第16話 密入国と迷い

 服が全く決まらない。


来歌は鏡の前で30分以上悩んでいた。自分にしては珍しく余裕を持って起きたのにと焦りはじめる。

彼好みにスタイリングしたいが、好みが分からないどころか、ルナリア国で何が流行っているかも分からないので、服を決めようがなかった。


 しかも今日は密入国決行の日だ。


彼を探さないといけないから、身軽な格好で歩き回れる方がいいのだろうけど、お洒落もしたい。

いや運命なのだから、案外簡単に会えるかも知れないし……とごちゃごちゃのクローゼットから、床やベッドの上に服を投げる。


 更に10分経ち、もうどうでもよくなってきた。


顔が良ければどんな服でも可愛く見える!私の顔面に任せよう!と選んだのは、自分の肌が1番綺麗に見えるラベンダーカラーのワンピースだった。

何回もの着替えでボサボサになった髪を再度整え、リップを塗りなおす。


 コンパクトなリュックを手に取り、いよいよ家を出る!となると……なぜか気が重く感じた。


本当にこれで良かったのか。違法なツアーに手を出してまですることなのか。

 

完璧に仕上がったはずの自分が、ふいに鏡に映る。

まさに30才手前といった、年相応でそこそこ可愛いが美人ってほどでもない女性が、そこにはいる。

先程鏡を見ていた時とは別人のように、肌の粗が目立ち、隠せないたるみや二重あごが見えた。


 人は自分で鏡を見る時にある程度脳内で補正をかけちゃうんだったっけ?だからふいに鏡に映った時や、人に撮られた写真はいつもよりイケてない事が多いって何かで読んだな、と来歌は思いだす。


 こんな私が行動したって何になるのだろう。

何が変わるのだろうか。

あの後も、彼の顔をアップにした待ち受け画像を見ると、すごくドキドキするし、元の動画を見るとやっぱりこれまでに感じたことがない気持ちになることに、変わりはなかった。

友達の横で、何も喋らずにガードレールに座っているだけの彼だが、それだけでとても様になっている。

友達が背が低いのか、彼が高いのか分からないが、身長がとても高くて、顔が小さく、モデルのようなスタイルにもときめいてしまう。


友達がインタビューに答える後ろで時折笑いながら佇む姿は、気が抜けていて、動画に写ってないつもりのように見えるし、どこか「人生どうでもいいです」みたいな表情をしていて、母性がくすぐられるような感じもする。


 ……もし……あちらの国に行ってなにも変わらなくても……彼に会えなくても……傷つかないように準備しないと、今回ばかりは辛い気がする。


運命だと心が叫んでいるのに、理性が「傷つきたくないなら止めなさい」と警告を出してくる。 


でも行かないと後悔してしまう……行かないと何も分からない。

 

 これまで突っ走って沢山笑われてきた、渚にも「またなの」って言われながらも慰められてきた。


傷つくことは恥ずかしいかも知れない、間違ったことは恥ずかしいかも知れない。


でも、恥ずかしいと決めるのは自分の心だ、恥ずかしいことを悪いと決めるのも自分だ。


 来歌はまた鏡を見て人生を変える決断をした。


「もし、何も変わらなくても……私があなたを大事にしてあげる」


 鏡に映る自分に伝えると、少し楽になったように感じ、自然に笑ってしまう。

自分に必要だったのは【自分を幸せにする覚悟】だったのかも、とリュックを背負いながら思う。


この収穫だけでも、この恋は儲けものだ。

 

 自室のドアを開けると、燃え上がる決意とは裏腹に、日常の風景が待っていた。両親の寝室からは、母のいびきが聞こえている。

今日は経営している茶屋は定休日なので、両親がゆっくりできる貴重な日だ。

働き者の母は、休みであってもメールの対応などをしてしまうので、寝かせておくのが吉だ。

 一方父はというと、リビングで白ご飯のうえに卵を乗せ醤油を垂らしていた。娘が密入国をしようという時に、ここはなんて平和なんだろうと思う。


「おう、もう出るのか」


と父が話しかけてきた。


話かけてきたくせに、こちらもあまり見ずに、箸を持ちながらいただきますのポーズをとり、卵かけご飯をかきこみはじめた。


「うん、行ってきます」

「ん」


父の短い返事を聞きながら、こんな感じで良かったと来歌は思った。

罪悪感を強く感じるような、シュチュエーションなら、後ろ髪をひかれたかもしれないからだ。


 リビングの、壁にある鍵置き場に向かう。

この鍵置き場は、来歌があまりに鍵を失くすので、小学生の時に父が設置してくれたものだ。

そこから家の鍵を取り、振り返ると父がこちらを見ているように感じた。

 娘にとって父親とは、感謝すべき相手と分かっていても、なんとなく距離を置きたくなる存在だ。来歌も例外ではなく、少し嫌な感じがする。


「何?」


嫌な感じが、なるべくでないように聞く。

父は箸をカチンとご飯茶碗の上に置くと、ご馳走様ですのポーズをしてこちらを見ずに話した。


「いや……色々頑張ってるなと思って。気をつけて行ってこいよ」


口があんぐりと開いてしまう。


 あの普段あまり話をしない父が、むしろガサツで気を使えない父が、今自分が誰かに言ってほしいと思っている事を、全て言ってくれている。


「うん……ありがとう……」


来歌は、心の整理がつかないまま返事をし、もう一度「いってきます」と言うと、玄関に向かった。

父からの「いってらっしゃい」はなかったが、絶対無事に帰ってこようと思った。


 そして玄関のドアを開ける前に、ツアー代5回払いだから、本当に無事に帰ってこないとマズイな、と思い直した。

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