第3話
春休みも終盤に差し掛かり、蒼井悠真の生活に静かな変化が訪れ始めていた。
校舎の廊下は午後の柔らかな日差しを受けて黄金色に輝き、空気はどこか春の予感を孕んでいる。悠真は友人たちと何気ない会話を交わしながらも、いつもよりどこか落ち着かず、胸の中に小さなざわめきを感じていた。
「なあ、知ってるか?三年生の白井紅葉って子、めちゃくちゃ美人なんだってさ」
「うん、モデルみたいにスタイル良くてさ。授業中もあんまり喋らないからミステリアスで、みんな興味津々らしいよ」
廊下の向こうからそんな噂話が耳に入る。悠真は、正直そこまで美少女に興味を持っているわけではなかったが、どこかその名前だけが頭に残り続けていた。
翌日、悠真はたまたま校舎の長い廊下で、誰もが振り返る一人の少女と出会った。彼女の名は白井紅葉。長く黒く艶やかな髪はまるで夜の静寂を思わせるように滑らかに揺れ、歩くたびに放つ空気は冷たくも凛と張り詰めていた。彼女の瞳は深い漆黒の湖のように冷静で、感情を押し殺したような無表情が周囲を威圧していた。
「彼女は一体どんな人なんだろう」
悠真は思わず足を止めてその後ろ姿を見送った。どこか近寄りがたく、それでいて目が離せない不思議な存在感。噂通り、彼女はただの“美少女”以上の何かを持っているように感じられた。
放課後、友人の話題は自然と白井紅葉に集中していた。
「紅葉さん、冷静沈着で感情をあまり表に出さないんだって。クールすぎて近寄りがたいらしいけど、実はものすごく頭が良いって聞いた」
「美人だけど、けっこう孤高なイメージがあるよね。クラスの誰とも深く関わっていないみたいだし」
悠真は聞きながら、いつもなら聞き流すような噂話に何度も耳を傾けていた。彼の中で、紅葉という少女の輪郭が少しずつ鮮明になっていくのを感じていた。
その夜、自室の窓から見える夜空は澄み渡り、星が瞬いている。悠真は机に向かいながらも、無意識にその日の出来事を思い返していた。
「クールでミステリアスなあの子は、一体どんな人生を歩んでいるのだろう」
彼の胸の奥に、小さな好奇心が芽吹いた。興味だけではなく、どこか自分の中で得体の知れない感情が膨れ上がっていた。謎に包まれた紅葉の存在は、悠真の心に静かな波紋を広げていく。
翌日。悠真は放課後の図書室で偶然、紅葉と鉢合わせした。彼女は一冊の本を手に取り、静かにページをめくっていた。悠真は一瞬ためらいながらも、勇気を出して声をかけた。
「白井さん、あの……」
紅葉はゆっくりと顔を上げ、漆黒の瞳で悠真をじっと見つめた。その視線は冷たくもあり、鋭くもあり、まるで彼の心の奥底まで覗き込むようだった。
「何か?」
彼女の声は落ち着いていて、無駄のない響きだった。悠真は言葉に詰まりながらも、必死に話を続けた。
「図書室でよく見るけど、どんな本を読んでるんですか?」
紅葉は一瞬だけ目を細め、そしてわずかに口元を緩めた。
「歴史の本です。過去から学ぶことは多いから」
その言葉に悠真は胸の中に温かなものが流れるのを感じた。普段は見せない、ほんのわずかな笑み。それは彼にとって、まるで秘密の扉の鍵のように思えた。
それからというもの、悠真は学校で紅葉の姿を見かけるたびに、彼女の謎めいた魅力に惹かれていった。彼女のクールな態度の裏に隠された繊細さ、そして孤独。そんなものを感じ取りたいと、次第に彼の心はその存在でいっぱいになっていった。
春の日差しが穏やかに照らす中、二人の関係はまだ始まったばかりだ。だが確かに、新しい物語のページはゆっくりと開かれていくのだった。
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