第9話 悪いこと
プシューは国境近くの入出国管理施設にきていた。
ここは元々ウノ人の土地だった時に酒蔵があった所だ。ルナリア人が移住する際に、大阪と京都を境に、京都より東にある全ての建物と人は消されたが、ここは国境ギリギリのところにあったためか、ミスがあり建物が残ってしまっていた。
施設には記念として、当時の酒樽がそのまま飾られており、木の香りとツーンとしたお酒の匂いが漂っている。
なお、お酒を呑んだことのないプシューにはツーンと感じるが、ウイスキーが好きな大人にはたまらない香りである。
あの後ハイダイからチャットがあり、日時と相手の情報が送られてきた。
相手は宇野圭悟という27歳の男性でルナリア語は挨拶程度しか分からないらしい。
教育者として働いているので今後のためルナリア語を覚えたいという理由で講義が必要だという。
ウノさん、ウノ ケイゴさん。
ルナリア人にはいない名前なので、頭の中で繰り返して覚える。
楽しく会話をするなかでルナリア語を覚えていくシステムなので、特別な教材はいらないというが、プシューは上手くできるか不安だったため、自分なりに教材を用意してきた。
ルナリア人の幼稚園児用の教材を参考に手書きで作成し、コピーをとってファイルに入れておいた。
「これから頑張りましょう☆」という手紙も添えて。
出国審査の書類は、この施設でハイダイの部下が渡してくれるという。キョロキョロしていると、後ろから肩を叩かれた。
「わっ!」と声にだして、驚いてしまう。
振り返ると、目の下に大きなクマのある、無精髭の男性が立っていた。髪はボサボサで長袖のTシャツにスウェット、サンダルといった明らかに先程まで寝ていました、という出で立ちだった。
プシューが何も言えないでいると
「プシューちゃんだよね、コレ」
と折りたたまれた紙とお札、カード1枚、翻訳機らしきものを、2台手渡してきた。
男性は袋も何も持っていなかったので、両ポケットにねじ込んできたのだろうと、推測される。余りの適当さにプシューは驚いてしまった。
「あ、ありがとうございます……」
本当にハイダイの部下なのか疑ってしまう。
もらったカードを見ると「1日パスポート」と書いてあった。そして知らない名前が書いてある。
「それじゃあね」
と言って帰ろうとする男性を引き留め慌てて聞く。
「これ私の名前じゃないんですけど、間違ってませんか?」
男性はプシューの必死な顔をみて半笑いを浮かべこう言った。
「あってるよ。今から君はこの人なの。」
「え?」
聞いたことのない言葉に呆気に取られてしまう。
「あのね、プシューちゃん20歳なってないでしょ?ね?親の承諾がないと1日パスポート取れないのよ。今回時間なかったからさ、この名前で出しといたの」
言ってくれたら親に書類を書いてもらったのにと思ってる間に男性は早口で続けて喋った。
「まぁウノ国に3時間くらい滞在するだけだし問題ないよ、皆やってることだから」
皆やってること?プシューは頭が混乱してきた。
「ま、大丈夫、頑張ってね」
そういうと男性は踵を返し歩きだした。
「え、待って」
プシューは手を伸ばしたが、早歩きで避けられ出ていってしまった。
呆然として立ち尽くす。
しばらくして、カード以外に紙もあったんだと思い出し、広げてみると仕事の手順が書いてあった。
①出国所にカードを提出する、目的は仕事のための視察と答える。
②入出国施設前のルナリア人専用タクシー乗り場にいく。
③タクシーの運転手に住所を伝える、この用紙下部にある住所を見せる事。
④現地についたらマンションの二階201号室のチャイムを押して依頼人にあって講義を行う。
⑤終わりしだいタクシー会社に連絡をし入出国管理施設に帰ってくる。
書いてあることはどうにか出来そうな気がした。
これが仕事だ……やらないといけない。講義の時間遅れてしまう。
私が変わるチャンス。
結局プシューは怖々と出国審査に向かった。受付で、偽りの名前が書かれたカードを出す。
女性の審査官はカードを機械に、差し込みカタカタとキーボードと打っている。
顔の確認などはいらないのだろうか?1日用だから?中学校の修学旅行の時はどうだったっけ?政府の仕事なのにちゃんとしたパスポートも発行されないの?など頭の中を様々な考えが巡る中、審査官の動作を見つめる。
