第17話
その夜、悠真の部屋はやけに狭く感じられた。
机の上には、描きかけのイラストが広がっている。
けれど、ペンは動かない。
モニターの光だけが、暗い部屋を冷たく照らす。
画面には下書きの線が中途半端に残っていた。
締め切りは迫っているのに、集中できるはずがない。
頭の中をぐるぐる回るのは、昼間の紅葉の言葉。
――「私、あなた自身が好きなの」
耳に焼き付いて離れない。
彼女の真剣な瞳、震える声。
思い出すたび、心臓が跳ね、息が苦しくなる。
だが同時に浮かぶのは、咲の顔だった。
夕方の廊下で振り返らずに去っていった、冷たい背中。
俯いたまま、涙を堪えるように震えていた瞳。
「……くそ」
髪を乱暴にかきむしり、椅子の背もたれに深く沈む。
どちらも、大切な存在だ。
どちらかを選ぶことなんて、考えるだけで胸が裂けそうになる。
スマホが机の上で震えた。
咄嗟に画面を見る。
けれど、通知は仕事の依頼チャットだった。
「……違うだろ」
ほんの一瞬、咲や紅葉からの連絡を期待していた自分に気づき、苦笑が漏れる。
それすらも自己嫌悪を深める材料になる。
窓の外には月が浮かんでいた。
春の夜の空気は少し冷たく、窓を開けると風が部屋に流れ込む。
頬に当たる風は心地いいはずなのに、胸の中の重さは晴れなかった。
ベッドに横たわっても、眠気は来ない。
瞼を閉じれば、咲と紅葉、二人の表情が交互に現れる。
笑っている顔、泣いている顔、真剣な顔。
そのどれもが悠真を縛りつける。
「……どうすりゃいいんだよ」
小さな呟きは夜に吸い込まれる。
答えなんて出せない。
出したくない。
でも、出さなければいけない。
その矛盾が胸をかき乱し、眠れぬ時間だけが過ぎていった。
そして夜が深まった頃、スマホが再び震えた。
画面に表示された名前に、悠真の心臓が止まりかける。
――咲。
恐る恐る通知を開くと、そこには一文だけがあった。
『明日、少し話せる?』
短い言葉。
それでも胸に重くのしかかる。
「……咲……」
震える声で名前を呼んだ。
もう逃げられないことを、はっきりと突きつけられた気がした。
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