第6話

春休みも終盤に差し掛かった午後。

オレンジ色の陽射しが街を柔らかく染めていた。

蒼井悠真は、駅前の小さなカフェに座っていた。

向かいの席で、ストローをくわえながらアイスティーを飲む中原咲。


「んー……やっぱ春休みってあっという間だよね」


頬杖をついた咲が、窓の外を眺める。

髪に光が透け、赤茶けた色を帯びて見える。


「そうだな。気づいたら、もう新学期だもんな」


悠真は答えながらも、胸の奥で別のことを考えていた。

昨日の図書室での紅葉との時間が、まだ鮮明に残っている。

彼女の静かな声、落ち着いた瞳――思い出すだけで、心臓が少しだけざわめく。


「……悠真?」


咲の声に、思考が現実に引き戻された。


「え、あ、何?」


「今さ……絶対、別のこと考えてたでしょ」


細い眉を寄せる咲。

冗談めかしているけれど、わずかに沈んだ瞳を悠真は見逃さなかった。


「いや……ごめん、ちょっと考えごと」


「ふーん。……なんか、悠真、最近ぼーっとしてるよね」


咲はストローをいじりながら笑った。

その笑みは明るいけれど、ほんの少しだけ寂しさが混じっている。


カフェを出て、並んで歩く帰り道。

夕日が背中を押すように、二人の影を長く伸ばす。

「ねえ悠真。……春休み終わったら、また部活も始まるし、宿題もあるしさ」


「まあ、そうだな」


「だからさ……こうしてのんびりできるの、今だけかも」


咲の声が、少しだけ掠れて聞こえた。

悠真は横目で彼女の表情を盗み見る。

風に揺れる髪の向こうで、笑顔がどこか遠く感じられた。


何か言おうとして、言葉が喉に引っかかる。

紅葉のことが頭をよぎる。

それを口に出すことなんて、できるはずもない。


その夜。

自室に戻った悠真は、机に向かってペンタブを握る。

作業用のモニターに映るのは、新規イラストのキャンバス。

線を引こうとするたびに、浮かぶのは今日の咲の顔。

無理に笑うような、寂しげな横顔。


(……俺、なにやってんだろ)


胸の奥に、どうしようもない重さが広がった。

紅葉への興味と、咲への罪悪感。

それが混ざって、何も描けないまま時間だけが過ぎていく。


机の上に倒れ込むようにして、目を閉じた。

耳の奥で、咲の声がかすかに響く。


「こうしてのんびりできるの、今だけかも」

思い出すたび、胸が締めつけられた。

翌日。

悠真は再び図書室を訪れた。

静寂の中、昨日と同じ窓際の席に、紅葉はいた。

「……また、会ったね」


彼女は本から顔を上げ、少しだけ口元を緩めた。

その笑みを見た瞬間、悠真の胸はまた、複雑に揺れた。


彼女の笑顔は、咲とは違う。

静かで、触れると消えてしまいそうな儚さがある。


そして、その儚さに惹かれる自分を、止められない。


夕暮れの街を歩くとき、悠真の頭には二人の少女の顔が交互に浮かんでいた。

幼馴染の温もりと、冷たい静けさのような魅力。

どちらも、彼にとって大切になり始めていた。

でも――そのバランスは、確実に崩れ始めている。

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