第15話 愛を知る

 私の苺ちゃんは、まだ帰らないんだろうか。


スマホの待ち受けには、8時と表示されていた。

もう小さな子供でもないのに、外が暗くなると、そわそわしてしまう。


 今日は新しい仕事の面接だと言って、プシューはスーツを着て家を出て行ったが、そのスーツ姿の可愛いことといったら!言葉に表わせないほどだ。

ちゅるちゅるの体毛に、うるうるの瞳、ふっくらほっぺと唇がいつも赤くて……あぁもういつまでも私の赤ちゃんって感じがする。

本人はふっくらした体型を気にしてるみたいだけど、可愛い範囲が増えるだけで、何の問題もない。

 

 親バカなのは自覚している、もう18年前から私は娘に夢中だ。

こんなに長く夢を見せてくれてありがとう、といった感じ。

 

 プシューが産まれて1年で旦那と別居、離婚をしたから、殆ど一人で育てたようなものだった。

高校生の頃からやんちゃしてて、どうにかギリギリ高校を卒業、バイトもせず社会の常識もなんも分からないまま20歳で産んだ。

勿論、育て方も何にも分からないし、ママ友も作れなくて市の保健師さんに電話をしまくって、聞いて聞いて聞きまくって赤ちゃんのお世話をした。

 本は頭がすぐ痛くなって読めなかったけど、プシューは絵本が好きで、読むとすごく喜ぶから、私も絵本が大好きになった。

今でもプシューが好きだった絵本は、愛おしくて何冊かとってある。


 ひとりぼっちだった私に、本当の愛を教えてくれた子。

教えてくれたのは、愛や絵本の楽しさだけじゃない。

空は青くても赤くても美しいこと、月は欠けていても満ちていても美しいこと、どんな音もお歌みたいだってこと、水たまりに足を突っ込んでも良いってこと。

 沢山の思い出と沢山の教えが、私を「お母さん」にしてくれた。

もうすぐこの手を離れていくかも知れない、それでもずっと、私はあの子のお母さんだ。


 最近は、心配になることが多い。

高校を出ればもうあまりしてやる事もなくなって、楽になるだろうと思っていたけど。蓋を開けてみれば、心配だけでも手いっぱいだった。


少し前から、バイト先の先輩とバーに行く、と言って夜遊びをするようになった。


お酒は飲める年齢になるまで呑まない約束だし、実際それを守っていると思う。


子供を信じたいし、自分が若い頃に無茶をした分、あまり制限はしたくない。

でも、やんちゃだった分、世の中には怖いことが沢山あることを知っているからこそ、危険な場所には行って欲しくない、矛盾した気持ちもある。


 素直な子だからバーの名前も、先輩の名前も教えてくれているので、一通り検索してみたが、汚いバーと、普通の売れないバンドマンって感じだった。

バンドマンか……何も問題ないと思いたい。


面接にしては帰りか遅い、またそのバーにいるのかも知れない。

それにしても今日は連絡がないな……苺ちゃん……大丈夫かな……。

 

 考え過ぎてもいけないと頭を横にふり、先程食べ終わった夕飯のお皿を下げようと立ち上がった時、手から置いたばかりのスマホが鳴る。

 【プシュー】と表示された画面を見てホッとして通話ボタンを押した。


「お母さん?今いい?」


あーーー、いつ聞いても可愛い!電話越しも良い!


