第7話

春休み最終日。

昼過ぎまで曇っていた空は、放課後になると嘘みたいに晴れ渡っていた。

蒼井悠真は、商店街を抜けた先の駅前を一人で歩いていた。

明日からは新学期――その言葉を頭で繰り返しながらも、心はどこか落ち着かない。

胸の奥に引っかかるのは、昨日の咲の表情だ。

あの寂しげな笑顔が、何度も思い出される。


(……なんか、俺、咲を放ってる気がするな)


自分でも、何がしたいのかよく分からなかった。

咲とは幼馴染で、大事な存在だ。

それなのに、気がつくと紅葉のことを考えている。


そんなことを考えているうちに、駅前の本屋の前を通り過ぎた。

ふと視線を横に向けると――ガラス越しに、見慣れた後ろ姿が見えた。

「……紅葉?」


長い髪がさらりと揺れる。

制服姿の白井紅葉が、平積みされた新刊に手を伸ばしていた。

静かな横顔は、学校で見かける彼女と変わらないけれど、こうして街中で会うと妙にドキリとする。


悠真は反射的に店内に足を踏み入れた。


「……あ、悠真くん?」


紅葉は軽く瞬きをして、わずかに首を傾げた。

相変わらず落ち着いた声。

でも、目の奥に小さな驚きが宿っている。


「偶然だな。本屋、よく来るの?」


「ええ。新学期が始まる前に、読みたい本を探してたの」


本のタイトルを見てみると、淡い色の表紙に「短編集」とだけ書かれていた。

紅葉らしい選択だと思った。


「……よかったら、少しだけ一緒に見てもいい?」


「え?」


自分でも、なぜそんな言葉が口をついて出たのか分からなかった。

けれど紅葉は少しだけ目を見開いた後、静かに頷いた。


二人で並んで本棚を眺める時間。

たったそれだけなのに、心臓の音が妙に大きくなる。

紅葉が小さく笑った。

「こうやって誰かと本を見るの、久しぶりかも」


その笑みは、いつもより少し柔らかい気がした。

悠真の心臓が跳ねる。


そのとき――店の入口から、聞き慣れた声が響いた。

「……悠真?」


振り返ると、買い物袋を片手にした中原咲が立ち尽くしていた。

驚きと、わずかな動揺が入り混じった瞳。


「咲……いや、これは……」


言い訳を探すよりも早く、沈黙が落ちる。

紅葉はそっと視線を落とし、咲は笑おうとして笑えなかった。


カラン……

自動ドアの音だけが、やけに響く。

この数秒が永遠に感じられた。

外に出ると、夕焼けが街を赤く染めていた。

悠真は何か言わなければと思いながらも、喉が詰まって言葉が出ない。

「……そっか、悠真、本屋に来てたんだ」


咲の声は静かだった。

笑顔は浮かべているのに、目の奥は泣きそうなほど切ない。


「うん……まあ、ちょっとな」


曖昧な返事しかできない自分が、情けなかった。


咲はそれ以上何も言わず、

「じゃあね」とだけ告げて背を向けた。


長く伸びた影が、夕暮れの道に吸い込まれていく。

悠真はその背中を追いかけることも、紅葉の方を見ることもできなかった。


夜、部屋に戻ると、机の上のペンタブを前にしても何も描けなかった。

胸の奥には、咲の寂しげな顔と、紅葉の静かな瞳が交互に浮かぶ。

(……俺、どうしたいんだろう)


答えは出ないまま、夜だけが深まっていく。

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