第十話 決意②

帝国暦1014年12月6日朝

フジシマ子爵領領都アスカ

領主屋敷 『鷹の目』頭目 ステゾウ


「ステゾウ、罷り越しましてございます」

「やあ、朝早くからすまない」


 お呼びがかかったので、アコウ様の部屋に入ると、にこやかな笑みで迎えられた。お屋形様といい、この方といい、儂らのような身分の者にも別け隔てなく接してくださる。


「まずは、腰掛けてくれ。茶を淹れよう」


 アコウ様が右手で長椅子を指し示し、配膳台車に調えられた茶器の盆を手に取られた。

 温かいなと思ったのは、朝の日差しが当たっているせいだろうか。

 

「それでは、失礼をば」


 一礼して、バネの効いた長椅子に腰掛けた。

 アコウ様が保温瓶から急須に湯を注ぐこぽこぽという音が、窓の外でさえずる雀の声に溶けていく。

 

 静謐な時が流れた。

 ふと視線を窓にやれば、冬枯れの庭がしんと広がっている。

 

 蒸らしが終わって、急須から茶が湯呑みに注がれる。そしてコトリと目の前に差し出された。香気がふわりと漂う。

 

「弟君手ずからの茶をいただけるとは、恐れ入りますな」


 さっそく、湯気をあげる熱い茶をすする。

 すすっているうちに、アコウ様が正面の長椅子に腰掛け、茶卓を挟んで向かい合うかたちになった。

 

「さて──さっそくだけどね、ステゾウにお願いがあるんだ」


 おや、アコウ様の笑顔の裏にいささか緊張の色が見受けられる。

 

「ほほ、何なりと」


 フジシマ家に仕えると決めたその日から、儂ら郎党の覚悟は固まっています。

 考えをまとめたのか、わずかな沈黙ののち、アコウ様はぺろりと唇を湿らせた。

 

「いくつかあるけれど──まずは西側から。ひとつめは西域で噂を流して欲しいんだ。内容は『フジシマはゴルドシュタイン辺境伯の勘気に触れた。あまりのお怒りぶりに恐れをなしてアスカの城壁の中で縮こまっている』……そんな感じかな」


 怯える小芝居まで付けなくてもよろしいでしょうに。

 

「油断させて、小物を調子づかせる塩梅(あんばい)ですな。引き込んで嵌めますかな」


 アコウ様の面差しが、引き締まる。

 

「そうだね、昨日ゴルドシュタインの使者を叩き出したのは知っているだろう。傲慢な雷公殿のことだから、頭の軽そうな連中を差し向けてくると思うんだよね」

「承知いたしました。アコウ様が哀れっぽく怯える様を、面白おかしく広めましょう」


 アコウ様は少し憮然とされているが、儂を咎める素振りは見せぬ。

 他の家なら首と胴がおさらばしているところであろうに。

 

「……まあ、怯える人選はお任せします。次に、西側に人を出すときに『セルナ河』流域の地形を調べて欲しいんだ。支流が入り組んでいて、樹が生い茂っているような場所があれば最善」


 ──なるほど、頭の軽い連中をそこで仕留めるということですな。

 

「これも承知いたしました。では、ご指示は以上で?」


 アコウ様が気まずげに視線を逸らした。

 

「いやあ、まだあるんだよね。今度は東側。バーミステラの陰険爺さんなのだけれど、今回のどさくさに紛れて、必ずちょっかいをかけてくると思うんだよね」


 さもありなんですな。あの御老体は、人様が嫌がるところを的確にえぐり出し、つつき回す才能に恵まれておりますから。

 

「こちらは工作になるかな。バーミステラ南部のコーチ族に渡りを付けて欲しい。叛乱を起こす時は食料を援助しますよということで。陰険爺さんが自領を留守にしたときが、お勧めの機会と」


 なかなかに骨の折れるご指示。さてさて。

 

「マンダレーとスカルドゥは今も良く踊っておりますよ。あっぱれな足枷ぶりですが……足りませんかな」


 アコウ様が残念そうに首を左右に振っている。

 

「あの陰険爺さんを舐めてはいけないよ。人を陥れるためなら、自分が不幸になる決断のできる御仁だからね」


 これはこれは。多少お手当を弾んでいただく状況になってまいりました。

 

「三点、しかと承りました。いずれも急を要するご指示とお見受けしますが──他の細かい仕掛けは、いったん棚上げにしてよろしいですかな?」


 アコウ様の表情は変わらなかったが、纏う空気が一変した。

 

「ああ、最優先で頼むよ。この件が片付かないと、特別手当を支給する機会そのものがなくなってしまうんだ」

「それは一大事にございます。このステゾウ、命に変えてもお手当を頂きとうございますので、励むことといたします」


 話は終わった。

 一礼して部屋を後にしかけたその時、アコウ様の声が背を引き止めた。

 

「そういえば──ステゾウは、決して姓を名乗らないよね、なぜなんだい?」


 ……苦い記憶が、喉元にこみ上げました。

 儂らのありようの根っこに関わる問いです。その思いが表に出てしまったのでしょう。アコウ様の心の器に、後悔のさざなみを感じました。

 

「いけませんなあ、アコウ様。そのように感情を波立たせては。帝国の大狸や北方の化け狐どもにとっては、良い餌食ですぞ」


 つるりとご自身の顎をなで、「しまった」とばかりに両手を合わせておられる。──憎めぬお方よ。

 

