐欺師だと分かっていてサイロが声をかけてきたことに気づいた。


「わ、分かってたんですか……?ハイダイさんが詐欺師だったって」


と言いながら、挨拶しようとかハイダイについて忠告しとこうと思っていた自分の馬鹿さに、プシューは悲しくなってくる。


「詐欺師?詐欺師ってか売春斡旋でしょ?」


「ば、売春?」


声が震える。


「は?ウノ国に行って身体売ってきたんだろ?いくら貰ったの?」


プシューは頭ががんがんしはじめて、気分が悪くなってきた。


 一刻も早くここを離れたい。


ここにいると、なぜか知らないウノ人の男の顔が頭の中で映っては消えていく。


「し、してない……もらっても……」


「初心なふりすんなよ、異星人の唾がついた女のくせに」


 知らない記憶が流れ出す、それを見ようとしない自分と、見させようとする自分が頭を揺らし、頬を殴り、気が狂いそうだった。


固まった足をどうにか引きずるように動かし、後退りをする。

誰か助けて!!と心で叫ぶが声にならない。


「自分は汚れている!罪を償うべきだ!お前は助けてもらえる人間じゃない!!」と口を塞ぐ自分がいるからだった。


でも助かりたい!!と思った瞬間。サイロが後退るプシューの腕を掴んだ。


「これだけ知りたいんだけどさ。

良かった?セックス。何回イッた?」

 

 プチンとプシューの頭の糸が切れた音がした。

切れたら防ぎようがなかった。

自分を助けたい自分は動くことをやめてしまい、自分を制裁したい自分が精神を乗っ取ってしまう。


 その結果プシューの頭の中では、永遠に宇野圭吾に押し倒され馬乗りになられた映像が流れ続けた。

プシューにとってそれは拷問そのものであり、止めようもなかった。


「あああああああああ!!!!!!!」


胸を押さえ大声で叫ぶ。片足で地面を何度も蹴り身体を揺らす様は「気が振れた」としか形容できなかった。


 プシューは何も考えられないのに知らない記憶が流れてくること、そしてそれは本当は知っていたことに耐えられずに意識を手放すことにした。


「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!ぅうあああああああ!!!」


床に座り、前かがみになり胸をかきむしる。視線のどこかでサイロが扉の中に消えたのが見えた。


悔しい、でも私は汚い人間だから、悔しいとも思ってはいけない、私が悪い、私は私ハ。


「プシューちゃん!!」


すぐ近くで呼ぶ声がすると、ぼやけた頭で声のほうを見る。


 前にもこんなことがあった。


奥から母が走ってくるのが分かると安心して更に意識はぼんやりとした。


 でも母の声じゃない。


今の声は、ここにいるはずのない優しい人。汚い私を助けてくれた人。


「助けて……」


自然と口から言葉がでた。


「絶対助ける……大丈夫だよ」


力強い言葉と共に、暖かい感触がプシューを包んだ。何も見えないがすぐに分かった。


 急に母の言葉を思い出す。


「ありがとうは、有り難いこと、あまりないような大変なことをしてもらうから有り難うなんだよ」


その時もいい言葉だと思ったけど、今染みてきている。なんて有り難いんだろう。


 渚さん来てくれたんだね、ありがとう。


その思いを最後にプシューの意識は途切れた。

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