喉がつまるような感じがして脂汗をかいてきた。もう帰りたい。
「目的欄に視察とありますが仕事はなんですか?」
急に話しかけられ息ができなくなった。
「あ……」
審査官の目線に殺されそうになる。
「……鳥、鳥の仕入れです」
どうにか答えたが、審査官の顔は疑問でいっぱいだ。
「株式会社ラブバードです、鳥の販売をしていて……仕入れ担当なんです。」
言いながら母親の顔が浮かんでいた。
審査官は軽く頷くとキーボードを叩きはじめた。
「はい、大丈夫ですよ」
とカードが返却される。
「あと、こちらが透明コートの装置です、現時刻から24時間使用可能になります」
プシューが汗だくになりながら受け取る。
……もう座りたい……。
「ねぇ……」
去ろうとすると審査官が声をかける。
今度はプシューの頭に、殆ど会ったことのない父親の顔が浮かんできた。
「私も鳥飼ってるの、ウノ国のペットショップにどんなのがいたかとか……また教えてね」
審査官は親しみやすい笑顔をこちらに向けた。
プシューは力なく笑い返すのが精一杯だった。
出国審査を終えたプシューは、ベンチに座りこんでいた。
嘘をついてしまった……。
咄嗟に会社の名前がでたのは、受講者に自己紹介する際に「株式会社ラブバードから来ました、プシューです!」と言うつもりで、練習してきたからだった。
でも内容は嘘だ。
周りを見渡す。ここはもうウノ人の領域のはずだ。
本当にこれは、政府からの仕事なんだろうか。
さっきの男性が変な人だったのかも知れないと、少し落ち着いたプシューはハイダイに連絡をしようとした。
するとそのタイミングで、知らない番号から着信があった。プシューは通話ボタンを押す。
「こちら株式会社ラブバードです」
助かったと思った。
「あ、プシューです、あのなんか思ってたのと違って……」
そこで遮られる。
「契約の破棄をお考えですか?」
「え?契約?」
「ハイダイ社長と、雇用契約を結ばれましたよね?こちらに書類もあり、確認しております」
「…………あの」
「こちらは、貴女をきちんとした方だと思い、大事な仕事をお任せしております、仕事を放棄された場合は、契約違反とし、今回渡航にかかった金額と、違反金を請求致します」
たたみかけるように言われ、自分の話なのに、全く違う世界の話を聞いている気分だった。
「……いくらかかるんですか……」
「合わせまして300万円です」
背筋が凍る。
そんな金額は、まだ18才のプシューには勿論払えない。
「え、は、払えないです」
泣きそうになりながら伝える。
「では契約上、親権者が払う事になっております。お母様に連絡をさせて頂いて宜しいでしょうか?」
「だ駄目です!!!」
それだけは駄目だ、と思い大きな声を出す。
お母さんに知られたら、がっかりさせてしまう。大金を払わせてしまう。
女手一つで、苦労をしてきた母を見てきたプシューにとって、その言葉は心臓を焼かれるくらい、辛いことだった。
「やります!変なこと言って、ず、ずいばぜん……お、おがあざんに言わないで……」
とうとうプシューは、泣き出してしまった。
「…ご…ごめんなさい……」
「いえ、契約を遂行して頂けるなら、問題ございません。ではお渡しした用紙の通りに、お願い致します」
相手は淡々と話すと、電話を切ってしまった。
プシューは泣きすぎて、しゃくりあげていた。
ようやく泣き止み落ち着いた頃には、目と鼻は真っ赤になり、膝を抱えて小さく震え、後悔の念に押しつぶされそうだった。
「帰りたい……」
でも仕事を終えないと、帰れないことは確定していたので、腹をくくるしかなかった。
自分が作った教材が入った紙袋を眺める。今朝までワクワクしていた自分が、馬鹿みたいだった。
実際には、腹はくくれていなかったが、指示通りに、タクシー乗り場に向かう。
今日の仕事が終われば、辞めたらいい。
そうすればお母さんにはバレないし、違約金も払わなくて良い。
……受講者の人が、良い人だったらいいな……と思いながら歩く。
自分の鼻をすする音がうるさかったせいだろう、プシューは少し離れたベンチから聞こえる、女の子の泣き声には、気づかなかった。