「あのね、びっくりすると思うんだけど私ウノ国の入出国管理施設にいるの……」


……?聞き間違いだろうか?思考が停止してしまう。


「でね、なんでいるかはまた絶対話すんだけど……ウノ人の人にお世話になって、お母さんとどうしても電話したいんだって」


「え?」


「お母さん……ごめんね……駄目なことして怒ってるよね……」


悲しそうな声に、パニックになっていた心が落ち着く。

どんな状況でも、娘の幸せが1番大事なのは変わらない。


「……怒ってないよ。そんな所であなたが無事で良かった。」


「良かった……渚さんの言うとおりだ……」


プシューはホッとした、甘い声を出す。


「渚さん?」


「さっき言ってたウノ人の人!あ、急いでるの!電話変わるね!」


お世話になった人と言っていたが、異国の全く知らない人だ。

プシューが騙されている可能性もあるし、気をつけないと、と気を引き締めた


電話の向こうで、話しているのが聞こえる。


「翻訳機、これで大丈夫?」

「ばっちりです」


「ありがとう、じゃあプシューちゃんはタクシーを降りて待っててくれる?変な人には気をつけてね!あ、ここでは私が1番変な人だね!」


プシューの笑い声がして、聞こえなくなった。


 絶対良い人だ!と思う私もかなり騙されやすい方だなと思う。


「あ、プシューちゃんのお母様でしょうか?こちらの音声は、ルナリア語に聞こえますか?」


若い女性の声に聞こえる。


「私、剣崎 渚と申します。ちゃんとご挨拶をしたいのですが、長くここにいてはいけないと、タクシーの運転手の方に言われていまして、大事なことだけお話したいのですが、良いでしょうか?」


プシューがなぜウノ国にいるのか、なぜウノ人と仲良くしているのか聞きたいことは山積みだった。


「プシューの母です、先程ほどお世話になったと聞きました。大事な事とはなんでしょう?」


「聞こえた!良かった……まず、今から言うことを、必ずメモして欲しいんです。電話を切ったあとし、なければいけないことです。……気が動転されるかも知れないので、先に伝えないといけません」


 不穏な内容だ。

プシューに、なにかあったんだ。


この人の言うことが、本当であるかは分からないが、聞かないわけにはいけない。


「少しお待ちください」

 

と伝え、急いでタブレットをひったくるように手に取り、メモ機能を開く。


「お願いします……」


口ではそう言ったが、心の準備は、全くできていないと感じる。


「まずはじめに、必ずお母様の運転する車か、女性の運転手のタクシーで、お迎えに来てください。そして家に着かれましたら、しばらくは休むように言ってください。

プシューちゃんは『元気だ、問題ない』と言うと思いますし、全く問題があるようには見えないと思いますが、外出は少なくとも次の日などは避けて、よく様子を見てあげてください。

1番重要なのは、男性に会わせないことです。ルナリア人の男性なら大丈夫かも知れませんが、まだ会っていないので、何があるか分かりません。徐々に近所の方から、会うのがいいと思います。それが可能になれば、カウンセラーか心療内科を探して、話を聞いてもらってください」 


誰の話を聞いているか、全く分からないし、分かりたくもない内容だ。

今からやらないとはいけないという実感がわかない。


三者懇談では、先生の話を一字一句漏らさないように聞いていた私が、今この話を無視したいとまでに思っている。

 

 私のプシューのことなの?


カウンセラーとはなんだろう、そこだけウノ語で分からなかったが、心療内科はなんとなく分かる……病院だ……男性を避ける?


「やることは以上ですか?……うちの子になにがあったんですか?」


相手は、言い淀んでいるのか答えがない。

混乱もあり、少しイライラしてしまう。


「……お嬢さんは詐欺にあわれています」


「え?」


思いもよらぬ回答だった。


「バイト先の先輩に紹介された人に、仕事を依頼されたそうです。ルナリア語の言語講師として、ウノ国に行くように言われ、きちんとした仕事だと聞いたのに、他人のパスポートを渡され、不安になったと。

でも後にひけずに、出国してしまったみたいです。怖くなり断ろうと思ったけど、仕事をキャンセルするならと300万円を要求され……払えないなら親に言うと脅されたと……」


あいつ!!!あの売れないバンドのボーカルだ!!!!顔を思いだすと、怒りで腸が煮えくり返りそうになった。


「なんてこと……!」


真面目なプシューを騙したやつを、全員叩きのめしたい衝動にかられる。


「……プシューちゃんは仕方なく、指示された通り、受講生の家に行き……講義をしようとした所…………」


「ところ……なんですか?」


「…………」


「早く言いなさいよ!!!急いでるのよね?!プシューになにがあったの?!!」


相手は何も悪くないはずなのに、思わず怒鳴ってしまう。


「すいません……口にするのも嫌なことで……」


「…………なに……」


「お嬢さんは……乱暴を受け、れ、レイプ未遂にあわれました……」


「……………………………………え?」


 私は永遠に思える数秒を体験した。


娘がレイプ未遂?うちのただただ真面目な優しい子が?なんで?


