右利き推し探し
ぽんぽん丸
利き手
手がかりは破れた手袋。Xのタイムラインには推しの漫画家の破れた手袋。
『原稿作業の手袋。右手だけ大破。利き手はヒステリックみたい』
破れた手袋の写真。
私は明日の予定を決めた。やっぱり人が集まる場所がいいだろうか?でも画材屋、本屋は違う。推しの原稿はデジタルだし、本はAmazonで買っていることはリサーチ済みである。推しがどこに生息しているのかはわからない。場所を絞るというよりは母数を増やす方が賢明かもしれない。だからとにかく人が多い場所にいこう。
手がかりは右利き。私は右利きを手掛かりに推し探しをする。都会には右利きがたくさんいるから、出会うかもしれない。
電車は利き手がわかりやすくていい。つり革を握る手、スマホを操作する手。容疑者は莫大。おじさん、おばさんは除外する。大学在学中に連載デビュー、パラポラニーアは7巻続いた。2作目のアストロ・デストネーションの連載が2作目で3巻目。公表はしていないが今は20代後半?
平日の昼間は若者の割合が少ない気がする。土日に電車に乗るともっと多い気がする。みんな学校に行ったりちゃんと働いてえらい。私はといえば平日休みの仕事なのであるから、同様にえらい。
あの人は特にえらい。そこまで混んでいないのにリュックをきちんと網棚に乗せている。スマホを右手で操作する。胸元に当てるように近づけて、スペースを取らないようにしている。足は肩幅に開いていて安定している。電車が駅に入る時に揺れるのだけど彼は安心。彼は推しの可能性がある。
女性という可能性もある。男性っぽいペンネームを使っている可能性は多分にある。漫画を読んでいても恋愛の描き方がなんとなく女性っぽい気もする。手袋が置かれた机はダークブラウンで男性っぽい気もするのだけど、あれはきっと楽天で一番安い机に見えるから単に節約だとも思う。
この車両の中の候補者としてはあの女性かもしれない。
右利き、あまり美人ではないし、時々スマホから目を離して周囲の会話の方へと視線を向けている。きっと関心に負けて観察しているのだと思う。スマホでしている何かより、聞こえてきた会話の内容が楽しそう。きっとそんな感じ。パラポラニーアを書くのだから推しは車内であんな感じ。違いない。
ふと美人ではない推し候補と目があってしまう。彼女は、くどくない程度ににこっと笑ってまたスマホに視線を戻した。私は笑い返す暇さえ持てなかった。私は今、推しかもしれない人に微笑みかけてもらった。それだけで十分だ。
環状線を一番大きな駅に向かって電車は進んでいく。高架の上から眺める街を歩くすべての人に可能性がある。駅に着くたびに新たな可能性が乗り込んで来る。私は彼等を評価する。
私は6人程度の右利きの20代の推しの可能性を見つける。彼等は推しかもしれないし、推しじゃないかもしれない。だけど極僅かな可能性でも山ほど集まってしまえばなかなか嬉しい。
目的の駅に着いた。
アーチ屋根の下に広がるターミナル駅のホームは左右の商業施設が押しつぶされそう。左右にガラス張りの建物が密接していて、そこに蔦屋書店やZoffやスターバックスみたいなオシャレ寄りで資本力もある企業がでかでかと屋号を掲げている。そんな谷間を電車と人流が川のように止めどなく流れていく。改札に向かうまでに観察してみたのだけど電車と違って歩く人の利き手は判別が難しい。手は歩いているときにはあまり使わないのだ。
私は改札をくぐるりながらどうしたものかと考えてみる。そもそも推しかどうか観察したくてもみんな歩いてどこかへ行ってしまう。どこかに行かないといけない。
映画館の座席には飲み物やポップコーンを置く。右利き確認しほうだい。そもそもローマの休日のリバイバル上映なのだから候補者は多数だ。それなのに私はかえって見定めに困ってしまう。
確かなことはオードリー・ヘップバーンは推しではないこと。右利きではあるのだけどすでに亡くなっている。彼女と違いこのシアターにいる殆どの人がそんなふうな確かな推察を許さない。最後尾から眺めてみても見えるのは後頭部ばかり。
24人の薄い候補者達。利き手が右手の後頭部が24。私は仕方なく映画の盛り上がりポイントのリアクションから判断することにする。なんとなく推しは盛り上がりに反応する気がする。満員のバラードみたいな映画だと静かだと思うけど、こういう好きな人だけ集まる上映ならリアクションをするように思う。
だから私は真実の口に手を食べられるシーン、ベスパでにけつするシーン、ギターでぶん殴るシーン、オードリーがお姫様の格好で登場するシーンでは、座席からひょっこり生えた後頭部の動きを見る。
微動だにしないのは候補から外れる。つまらない。揺れて笑っている人はいい。ペタっと両手で口元を覆っている候補者もいる。感情が溢れている感じが良い。この人が最有力候補だ。
私は選考に夢中になって気が付けばオードリーとグレゴリーは素敵なお別れをしていた。なんだか損した気持ちになった。せっかく珍しいリバイバル上映だったのに。私はせめてエンドロールだけでも見ることにした。