タクシーに揺られながら外を眺める。住宅街に近づくにつれ、ウノ人を沢山見た。
子供の手をひく女性、腕を組むカップルを見ると、ルナリア人と何も変わらないように思えた。流石に家の雰囲気などは違うが、窓がついていることや、ドアから入るなど、基本的な事は同じだった。
「これなら大丈夫、あとは一時間仕事をこなすだけ、たった一時間、たった一時間」と自分に何度も言い聞かせる。
タクシーの運転手が、話しかけてくる。
「お客さん、お支払いと透明コートの準備をお願いしますね」
「あ、はい……」
透明コートの装置のクリップを、首元にひっかける。
ボタンを押すと、全身がシャボン玉のような虹色の膜にピタッと包まれる。視界はクリアで問題なさそうだった。
タクシーが止まったので入出国管理施設で貰ったお金を出す。運転手はお釣りをトレー入れてこちらに差し出した。
後部座席のドアが開く。
いよいよだ。地面に降り立ちタクシーが去ると、この世界に1人取り残された気持ちになった。
ドキドキしながら目の前のマンションに入っていく。
頭の中で自分を励ます。
大丈夫、沢山練習した、イメトレもした。もし駄目でも大丈夫、元々普通に会話すればOKって言われてたんだから。
階段を上がってすぐの所に201号室はあった。
ルナリアのとは違うけど、たぶんこれだろうとインターホンを押す。「はーい」という男性の声が聞こえた。
「株式会社ラブバードのものです」
と言うと、ドタバタと走る足音が聞こえ、すぐにドアが開いた。
そこには、笑顔のウノ人の男性がいた。
「本当に透明なんやね」
目を丸くして、こちらを見ている。
髪はウノ人に多い黒髪で耳の当たりまでの短さ、猫のような少しツリ目の大きな目に、薄い唇、服はストライプのシャツにチノパンを合わせていた。
どうぞと言われたので、部屋の中に入る。
透明コートの装置をオフにすると、男性はより一層、プシューの事をじろじろと見た。
普段、ルナリア人を見ることが少ないからかな?と困惑しながらも、しばらくじっと待ってみた。
こちらもこんなに間近でウノ人を見たことがないので、怖く感じてしまう。すると男性が口を開いた。
「コンニチハ、ワタシハ、ウノ ケイゴ、デス」
ルナリア語だった。
プシューは、すごく嬉しくなった。
この人ちゃんとルナリアについて勉強してくれてるんだ、ウノ人を知ろうとしてくれてる。
そう思うと、ちゃんと講義して帰ろうと、少し前向きになれた。
「アリガト、ゴザイマス」
プシューもお返しに、ウノ語で返しニコッと笑った。
圭悟も驚いた顔をしたあとに笑顔を返した。
プシューは、指示通り翻訳機のスイッチを入れ、圭悟に渡した。
イヤホンをつける文化があるようで、すんなり耳につけてくれる。
「聞こえますか?」
男性は笑顔で、親指と人さし指をくっつけるポーズをして「大丈夫」と答えた。
ウノ人のOKサインだろうか、覚えておこうと心にメモをした。
靴を脱ぐように言われ、脱いで歩く。寝室以外で靴を脱ぐ習慣のないルナリア人からすると、とても気持ち悪いが、仕方がない。
リビングらしき所に通されると、低く小さめのテーブルがあり、座るように促されたが、やはり床に座る習慣のないルナリア人にとっては、またカルチャーショックだった。
思ってた環境とは違ったが、練習通りにはじめる。
「こちらが今回の内容になります」
と言って、手作りしてきた教材を、テーブルの相手の前に置いた。
すると圭悟は少しニヤニヤすると。
「こういう設定なんや」
と言った。
翻訳されているはずなのに意味が分からなかった。練習通りにしたかったので続ける。
「まずは挨拶の練習からはじめたいと思います、宇野さんの翻訳機のスイッチを切るので、私が言った言葉を、リピートしてください」
「オハヨウゴザイマス、はい」
「オハヨウゴザイマス」
圭悟が繰り返したのでホッとする。
それも束の間だった。
「ねぇ、その服めっちゃいいなぁ」
プシューを舐め回すかのように、見てくる。
「スーツ、この設定のために着てきたん?」
今後使うだろうと思って、昨日買ってきたパンツスーツだった。
「この上から触っていい?まだアカン?」
圭悟が話すたびに分からなくなり、プシューは背中がすーっと冷えるのを感じた。
この人は何を言ってるの……?
