第15話

教室の空気は、普段の春の朝よりもずっと冷たかった。

ざわざわと囁く声。スマホを覗き込む生徒たち。

視線の矢が、悠真の背中に何本も突き刺さる。

机に座っているだけで、喉がひりつくように乾いていく。

鉛筆を握ってノートを開いても、何も頭に入ってこない。

ただ、耳に勝手に入ってくる言葉の断片。

「二人同時ってやばくない?」

「イラストレーターって調子乗ってるんじゃない?」

「でも、どっちも可愛いし……」

笑い声が混じるたび、心臓が軋む。

「……っ」

無意識に拳を握りしめ、机の下で爪が手のひらに食い込む。

ちらりと横を見ると、咲は真っ直ぐ前を見ていた。

普段なら何気なく笑いかけてくれるのに、今日は氷のように固まった横顔しかない。

昨日の夜、泣きそうな顔で帰った咲。その彼女が、この噂をどう受け止めているのか……考えるだけで息苦しい。

紅葉の席はまだ空いている。

だが、もし彼女がここに現れたら、どんな空気になるのか。想像するだけで背筋に冷たいものが走った。

1時間目が始まっても、ざわつきは完全には消えなかった。

先生が入ってきても、生徒たちの意識はどこか浮ついている。

そして休み時間。

逃げるように廊下へ出ようとしたその時。

「蒼井」

呼び止めたのは咲だった。

廊下に響くその声に、周りの視線がまた集まる。

けれど彼女は一切気にしない。

「……少し、いい?」

感情を抑え込んだ声。

その瞳には、強い意志と、痛みと、わずかな震えが混じっていた。

教室の外、渡り廊下。

風が吹き抜け、カーテンが揺れる。

二人きりになった瞬間、咲が口を開いた。

「……昨日のこと、何も答えてくれなかったよね」

心臓が跳ねる。

「私は……悠真くんのこと信じたい。幼馴染だから、ずっとそばにいたから。けど、こうやって噂になって……」

咲の声が震えた。

必死に笑おうとしても、瞳は赤く滲んでいる。

「どうして……紅葉先輩と、あんな風に?」

その問いに、言葉が出なかった。

説明しようとしても、どこから話せばいいのかわからない。

どんな言葉を選んでも、彼女を傷つけてしまう気がして。

「……違うんだ、咲」

やっとの思いで声を絞り出した。

けれど、その先の言葉が出てこない。

咲はしばらく悠真を見つめ、それから小さく首を振った。

「……答えられないんだね」

その瞬間、胸の奥が崩れ落ちる音がした。

咲は踵を返し、足早に去っていく。

引き止めようとして、手が伸びかけたが――その手は宙に浮いたまま、力なく落ちた。

「……っくそ……」

壁に拳を押し当て、俯く。

廊下を吹き抜ける風がやけに冷たく、孤独を突きつける。

だが試練は終わらなかった。

午後、教室に戻ると紅葉が来ていた。

その姿を見た瞬間、周囲の視線がまた一斉に集まる。

彼女は噂なんて気にしていないように席についた。

けれど、一度だけ悠真の方を見た。

その瞳には、確かに何かを伝えようとする強さがあった。

けれど――悠真はその視線から目を逸らした。

心臓が痛いほど脈打つ。

咲と紅葉。

二人の間で、どうにもならない状況に飲み込まれていく。

もう、逃げ場はなかった。

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