第16話
放課後のチャイムが鳴り終わった教室は、ざわめきの残滓を抱えながら徐々に静かになっていった。
生徒たちはそれぞれ帰路につき、部活動へと散っていく。
机に突っ伏していた悠真は、ようやく顔を上げた。
咲は帰ってしまった。
視線を交わすこともなく、ただ背中だけを残して。
その姿が頭から離れない。
「……最低だな、俺」
小さく呟いた声が、空っぽの教室に虚しく響く。
カバンを肩にかけて立ち上がったそのとき。
「蒼井くん」
背後から呼ばれる声。
振り返ると、そこにいたのは――紅葉だった。
制服のリボンを軽く指で直しながら、彼女は教室のドアにもたれていた。
昼間のざわつきの中では一切動じていなかったはずの彼女の瞳が、今は静かに揺れている。
「少し、話せる?」
静かな声だったが、その中に抗えない力があった。
悠真は頷き、二人は校舎裏へと足を運んだ。
夕暮れの光が赤く差し込み、壁に長い影を落とす。
風が生ぬるく頬を撫で、街の喧騒が遠くに響いていた。
紅葉は少し俯いたまま、口を開いた。
「……今日一日、みんなの視線、感じてたでしょ」
「……ああ」
答える声は乾いていた。
その一言で、紅葉は小さく息をついた。
「ごめんね。私のせいだよね。昨日、あんな風に……悠真くんの家に行ったから」
彼女の声はかすかに震えていた。
普段の堂々とした姿からは想像できない弱さが、そこにはあった。
「違う。紅葉先輩のせいじゃ……」
「いいの」
紅葉がかぶせるように言った。
そして顔を上げ、真っ直ぐに悠真を見据える。
「私が、行きたかったの。……蒼井くんに会いたくて。だから、これは私の選択」
夕日が彼女の横顔を照らす。
その瞳は揺れているのに、どこか決意の光が宿っていた。
「……蒼井くん」
一拍置いて、紅葉は言った。
「私、あなたの絵が好き。
でも、それ以上に……あなた自身が、好きなの」
心臓が跳ねる音が、耳の奥で響いた。
鼓動が全身に駆け抜け、言葉を失う。
「噂なんてどうでもいい。信じてくれなくてもいい。……でも、私は本気」
沈黙が落ちる。
夕暮れの風の音だけが二人の間を満たす。
紅葉の声は震えていたが、その瞳には嘘が一切なかった。
その真剣さに、悠真の胸が痛む。
咲の涙が、紅葉の告白が、心の中でぶつかり合う。
答えなんて出せない。
どちらを選んでも、誰かを傷つけてしまう。
「……俺は……」
喉まで出かかった言葉は、風にさらわれて消えた。
紅葉はそれ以上何も言わず、ただ静かに微笑んだ。
その微笑みは強がりのようで、どこか切なく見えた。
「答えは、今じゃなくていい。……でも、逃げないで」
そう言い残し、紅葉は踵を返し、夕陽の中に歩き去っていった。
悠真はその背中を見送るしかなかった。
夕暮れの影が伸びる中、彼の胸は痛みと葛藤で押し潰されそうになっていた。
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