第13話 当たり前に守りたいもの

 客間に入り座布団を出す渚の母は、プシューの様子がおかしいことも、靴についた砂や土が畳に入り込むことも気になったが、それ以上に自分の娘が心配だった。


 あんなに顔を、ぐしゃぐしゃに濡らして服も乱れて帰ってきたのは、小学2年生の時に、転んで水たまりに顔を突っ込んでしまった時以来ではないだろうか、と考えていた。

自分の心配をしないと行けない時に、他人の心配をしている娘の正義感や優しさは誇らしいと同時に、母を不安な気持ちにさせる。


 マンションの隣にいたということは、マンション内で何かあったということ、中には元婚約者だった悟がいて、関係している可能性が高い。

先日あった電話では「辛いことがあり別れることになった」と聞いていたが、更に辛いことがあったのではないか、と車のミラー越しに顔を見たり、今現在のように座布団を並べながら、顔を盗み見るのだった。

 

「座布団は、はじめて?」とルナリア人に微笑む娘の顔は慈愛で溢れている。

ルナリア人のプシューは頷くと、無理やり微笑んで返す。


 彼女は娘よりボロボロだったが、こちらにとても気を使っているように見えた。話かけていいものか悩んだが、何か手伝えないかと聞いてみる。


「渚もプシューちゃんも、可愛い顔が汚れてるわよ、温かいタオル持ってこようか?」


「可愛いってもう、子供じゃないんだから!私は洗面所で洗うからプシューちゃんにお願いしていい?」


そう言うと渚は、今日会ってから1番の笑顔になった。

娘を笑顔にすることに成功し、少し心が満たされる。

はいはい、と言いながら襖を開け客間を後にし、タオルを取りに行こうと収納のある洗面所に向かった。

 

 リビングに繋がる扉越しに、旦那の影が見えた。

こちらの足音に気づくと、ドアを少しあけて手をだし、ちょいちょいと手招きをしてくる。


ドアの中にするっと入ると、旦那は部屋着をきて普段はボサボサにしてる髪を撫でつけ立っていた。


「ど、どう?」


娘が命より大事な彼にとって、今は大変やきもきする状況のようで、引きつった顔が必死で「早く教えてくれと」叫んでいた。


 距離を詰めて小声で話す。


「あとで詳しく話すけど、渚がルナリア人の女の子を連れてきてるの、連れてきてるって言うより保護してるみたいな感じ」


「なんだと?……全く分からん」


「不安定な感じで、今にも倒れそうなのよ、今から温タオル持っていくの」


「渚がか?!大丈夫なのか?!」


「落ち着いて!ルナリア人の子がよ!」


漫才をしている場合ではないので「あとでね!」と言って踵をかえし、背中越しにおろおろする旦那の気配を感じながらドアを静かに閉めた。


 ドアからすぐ近くにある、階段の上方をちらりと見る。

息子である一輝がいるはずだが、言われた通り出て来ずに静かにしている。

しかし20年育ててきているので、彼がドアにぴったりと耳を当てているだろう、という事は分かった。

あんたもあとでね!とテレパシーを送り洗面所に行く。

 

 蛇口を捻り温かいお湯が出るまで、水が流れるのを見ながら待つ。

そうしてる間に渚が顔を洗いにやってきた。

聞きたいことは山ほどある。


「なにがあったの?」


客間から近いので、先程より更に小声で話す。

渚は顔を一気に曇らせる。

眉は下がり泣きそうな目元に、口はへの字を書いている。


「……簡単に言うと、悟があの子をレイプしようとしてた所に、遭遇したの……」


想像以上の答えに、何も言えなくなってしまう。

心だけ宇宙に放り出されたようだ。


「ひっどい話でしょ?」


そう呟きながら渚は、私の手からタオルをひったくり、お湯で濡らしはじめた。


 酷い話という言葉にいくつもの【酷い】が詰まっている。


仕事の間に未成年を同棲していた部屋に連れ込まれていた、という酷さ、それを直接見ないといけなかった、という酷さ、ましてや同意なしでレイプされたかも知れない人がいることは、とても酷いことだし、それで酷く傷ついたのは渚も間違いなかった。