すると最有力候補の感情豊かな女性はそうそうに席を立ってしまう。彼女以外の人はみんなエンドロールを眺めているのに、彼女だけエンドロールと同じ速度で席を立ってしまった。漫画家はエンドロールを見るに決まっている。単行本の記名を無視するのと変わらないから、彼女は素敵な人ではあるのだけどきっと推しじゃない。
映画はあまりいいアイデアでなかったかもしれない。次は後頭部以外も観察できる場所にいきたい。
私はアイデアもなく大きな交差点を歩いてしまう。本屋、画材屋というベタな選択肢を解禁しておきべきだったかもしれない。何も思いつかない。
「バームクーヘン受け付けない体になってしまいました」
カウントダウン付の信号機の目盛りが最後の1つを消してしまう時に雑踏からそう聞こえた。私はその人を探す。なぜならバームクーヘンを差し入れに貰ったような投稿がXにあったから。1人暮らしだと食べるのに困るような大きさだったから。
横断歩道を渡っていく彼は大柄で青と白のボーダーのTシャツに半ズボンを履いているから推しではなさそうだった。横には女性の姿もあった。
私は途方に暮れてバームクーヘンが食べたくなった。
案外バームクーヘンってあるものだ。私はスターバックスにまだ慣れていない。イタリア語?のサイズをまだ覚えられないし、コーヒーの種類も難しい。薄めで甘いやつなんて頼むと恥ずかしい気がするから、入店する前にスマホで先にメニューを決める。商業施設のエスカレーターの横には休憩するための座席があって、私はそこに座ってからスタバのサイトを見る。
ビバレッジ一覧…?ビバレッジ?ドリンクメニューのこと?フラペチーノや抹茶ティーラテが並んでいる。だけどスクロールするとカテゴリー一覧が現れてコーヒーやエスプレッソやティーが並び、その中にはフラペチーノ・カテゴリーも何食わぬ様子で並んでいる。
フラペチーノはビバレッジに入るのだけど、カテゴリーとしては別みたい。もうよくわからなくなってしまう。フラペチーノが正確に何かもよくわかっていないのに。
『バニラクリームフラペチーノ グランデ』
口の中だけで消え入るように、私は呪文みたいに唱えながらスタバに向かう。まだ友達にはなれそうにないからこれからスタバのことはスターバックスさんと敬称をつけて呼ぼうと決めた。
甘い。思ったより甘い。やっぱりスタバさんは私にはまだ早いのかもしれない。
なぜスタバにしたかと言えば推しは漫画を描くのにMacを使う。バームクーヘンもあったし。だけどMacと言えばスタバ。だけど連載作家がこんな人の多いところで原稿を書いているはずはない。私の偏見によるとMacで行われている作業はすべて報酬を伴う仕事ではない内容の薄いものなのだから。つまりMac使いが集まる場所でMacを開いていない右利きの20代後半の人。
すごく具体的。探しやすい。
候補は3人に絞られたと思われた。だけどそれは違ったのか、違わなかったのかもしれない。私は1人でトールサイズの飲み物を飲む右利きのMacを使ってそうな男性に目を付けた。
彼が特に目に留まったのはスマホを触っているのではなく、コーヒーを飲みながら忙しそうな店員さんやMacで内容の薄い作業に勤しむ人を観察している。彼は有力候補だった。だけどふいに私は気付かされてしまう。
「ごめん、お待たせ」
ウェーブが薄めのブラウンをキューティクルだらけにしている。でも広がり過ぎずにまとまったロングのヘアスタイル。大き目の金の輪のピアスをした女性。
「待ってないよ。何か買っていく?」
「それちょっとちょうだい」
彼が手していたカップを渡すと、彼女は一口飲んで彼に返した。
「いこっか」
そう言うと2人は手が触れるか触れないかの距離で行ってしまう。あの男性が推しかもしれない。推しに恋人がいないかどうかはわからないのだから。
バームクーヘンをいっぺんに口に入れて、バニラナントカで流し込んで、食器を返して、今日はもう家に帰ることにした。
帰りの電車で推しを探すのはよそうと思った。今日はもうよそうと思った。なんだかカップルばかりに目がいく。見ていたくなくて、流れる風景を見るのだけど、もう日は落ちて行きは照らされていたのに暗い。
パラポラニーアをkindleで開いて心を落ち着ける。推しに恋人がいてもいい。私は漫画や作家性が好きなのである。だけど、パラポラニーアの、この世界が、誰か、その素敵な人と一緒に作ったものだと思うと、やっぱり少し悔しい。
4巻の主人公の吹き出しにはこう書かれている。
『どうして?どうして来たんだ』
ヒロインは『好きだからって言うべきかな?』と答えてから一コマ後ろ姿が書かれている。
ページをめくると見開き大ゴマ。
『どうしてなんてそんなこと考えてもなかったよ』
ヒロインは片目だけ泣きながら笑っている。
私の大好きなシーン。
お風呂から上がってスマホを手に取る。通知を見るとアストロ・デストネーションの4巻の表紙のお知らせが届いている。いいねを押した。
「そんなこと考えてもなかったよ」
シングルベッドに寝転がって、ワンルームに独り言を染み込ませてから、私はまた明日のために眠る。
右利き推し探し ぽんぽん丸 @mukuponpon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます