第十一話 傲慢①

帝国暦1014年12月25日夜

西域カンクーン子爵領

領主館 ゴンザレス・カンクーン子爵


 良いことのなかった年が、そろそろ終わりを迎えようとしていた。

 明けない夜は無いというが、迎えた朝が嵐ではないことを願うばかりだ。

 

 構成員たちからの報告は景気の悪い、湿気た話ばかりで、全く気が晴れない。

 手にした酒はいつもの銘柄のはずだが、舌に残る味にはどこか苦味が混じっているように思える。

 

 だが、十二月も半ばを過ぎたころから、妙に熱っぽい噂が領内に飛び交い始めた。景気が良いというよりは、何かに浮かされているといった風情で、いくつもの報が耳に入ってくる。

 

 曰く──フジシマの連中は、金と食い物を溜め込んで享楽にふけっているそうだ。けしからん。叩き潰してやれ!

 

 曰く──ゴルドシュタイン家が領民救済のためにと、フジシマに助力を求めたのに、無下にあしらわれた。あまりの無礼に、激怒した辺境伯は、今にも軍を動かす勢いだ。

 

 曰く──フジシマは辺境伯の怒りに恐れをなし、城に閉じこもり、いまさら許しを乞うている。領民の夜逃げが止まらないらしい。そこへ東の辺境伯がつけ込もうとしているそうだ。

 

 何故か、ことごとくフジシマ家に関する噂ばかり。

 こいつは、きな臭い。自然に広がる話ではない。誰かが意図をもって、焚きつけていやがる。

 

 寄親であるゴルドシュタイン家で、鉱山事故が発生してから、どいつもこいつも魂が抜けたようなツラをしている。

 稼業のあがりもすっかり目減りしており、下っ端共が荒っぽい犯罪に手を染めるようになってきた。

 

 そんな世の中で、意思があるかのように噂が流れる。

 誰かが、裏で糸を引いている。問題は、何のためにだ。

 

 ──来年のゴルドシュタインの新年会、荒れるかもしれねえな。

 

◆◆◆


帝国暦1015年1月10日夜

ゴルドシュタイン辺境伯領領都アライトン

領主邸 ウィリアム・バーグレー将軍


 年が改まっても、状況は一向に好転していなかった。


 ズミル鉱山の落盤事故からこちら、多くの兵が動員され、坑道の復旧にあたったままだ。

 

 だが、二ヶ月が過ぎた今も、噴出する水に手こずり、まるで復旧作業は進んでいない。

 

 進まないならまだしも、新たな出水や坑道の崩落で死者が増え続けている有り様だ。三交代制で作業させてはいるが、冬の寒さは容赦なく、兵たちの体力は尽きつつある。追い打ちのように、流行り病が広まり始めた。

 

 辺境伯閣下の元に向かう足取りは、鉛の如く重い。

 白い漆喰と金泥で装飾され、瀟洒な照明に浮かび上がる廊下は、美術品と称えられる華麗なものだが、今の私には死刑台へと続く回廊にしか見えなかった。

 

 呼ばれた理由は分かっていた。だが報告できるのは、上がらぬ成果と、増え続ける死者の数だけ。

 軍の柱石、宿老よと称賛されていた自分の無力さがやるせない。

 

 だが、この現状を余すことなく閣下にお伝えせなばならぬ。

 悪しき報告ほど素早く、正確に伝える必要性を閣下にお教えしたのは、他ならぬこの私なのだから。

 

◆◆◆


 重厚な扉が閉ざされると、外界からの喧騒は全て断ち切られた。

 この場は、帝国西域の軍権と財力を牛耳る黄金の熊の巣であった。

 静寂が重くのしかかる中、私は背筋を伸ばして立つ。


 そして、視線の先──

 辺境伯アウグスト・デム・ゴルドシュタインは、きらびやかな夜会服を纏い、大書架の前で一冊の本を開いていた。

 

「来たか、バーグレー。座れ」


 促され、椅子に腰を下ろすと、即座に鋭い視線が突き刺さる。

 嘘を見逃さぬ、冷徹なまなざし。

 雄々しい体躯に、短く刈り揃えられた黄金の髪。それは、まるで王冠のようだった。

 

「……ズミル鉱山の件、臣の力及ばず、誠に申し訳なく──」


 そう切り出した瞬間、意外にも閣下は口元に微笑を浮かべた。

 冷たい、湿った、笑みだった。

 一瞬、見切られたのかと、背筋に寒気が走る。

 

「先走るな。ズミルの件は致し方あるまい。誰が指揮しても変わらぬ」


 その声音から察するに、どうやら鉱山復旧の件で呼ばれたわけではなさそうだった。

 閣下の目には、重圧を抱える為政者の陰が差していた。

 

「では今宵は、どのようなご用件にて?」


 アウグスト閣下の声が、低く重く響く。

 

「知らせておく。──この春、フジシマを討つ」


 思わず目を見開く。戦の兆しを嗅ぎ取ってはいたが、今この瞬間までは、それが「本当に始まる」とは考えていなかった。

 巷に流れる噂は知っていたが、まさか現実であったのか?