今すぐ頭を撫でて肩を抱きしめてやりたかったが、それを遮るように続けて渚が話した。


「私ね!悟のことぶん殴ってやったの!水筒で!」


こちらに顔向け笑って見せる。

手元には絞り終わったタオルがあり、片方の手のひらをペチペチ叩いている。


「だってね……あの子馬乗りになられてさ、涙だらけになりながら、ずっとごめんなさいって言っててさ……異国の地でだよ?!もうやりきれなくて」


 渚は母と来歌の前では饒舌なので止まらない。


「それで……あ!駄目だ、1人にしすぎたらプシューちゃん不安かも!お母さん先にタオル持って行ってくれる?私は顔洗ったらそっちいくね!」


 勢いに押され、タオルを受け取るとようやくボタンを押されたように話せるようになった。


「渚……変わったのね」


 娘はきょとんとした顔したあと「そうかも」と小さく言い顔をざぶざぶ洗い出した。


 客間に戻るとプシューは、足を2本とも前に出して座っていた。


「温かいタオル、持ってきたよ」


顔をのぞきこむと、柔らな髪の毛の下にある3つの目がきゅるんっとこっちを見つめた。


大きな目ではないがくりっとしていて、すこし眠たそうな二重をしている。

鼻は小さくつんと上向きで、唇は薄いピンク色、マシュマロのようなふんわりした頬。

なんて可愛らしい顔をしているんだろう、と引き込まれてしまう。


「よ、良かったら私が拭くわね」


断られるかとおもったが、小さな声で「はい」と聞こえたので、優しく汚れているところや、毛が涙で張り付いた所を拭いていく。


「まぁ可愛いお顔が台無しね」


そういうと、照れたように下を向いて笑うプシューにさらに釘付けになってしまい、渚が助けた理由も分かる気がしてきた。


ふと下を向いたプシューの耳に、イヤホンがかかってるのが見えた、えへへ……と笑い声もそこから聞こえてくる。


「耳につけてるのはマイクなの?」


「……あ……これは翻訳機でマイク機能もあります」


「へー!さすがルナリア人の技術ねー!私もね、ルナリアの最高の技術を注ぎ込んだって書いてある化粧品を使ってるのよ!なんか良い気がするの!」


 プシューは一瞬丸い目を更に丸くする


「私はこの土地に古くから現存するウノ人の美の秘密、月桃葉エキス配合!ってやつ使ってますよ!」


2人で顔を合わせ笑ってしまう。


「やだ!お互いないものねだりだったのね!」


というプシューは更に声を出して笑いだした。


 そこに帰ってきたのは渚だった。

信じられないという顔をしている。

畳をミシミシ踏み鳴らしながら


「ちょっとー!私もまだそんな笑顔見てないのにー!」


とこちらにやってくる。


「お母さんずるーい!」

と半ば本気のようだった。

「私の人望のせいかもー?」

と顎に指を当てて戯けて見せると、若者達は更にウケたので私は気分を良くした。


 プシューが綺麗になり、3人で冷たいお茶を飲んだ。

ルナリア人にもお茶を飲む文化はあり、特にウノ国に住むルナリア人には緑茶、抹茶が人気だという。


「私のバイト先でも、抹茶味のクレープがあるんです、シズオカ地方の茶葉を使っていて美味しいんですよ」


とプシューが言うと私と渚は顔を見合わせた。


「ふふ、来歌ん家の茶葉と比べてみたいとこだね」


と渚がニヤニヤするので私が説明する。


「渚の友達に来歌って子がいてね、そこの家はお茶屋さんをしてるんだけど、静岡の有名な茶畑から移動させた苗を、兵庫県で育てて静岡茶として販売してるのよ」


と言いながら笑ってしまった。


今まで「それはもう、静岡茶ではない気がする」と思ってたが本物の茶葉がまだ存在していることで確定的になり、面白くなってしまった。


するとプシューは今日で1番の笑い声をあげる、まるで何もなかったかのように。


「あはは!こっちにもありますよ、沖縄のおばあから伝授された、心を整える神聖な踊り【ウシデーク】ってのが流行ってるんですけど、修学旅行で見たら全然違いました!」


こちらも馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。

ルナリア人の修学旅行客を見たことがなかったので、どうやって来てるのか聞こうと思ったその時、掛け時計の鳩が七時を告げた。


 こういった時計がないのかプシューは声にだしてびっくりしていたが、すぐに興味深そうに見ていた。

 

 女の子を家に置いておくには、遅くなってきた。

そして、もう本題に入らないといけない時間だ。

 口火は私が切るべきだろう。


「プシューちゃん……帰り方はわかる?大丈夫?」


プシューはすこしぼーっとしたあと、あっ!と言うと小さな紙を取り出した。


「行き道にタクシーの運転手さんに名刺を貰ってたんです、ここに電話をすれば大丈夫だと思います」


にこにこと話すプシューの顔は、来た時と大違いだった、それが渚を不安にさせているのか不穏な雰囲気を感じる。


 渚は言葉を選びながらゆっくり話す。


「良かった……あのね嫌じゃなかったら、こっち側にきた経緯が知りたいの……私は貴女を守りたいから……知ればちゃんと言えることもあるから」


渚の視線から逃げるように、プシューは俯いてしまう。

名刺を指で擦ったり少し曲げてみたりとそわそわしている。

まるでお説教の時間が過ぎるのを待つ小学生のようだった。


「警察には絶対に言わない、今後何があっても、私と母は他の人に話さない」


 その言葉を聞いて私は、姿勢を正すと渚に向かって告げる。


「私は聞かないでおくわ……渚と2人の方が話しやすいこともあるでしょう?」 


そう言うと今度はプシューの方に向き直り優しく話しかけた。


「そうあったことじゃないと思うけど、またいつでも来てね」


プシューの頭を一度だけ撫でる。

人間の髪の毛ともまた違う、ツルツルとした感触が気持ちよかったと同時に、渚の子供の頃を思い出していた。


あの頃もこの子供を守らないとって必死だったけど、今でもそれは変わらない。

誰かを守っている貴女を守りたい。

立ち上がろうとして渚を見ると、あの時と同じ目、同じ唇をしていた。


温かい気持ちがこみ上げてきて思わず我が子の頭にポンっと手を置く。

がんばってと、得意のテレパシーで伝えた。

これが案外我が子には伝わるもので馬鹿にはできない。

渚が背中をシャキっと伸ばすのを見ながら、ゆっくりと襖を閉めた。

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