第十二話 傲慢②
帝国暦1015年1月10日夜
ゴルドシュタイン辺境伯領領都アライトン
領主邸 アウグスト・デム・ゴルドシュタイン辺境伯
扉が二度、軽く叩かれた。
儂が「入れ」と声をかけてやると、静かに扉が開き、シムスに伴われた道化劇のピエロが喜劇の舞台に上がってきた。
白金の衣装に身を包みながら、だらしなく緩んだ中年男の名は、ウード・エデッサ。爵位は伯爵だ。
卑屈なくせに儂を値踏みするような目をした、腹背定かならぬ寝業師だ。
これでも、寄子どもの中では頭一つ抜けた実力者で、利害調整だけは長けておるので、それなりの使い道はあった。
「エデッサ伯爵様をご案内いたしました」
シムスは一礼して退出する。
エデッサ伯は丸い腹に右手を当て、頭を下げたまま儂の一言を待っているようだ。
「エデッサ伯爵、面(おもて)を上げい」
ウードめは、ゆっくり頭をあげた後、ねっとりと絡むような笑顔を浮かべた。影と欲望を混ぜたヘビのような目線を儂に向けておる。
「エデッサ伯ウード、辺境伯閣下のお招きにより、疾く馳せ参じましてございます」
いつものことながら、芝居がかった男だ。その小芝居の隙で、バーグレーの様子を窺っているのが見て取れる。
何を言いつけられるか、内心揺れているのが手に取るようだ。
儂が顎で示すと、ウードはバーグレーの方に向き直る。 流麗な礼を一つ入れたのち、バーグレーにも挨拶した。
「これはこれは、軍の重鎮たる老将軍閣下。こうしてお目にかかれるのは光栄の至り」
「……」
バーグレーは、無言で一礼したのみだ。やはりウードとは馬が合わぬのだろうな。
ウードもそれに気づいたのであろう。やや鼻白んだ様子を見せた後、居ずまいを正して儂に目線を戻し、儂の言葉を待っておる。
「ウード。お前には機会をくれてやる」
儂はソファに深くもたれ、指を組みながら告げた。
ウードの細い目が更に細くなる。
「来る春に儂はフジシマを討つ。十五日の新年会でそれを寄子どもに知らしめる。貴様は寄子どもをまとめ、先陣を努めよ」
ウードの目が驚愕で見開かれた。
そして、見たことのない商品を見極めようとする商人の如く首を捻っておる。
どうやら、この展開は想定外だったようだな。
「……そのお役目、大変栄誉と存じます。──されど、あまりの重任に、その、少々困惑いたしております」
儂は薄く笑った。
「フジシマの領都『アスカ』を落とした暁には、貴様に『アスカ』を三年間任せよう。徴税権を含めてな。三年限りとはいえ、お前の望むままに振る舞うことを差し許す」
ふふ、顔つきが変わったな。欲望と打算と緊張が入り混じり赤らんでおる。小物らしい顔つきよ。
「なんと……某の身に余る厚遇。千載一遇の好機をお与えいただいたと感激と緊張に震えております。おりますが、──某の力量で務まるのか、疑問がございます」
ふむ、危険と欲望を天秤にかける能力はあったらしい。
「そうか、務まらぬか。致し方ないな。他の者に任せよう。貴様も知っての通り、ズミル鉱山の事故で今年の『取引』はなくなる故、代わりにと思ったのだがな」
ウードの表情が青ざめる。赤くなったり、青くなったりと忙しい男よ。
「あいや、お待ちを!大変失礼いたしました。辺境伯閣下のご厚情を理解できぬとは。このウード、大変な失態でございました。なにとぞ、なにとぞ、ご下命いただきたく!」
何度も鳥のように頭を振ってから、すがりついてくる。よいぞ、貴様は必死に踊れ、儂のためにな。
見事に踊りきったならば、今後も配下として使ってやろう。
「よかろう。ウードよ。新年会で煽れ。フジジマの富を叫び、フジシマの傲慢を非難せよ。そして貴様とともに、東へ向かう者を作り出せ」
ウードから表情が消え、白く塗りつぶされた仮面のようになった。
それは、勝利を約束された将のそれではなく、死地へ赴くピエロの仮面だった。
「将軍、見ておれ。この男が先鞭をつける。あとは誰が続くか──なあ?」
それは、観客席からコロセウムを見下ろす皇帝の声のごとく響いた。
微動だにせぬバーグレーと打ち震えるウードを下がらせる。
誰もいなくなった居室で、儂は思わず、闇のような笑いが漏れるのを抑えきれなかった。
◆◆◆
帝国暦1015年1月10日深夜
ゴルドシュタイン辺境伯領領都アライトン
領主邸客間 ウード・エデッサ伯爵
どのようにして部屋に戻ったのか全く記憶がなかった。
悪夢にうなされたまま、夢遊病者のように彷徨った末に部屋に戻れたようだ。
豪奢なゴブラン織りの天幕がかかるベッドに上着を叩きつけた後、どっかりと腰を落とした。
「ふざけるなよ、成り上がりの熊ごときが……」
思い返すと、目眩がするほどの怒りが身を苛む。盗聴されている危険性も忘れて、恨みごとが口に出るほど、煮えたぎる怒りに心を灼かれていた。
「金だけの男が、偉そうに!俺にあれこれほざくとは!」
分厚いマットに思い切り拳を叩きつける。このマットが奴の澄ました顔なら、どれほど爽快であったことか。
あの場で暴発しなかった自分を褒めてやりたいほどだ。
あやつはここ百年ほどでのし上がった成金に過ぎぬ。西域の盟主だ、辺境伯だとうそぶいているが、元は北からの流れ者だ。物乞い同然の野良犬が、たまたま金鉱を得て権勢を振るっているに過ぎん。本来、名門貴族の当主たる俺に口をきけるような立場ではないのだ。
その賤民あがりが、俺に『アスカ』を落としてこいだと?
全て自分で賄って、他の貴族どもを焚き付け、勝手に戦えだと?
しかも、三年間の徴税権だけで済まそうとするとは。
そもそも、物事があの熊の思い通りに進むと決めつけておるのが、気に食わぬ。
薄ら笑いで人をバカにしながら、自分だけが利口者と増長しておる。
あの嘲るような笑みが、屈辱で歪む様を見たい。阿呆と蔑む相手に、己の筋書きを覆され、取り乱す姿を見てみたい。
「アウグスト、貴様の思惑どおりにはならんぞ」
そのためには、どうすればいい?
あの男を出し抜き、この俺が生き残るには、何をなせばいい?
「そうだ、『アスカ』だ。あの街道の女王を手に入れ、俺が新たな支配者になるのだ」
熊にくれてやる義理など一欠片もないのだ。
俺が、新たなる支配者として君臨するならば、邪魔なのはフジシマ子爵一家だ。
であるならば、戦場で討ち果たすのが最善。
当主の首を槍に掲げて、降伏を迫り、無傷で『アスカ』を我がものとする。
これだ!
フジシマ領を押さえたならば、バーミステラと組む手もあるだろう。
他の貴族たちは戦場で使い潰してしまえば良い。
見ておれよ、アウグスト。
この俺を侮ったことを、骨の髄まで後悔させてやる。
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