第12話 君と安全な所へ

 渚はしばらく、プシューを覆い隠すように、膝立ちで道路を背にして立っていた。

途中1人の親切な男性に「大丈夫ですか?」と声をかけれたが「気分が悪くなって休んでいるので」とやり過ごした。


 プシューの膝を抱えて座る姿に、胸がズキズキ痛む。彼女は途中から、口の中で何かぶつぶつ呟いていたが、耳をすませてもほとんど聞こえて来なかった。


今はただ、この子がこれ以上傷つきませんように、怖い思いをしませんようにと願い、心に刻みつけるだけだった。

彼女にとって外国人、ましてや異星人である渚が既に怖い存在である可能性があるからだ。


追加でいうと、人が流血するまで殴りつけるようなやばい女であると印象づけたことは確定している。


 怖がらせないよう、チラッとだけ彼女をたまに見る、そんな時間が過ぎていく。

たった30分ほどの事だったが2人には永遠に思えた。


 フゥゥーンという電気自動車特有の音が近づいてきて、渚は反射的に振り返った。

久しぶりの運転に顔を強張らせている母の顔を見ると、身体の芯から安心してしまい膝から力が抜けてしまった。


ぺたんと座り込む渚を見てプシューは顔をあげて震えながら手を伸ばす。

渚はその気持ちに笑顔で応えると


「大丈夫だよ、緊張が解けちゃった」


と言い、膝から下をパンパンと叩いた。

「よし、車に乗れるかな?立てる?」

プシューは両手で地面を押すとゆっくり膝をついて立ち上がったが上手く力が入らずよろけてしまい、咄嗟に渚が脇を支える。


「うん、ゆっくりでいいよ、鞄は私が持つから」


渚がプシューの身体を支え後部座席に運ぶ。

プシューは少しふくよかな体型をしていたし、半身に体毛がある分重かったが、普段園児を3人ぶら下げて歩く渚にとってはどうってことなかった。

 

 席ついてシートベルトをつけてあげると、プシューから小さな声が漏れた。


「……ありがとう……」


目はまだぼーっと下の方を見ていて、手はぎゅっとスーツの裾を握り込んでいる。


自分の服も顔もぐちゃぐちゃ、頭の中も予定もめちゃくちゃだったが、絞りだしてくれたこの言葉だけで頑張れると渚は思った。


自分が辛い目にあったばかりなのに、しっかりお礼が言えるこの優しい子のために、最後まで。


 渚の母は後部座席に座ったプシューを見て、口をあんぐりと開けた。


「……どうしたの、何があったの……?」


ボロボロのルナリア人が急に現れたのだ、この反応は正常だった。

渚は運転席に向かって少し身を乗り出すと懇願した


「お母さん、信じて、この子酷い目にあったの……本当に……助けたいの」


法律ではルナリア人とウノ人の過度な接触は禁止されている。

つまり今、渚は母に共犯者になってくれとはっきり言っているようなものだった。

娘の目は真剣そのものだったし、大変なことがあったということは、2人の着衣の乱れや顔が涙で汚れていることで明確だった。


 娘の涙に動揺しない親は殆どいないだろう。

母親は戸惑いつつも車を発車させる。


「よく分からないけど、家でゆっくりしなさい」


その言葉を聞いてようやく渚は肩の力を抜くことが出来た。

 

 座席に身体を預けると様々な考えが浮かんできた。

今朝見た小鳩の事故未遂、これから来る宅配業者にキャンセルの連絡をいれないといけないこと、そして悟のこと。


 あの時の悟の顔を思い出すだけで、ムカムカして吐き気がしてきたが、今後のことも考えないといけない。

彼が復讐してくる可能性は?警察に突き出して罪を償わせるには?法を守りつつあそこをぶつ切りにするには?