「私が助けに入った時には、押し倒されていて、プシューちゃんは放心状態で、ずっと泣いていました……加害者は完全に服を着ていて、プシューちゃんは……胸元のボタンがはずされていた状態だったので、身体を触られていた可能性はあります」


状況を想像しただけで吐きそうになってしまった。


 外国人の男性が、自分の娘に性的な乱暴を加えるという、自分の範疇を超えた話に、感情がめちゃくちゃになってしまう。


「保護した後なんですが、ウノ国では玄関で靴を脱ぎ、室内に入る習慣があるのですが、私の家にあげて玄関で私の母が靴を脱いだ瞬間に、プシューちゃんは発作を起こしてしまいました。

恐らく被害にあった時と、同じ動きをした事で恐怖を思い出して、発作を起こしていると思います。私は医者ではないので、正確な診断ではありませんがPTSDだと思います」


「…………はい」


「プシューちゃんは自分の心と身体を守るために、自分で記憶を封じている状態です」


「…………」


「なので今は、まるで何もなかったのように明るく元気です」


「…………」 


「いつ爆発するか分からない、爆弾を抱えているような状況なので、先程もお伝えしたように、落ち着かれましたら、カウンセラーか心療内科に相談されてください」


「…………」


「お母様?……大丈夫ですか?」


「……じゃ……」


「おか」


「大丈夫じゃないわよ!!!!!なんでうちの子が!!なんで!!そんな目に合わないといけないのよ!!あなた達ウノ人は、皆そうなの?皆そんな野蛮なの?!」


私が爆発してしまった。

抱えきれない、誰かに話したい。


「…………」


「そもそもあなたはなんで、助けにこれたの?!本当は共犯なんじゃないの?!!白々しい!!」


「わ、私は……加害者の、元婚約者なんです……本当にすいません」


「はぁ?!元婚約者?」


「今日同棲していた家を出て、実家に戻る予定でした」


「最悪の元婚約者ね」


 ここで私は、言葉が続かなくなった。

なぜなら本心で話してないからだ、本当はプシューについてもっと知りたいと思いながら、話をしていたから。

言葉が少しづつもどってくる。


「あ……ごめんなさい、八つ当たりしてしまって」


「大丈夫です……私の元婚約者が、加害者なのは本当なので……大切なお嬢さんに傷をつけたことを謝罪します、申し訳ございません」


謝られても傷つく前のプシューは戻ってこない。


私が返事を迷っている間に相手は続けた。


「……私はこの短い時間で、プシューちゃんの優しさや真面目さ、可愛いらしさに、すごく心を打たれました……だから……本当なら私が友達として、カウンセラーとして、最後までサポートしたいんです、でもそれができないから、お母様に託したいんです、どうか……私の話を信じてください」


真摯な言葉に、心がぐらぐら揺れる。


私は騙されやすい人だから、この人の言葉を、簡単に信じてしまうんだろうか。


「プシューちゃんは、心に蓋をしてしまう直前まで『お母さん』と何度も呟き『警察に言わないでお母さんに嫌われたくない』と言っていました、彼女には今誰よりも、あなたの愛が必要です」


ここでようやく、私の身体が私に泣くことを許した。頬をつたい机にポタポタと涙が落ちる。


「……はい………」


つられたのか、相手も泣きだしていた。


「……すぐ迎えに行くと娘に伝えて下さい」


「はい……」


私は通話終了ボタンを押すとスマホを伏せた。


「私の苺ちゃん……」

 

 外国で危険な目にあい、どれだけ怖かっただろうか、辛かっただろうか、何度私を思い出しただろうか。


なぜそばにいなかったのか、なぜ夜遊びを止めなかったのか、なぜ今朝出かける時に気づかなかったんだろうか。


 玄関で振り返り「いってきます」と笑顔をこちらにむける娘を思い出すと、愛しさと虚しさがこみ上げた。


今から迎えにいくからね、あと3分だけ思い切り泣かせてほしい。

そうしたら格好いいお母さんになって、あなたを守ってあげるから。

もうずっとあなたを悲しませないから。

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