こっちの言い分が分かるように、圭悟の翻訳機のスイッチを入れるが、手が震えてしまう。
「さ、触ったりは駄目です……講義中です」
プシューは立ち上がろうとしたが、腕を掴まれてしまった。
「もう、そういうのええから、時間なくなるやろ」
圭悟の顔に、もう笑顔はなかった。
恐ろしくなったプシューは、必死に腕を振り払おうとしたが、簡単にもう片方の手も掴まれてしまった。
「やめてください!」
「そんな演技もいらんて、ちゃんと聞いてるで、プシューちゃんめっちゃエッチな子なんやろ?」
抵抗を続けないといけないのに、思わず固まってしまう。
「え……」
「ウノ人が好みで、この仕事してるってプロフィールに書いてたで。好みの男にこんなんされて嬉しい?」
驚きと恐怖で、声も出なかった。
騙された、どうしよう、怖い怖い怖い怖い怖い。
「違います、やめてください、こんな仕事って知らなかった、ルナリア語の講義をしに……」
「うるさい!!!!!」
圭悟は急に大きな声を出した。
そして、掴んでいたプシューの両手を、床に抑えつけ、プシューの身体に覆いかぶさる。
「それ、もう良い言うてるやろ、お前にいくら払ってると思ってんねん、なぁ」
コワイコワイコワイコワイコワイコワイ。
恐怖が、頭と身体を支配しはじめていた。勝手に涙が出てくる。
プシューは喉を精一杯ひらき、窓に向かって叫んだ。
「助けてーーーーー!!!!助けください!!!誰かーーー!!!誰」
バチンッと乾いた音が、部屋に響く。叫び終わらないうちに、頬を圭悟に叩かれていた。
「助けがきて困るのは、お前やろ?こんなとこにルナリア人がおったら、どう思われるんか考えろ」
プシューは抵抗をやめた。朝からの事で疲れはててしまい、プシューの小さな心は、悲鳴をあげ壊れようとしていた。
「……ご、ごめんなさい」
「それでええねん」
圭悟が、プシューの首元に顔を寄せる。
「俺な裏サイトで見たルナリア人のAVでめっちゃ興奮してさ、ルナリア人しかアカンくなってもうて………」
圭悟の声は遠くに聞こえるだけで、もう殆どプシューには届いていなかった。
それはプシューの心が自分を守ろうと、最後の力を振り絞った結果だった。
頭の中には、母親の顔が浮かんでいる。
お母さん……。
そう心の中で呼んでみる。
お母さん……辛いよ……帰りたいよ……。
そしてなぜかバイト先のハナ先輩を思い出した、先輩が肩を叩いて「大丈夫」と言って守ってくれた事、暖かい手の感触が頭に浮かんできた。
助けてほしい……。ハナ先輩……お母さん……。
ごめんなさい……もうこんなことしないから……。ちゃんとするから……助けて……。
……悪い子でごめんなさい……。
「ごめんなさい……ごめん……なさい……ごめんなさい……」
プシューは自分でも気づかぬうちに謝りつづけ、静かに泣きつづけた。
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