 

「ま、まさか閣下、御自らご出陣を!?」


 直接、フジシマの無礼を咎めるつもりならば、お止めせねば。


「違う。儂は動かん。正規軍も動かさぬ」

「……は?」


 間の抜けた声が漏れてしまった。


「我軍は、鉱山復旧にかかりきりだ。余力はない。それは貴公が一番知っておろう。だが戦は必要だ。故に──寄子どもを使う」


 為政者として当然のことを順当に決めたと言わんばかりの、感情の薄い声。


「……なぜ、戦が必要と?」


 心中に答えはあったが、どうしても閣下の口から聞きたかった。


「知れたこと。今の状況では、寄子ども全てを支えることができぬからだ。奴らには『機会』を与える。──“富めるフジシマ”という、分かりやすい餌とともにな」


 地図を指先でなぞる閣下の指が、静かにアスカの名を示す。

 

「アスカを落とせたなら、奴らは財を得て、儂は交易の利権とバーミステラへの足がかりを得る。失敗すれば……力を失い、儂に縋り付く」

「寄子とフジシマを潰し合わせて、有能な味方のみを残されると──」


 これぞ、傲慢。

 これぞ、西域の盟主たる所以か。

 ぞくりと、背に戦慄が走る。


「そうだ。シーカイもまたフジシマを狙っているであろう。ならば先手を打ちつつ、選別するのだ」


 言葉を失い、思考に沈む。

 非情ではある。されど合理的。

 だが──


「……彼らは臣下にございます。『捨て駒』とするのは、あまりにも」


「甘いな、バーグレー。“勝った者”だけが、生き残るのだ」


 諦観が湧き上がる。すでに閣下は決断したのだ。

 

「閣下、勝者がおらぬ場合はいかがなさいますか。当家の威信に傷がつくやもしれません」

「構わぬ。奴らの兵力は、フジシマの四、五倍にはなるはずだ。それで敗れるというなら、不要ということだ──」


 閣下の目が、微かに愉悦の光を帯びる。

 

「ところで……貴公も噂を耳にしているだろう?」


 知っていた。情報部から噂の内容や、捕らえた小者の尋問結果の報告を受けている。

 

「フジシマが怯えて、アスカに籠もったという話でございますか。しかしあれは──」


 アウグスト様が軽く頷く。

 

「そうだ。欺瞞だ。おそらくバーミステラだろう。我軍を消耗させるためのな。確たる証拠は上がっていないが、工作員の懐からずいぶんと古い金貨が出てきたそうだ。あの老人くらいだ、あんなものを後生大事にしているのは」

「それがお分かりなのに、なお、乗るとおっしゃいますか?」


 閣下の目に、一瞬の失望がよぎる。

 

「奴の狙いは『漁夫の利』だ。追い詰められたフジシマに手を差し伸べ、己の傘下に組み込もうとするだろう。だがな、フジシマは強い。この河を盾にして寄子どもに損害を強いた後、戦いながらアスカに引き込むだろう。ヨセフの報告が正しければな」


 閣下の指が、河をなぞる。その指はセルナ河と重なっていた。

 

「ヨセフの報告では、練度、士気ともかなりのものと。それに魔導兵器の存在も確認されております」


 閣下が指で二度、机を叩く。

 

「あれは使い物にならぬ。貴公も試験に立ち会ったであろう。弓より射程は長いがそれだけだ。威力はさほど変わらぬ。しかも女しか扱えぬのではな」


 そして、私は悟る。


──閣下が本当に餌にしているのは、フジシマではない。寄子たちだ。


「閣下は、疲弊してアスカの城壁に立ちすくむ寄子たちを、バーミステラ軍が襲うとお考えですか……」

「ようやく理解したか。その上で正規軍を持ってバーミステラを叩く。フジシマを加えて、だ」


 この方は──。

 それは遠大な戦略であった。再び背筋に戦慄が走る。

 若い頃の熱が、老いた身に蘇る。

 

「御意。後詰の領軍の準備をいたします」


 アウグスト様が、ゆっくりと頷く。

 

「寄子どもの指揮を任せる男を呼んである。新年会で道化の如く踊れる男だ。そのまま控えておれ」


 私もどうやら新年会という名のファルスに出演せねばならぬようだ。滑稽な主役を待ちながら軍の編成を練るとしよう。

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