「なに、儂が姓を名乗らぬは、戒めにございます。儂らは漂白の民でございました。お屋形様に拾っていただき『人』になることができました。それを忘れぬためでございます」


 そう、儂ら河原者は人ではなかった。

 一つ所に住むこともできず、姓も持たず、芸を売り春をひさぎながら街道を流れていく畜生だった。

 

 嬲られ、刻まれようとも、心を殺して笑顔を浮かべ、餌を乞う。

 

 そんな暮らしから救っていただき、故郷を与えてくださったのが、お屋形様だった。

 もう十年以上前のこと。当時、お屋形様と先代様が儂らの処遇を巡って大喧嘩したと、後で聞いた。

 

 だからこそ、儂らはこの地を故郷と呼ぶ。

 この地と、お屋形様のために生きると誓いを立てた。

 その御恩を、決意を片時も忘れぬよう、姓は名乗らぬ。

 

「……いらないことを聞いてしまったようだね。僕も手当を渡せるよう頑張るから、ステゾウも──死なない程度に頑張ってね」


 やれやれ、やはり、どうにも憎めないお方よ。

 

◆◆◆


帝国暦1014年12月7日夕

フジシマ子爵領領都アスカ

領主屋敷大広間 騎兵連隊長ズルフ・アドー


 馬を馬丁に預けて、大広間に入ると、すでにご同輩で満杯だった。

 厳つい男たちと、石炭ストーブの油臭い独特の匂いに、思わず顔をしかめてしまう。

 

 北の安い石炭とは大違いだな。ツンと来る匂いがしねえ。

 ──どこか懐かしい、しかし今や戻ることの出来ない北の冬が胸に去来する。

 

 おうおう、いるいる。大隊長級以上が勢揃いだ。ライゼンのじじいに、マキシマのおっさん。おや、フブキちゃんもいる。全員そろってるってことは──間違いねぇ、あの熊公の使者の件だ。正規軍二十個大隊に魔導兵と騎兵と来たもんだ。お館様、腹を固めたかな。

 

 この会合の裏を考えながら、卓に置かれた肉饅頭を手に取る。あつあつで湯気をあげる彼女は、冬のこの時期はとても魅力にあふれている。

 

 もしゃもしゃと彼女と親睦を深めていると、ライゼンのジジイに見つかってしまった。

 

「こりゃあ、ズルフ!そんなところで饅頭を食っておらんと、挨拶せんか!」


 ジジイが眉間に皺を寄せてやってきた。声がでかすぎて饅頭が喉に詰まりそうだ。

 

「ほい、ふぁいへんほのぉ……」

「たわけ!口に物を入れたまま喋るでないわ。ただでさえ貴様の帝国語は聞き取りにくいのじゃ。年寄りを労らんか!」


 頭をはたかれた。まったく、じじい、俺は孫じゃねえんだよ。まわりの連中が半笑いなのが余計に癪だ。フブキちゃんも肩を震わせてるし。

 それにしても、どいつもこいつも北から流れて来た敗残兵にお優しいこった。

 ったく、勘違いしそうになるぜ。

 

──だが、そんな穏やかな空気は突如破られた。


「静まれ!お館様がいらっしゃるぞ」


 マキシマのおっさんのどら声が、広間に鳴り響く。

 

 一斉に視線が入り口へと向かう。そこには、お館様──そしてそのすぐ後ろに、アコウ様の姿があった。二人は静かに、一段高い演台へと進んでいく。背筋を伸ばし、堂々とした歩み。威風堂々、まさしくハーンの風格だ。

 ついでに、アコウ様の何を考えているかわからない笑顔も健在だ。

 

 お館様は腕を後ろに組み、周囲を睥睨する。

 一瞬視線が交わり、重ささえ感じる眼差しに絡め取られる。

 

「皆、よく集まってくれた」


 たった一言で、大広間はぴたりと静まる。お館様は言葉を選ぶように、ゆっくりと語り出した。

 

「みなに、知らせねばならぬ事がある。既に耳にした者もおろうが……去る十二月五日、ゴルドシュタイン辺境伯家より使者が来た。内容は──降伏の勧告である」


 ざわ、と微かな空気の揺らぎが広がる。


「これまで俺とアコウはあらゆる手段で牽制と条件交渉を行ってきた。だが、奴らは帝国政府の勧告さえ無視して隷属を迫ってきた」


 とんでもない話だ。北に捨ててきたはずの怒りが、暗い胸の内に湧き上がってくる。

 ──また、奪われるのか。大切なものを。馬を、草原を、仲間を!


「──許容できぬ内容だ。受け入れれば、このアスカに生きる者たちが、飢えて死ぬ道しか残らぬ。故に拒否した。これは実質的な宣戦布告であり、我ら兄弟の努力も、もはや水泡に帰したと言えるだろう」


 ひと呼吸置き、隣に立つアコウ様を一瞥した。アコウ様は小さく頷き、その微笑の裏に確固たる覚悟をのぞかせる。

 

「よって、当家はこれより戦時体制に移行する。目的は明確だ。決戦によってゴルドシュタイン家に痛打を与え、再度交渉の席に引きずり出す。各員は『計画書乙三号』に基づき準備を開始せよ。決戦の時期は──春の窮乏期を予定している」


お館様の声が、静かに、しかし凛として響いた。


「以上だ。皆、励め」

「おうッ!!」


 それは、誰ともなく沸き起こった戦士の咆哮だった。

 饅頭片手に笑っていた連中の姿は、もうなかった。命令一つで黄泉路に向かう戦人の、燃える瞳だけがそこに煌めいていた。

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