誰かに相談しないと1人では無理かも知れない、でも誰かや警察に言えば、この子が危ないかも知れない……。


 プシューを横目で見るとまだ身体を硬くして緊張している、肩を縮めてうつむきながら何か呟いている。

少しでもリラックスできるように帰ったらお茶を入れてあげようか、こちらのお茶は身体にあうのか、好きな物は何か……いや先に早く国に帰してあげれる方法を考えないと。


 ……そしていつか落ち着いたら来歌に話そう、そう思った時に思い出したのは来歌がソフトクリームを豪快におでこにつけてしまったマヌケな顔だったので少し顔がほころんだ。

考え過ぎちゃ駄目だ、家までは一旦安全だゆっくりしよう。

 

 そう思った時にプシューがこちらを見ていることに気づいた。


「あ……」


 何か言いたそうだったので少し待ってみる。


「ナ……ナァギサさん」

「え?」

「うまく発音できなくて……ナギサさん、言えてますか?」

「それ今まで練習したての?!」

「!……すいません……難しくて……」


渚は疲れが吹っ飛ぶ思いだったが、プシューは申し訳なさそうにしている。


「違うの違うの!言おうとしてくれたのが嬉しくて!」


状況を顧みずヘラヘラしてしまう。


職場で2歳児のクラスを受け持った時にはじめて「せんせ」と言われた時くらい感動していた。


プシューはほっとして少し緊張を解いたように見えた。


「良かった……助けてくれたから、ちゃんと話したくて……」

「ありがとう、ゆっくりで大丈夫。貴女の名前は?」

「プシューです……発音できますか?」

「うん、プシューちゃん可愛い名前だね」


はっ、セクハラ親父みたいなこと言ってると内心慌てる渚をよそにプシューは嬉しそうに少し笑った。


 そうこうしてる渚の実家についた。

ありがたいことに日が落ちていたので、見られないようにさっとプシューと移動することが出来た。


 問題だったのは玄関に入ってからだった。

渚の母が先にあがり、いつも来客に言うように


「狭いところだけどゆっくりしていってね」


と声をかけたあとプシューは固まってしまったのだ。

口先だけで息をするようにハッハッと短い呼吸を繰り返し目を見開いている。


「プシューちゃん!ここはさっきのとこじゃないからね!大丈夫だよ!」


渚が声をかけるが聞こえてないようで、足を震わせている。

渚の母も心配そうに駆け寄る。

過呼吸になりかけていると判断し「お母さん、ビニール袋取っ……」と言いかけた時、震えながら靴を脱ごうとしていることに気づくいた。


「プシューちゃん!くつ!脱がなくていいよ!お家と同じようにして!」


 心に届くようにはっきりとした言い方で伝えると、プシューは呼吸の早さは変わらないが足元を全体を見るように、キョロキョロ目線を動かした。

すると最初に動いたのは渚の母はだった。


「ちょっとごめんね」


と言ってプシューの足元から自分の靴を取ると玄関マットの上で履いて見せた。

私もとばかりに渚も続けて土足で玄関マットにあがる。


「あ……」


プシューは戸惑いながらもようやくこちらを見てくれた。

言葉を間違えて怖がらせたくない、そう思いながら渚は目を閉じ息を吸い込む。

半分ほど目を開けると、優しくプシューの手を両手で握り、落ち着いた声で話しかける。


「お家に帰るまでの間の手伝いをしたいの……貴女にとっての怖いことはここには何もないから入って欲しい」


 握ったプシューの手はふにふにしていて小さく、手のひらは人間の皮膚と同じだが、手の甲にはぬいぐるみのような長い体毛が生えていてふわふわしていた。

その愛らしい手に少し力が入ったと思うと次の瞬間には握りかえしてくれていた。


 目を見ると少し力が抜け、額には汗をかいていた。


「ゆっくりでいいからね」


少し手をひくとプシューも土足のままゆっくり前に進む。

 

 渚は少しほっとしたが、同時にこの先なるべく同棲先の部屋と同じようなものがないか考えていた。


「……お母さん、私の部屋じゃなくて客間にする!和室だから!机を立てかけてくれない?」


なるべくいつもの話口調で明るい感じで伝える。


「はーい、カーテンも閉じとこうかね」


渚の母も同じように合わせてくれたので渚は本当に助かった。


 土足であがった花柄の玄関マットには貯水槽横の苔と土が沢山ついていた。

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