第九話 決意①
帝国暦1014年12月5日夜
フジシマ子爵領領都アスカ
領主屋敷 カガセ・フジシマ
明かりが消えた暗い部屋には、暖炉のオレンジ色の炎だけが踊っている。
時折、ぱちりと薪が爆ぜる音以外は静寂に支配されているにもかかわらず、その存在からは重苦しい何かが、音をたてて滲み出しているかのようだ。
闇の中に、炎の色を映して炯々と燃える一対の眼と、それを取り巻いてわだかまる影が浮かぶ。
影は微動だにせず、深い思考に沈んでいた。
領主たるは、領地とそこに住まう領民、その暮らしを守らねばならぬ。
老いも若きも、男も女も、街道を行き交う過客もまた守るべき者たちである。
寒さに震えるならば、太陽となって温めよ。暗き夜に惑うならば、導きの星となって行く手を照らせ。
親父殿からそう繰り返し教えられてきた。
一族は代々そうしてこの地に心と血を注ぎ、根を張り、枝を拡げ、実をつけ、やがて土に帰っていったのだと。
親父殿は、まだ幼かった俺を膝の上に抱え込んで、大きな手のひらで少し乱暴に撫でながら、誇るように、懐かしむように聞かせてくれた。
思えば、親父殿も爺様から同じように扱われたのであろう。
俺も不器用な男ではあるが、長男のソハヤに伝えてきたつもりだ。まあ、ソハヤも親に逆らう時期なのか、素直に聞いてくれなくなっているが。
連綿と続くこの流れの中で、我が一族はこの地に大きく育った守護の大樹であると自負している。この地から切り離されれば己の芯を失い、枯れて朽ち果てる運命であると。
それ故、ゴルドシュタイン家の脅しも、バーミステラ家の誘いも全て退けてきた。
奴らの狙いはこの地とともに歩むことではなく、欲望と妄執に染まっていたのだから。
もし、申し出の中にいくばくかの『誠』があるのならば、と考えたこともある。
だが、俺が誰かに仕えるという光景は、ついぞ思い浮かばなかった。
どうにも融通の効かない性格ではあるらしい。
ついにゴルドシュタイン家は最後通牒を突きつけてきた。
で、あるならば一戦あるのみ。今はそう思い定めている。
なにより、全く勝てない相手ではないという読みがある。
寄子たちを含めた西側全体との兵力比は、およそ一対十。
遠征してくるならば、せいぜいその半分。
こちらが戦場を選択し、迎撃戦に持ち込めばやりようはある。
ちょうど、仕込むのにうってつけの、支流が入り組んだ大河に心当たりがある。
狭い地形に誘い込んで、戦闘正面を限定しつつ、密集したところを魔導で━━。
死地に付き合ってもらう将兵たちには悪いが、俺と一緒に歴史に名を刻むことで手打ちにしてもらいたい。
それに、あいつらと来た日には一緒に連れて行かなければ、へそを曲げて末代まで恨み言を家訓にしかねない、傾いた連中だ。
置き去りにされたと知った時の、犬がすねたような表情を思い浮かべて、つい笑いが漏れてしまった。
その時、穏やかに扉を叩く音がした。
「兄上、僕です」
「アコウか、入れ」
静かにドアを開け、グラスを二つと、何かの瓶をぶら下げた弟がするりと入り込んできた。
「うわ、真っ暗じゃないですか。謎の黒幕気取りですか?」
アコウが暖炉の揺らめく明かりを頼りにテーブルを探り当て、持参した瓶とグラスを置くと、暖炉の火をランプに移し始めた。
ランプに火が灯り、お互いの顔が見えるくらいには明るくなった。
薄明かりに浮かび上がる弟の表情は、昔、一緒にいたずらを画策した時のものだった。アコウもどうやら、やる気らしい。
「アコウ、お前は反対だと思っていたよ。お前が和平工作にどれほど情熱を傾けていたか知っているからな」
実際、弟はこの一ヶ月間、近隣諸公はもとより、帝国議会の有力者、北方の大貴族に至るまであらゆる伝手を辿って、ゴルドシュタイン家との戦を防ごうとしてきた。
それが無に帰すのは、ひどくやるせないことだろう。
「兄上、今でも反対ですよ。死んでできることなど何もありません。命は大事にすると一生使えるんですよ?」
戯言(ざれごと)を口にしながら、テーブルのグラスに瓶の中身を注いでいる。
「お前、それを持ってきたのか。そいつは990年産の最後の一本だぞ」
「いやあ、前から狙っていたんですよ。こんな夜でなければ、開けたら怒られそうだったので」
あまりにちゃっかりした弟に、思わず呆れてしまった。こいつは俺よりよほどの大物に違いない。
酒が注がれたグラスを取り、香りを楽しむ。芳しくも力強い香りが俺を誘う。一気に飲み干した。
「アコウ、俺は勝つ」
俺とは対照的に少しずつ銘酒を味わっていたアコウが目を見開く。
そして、いたずらっぽくにやりと笑った。
「兄上、言い切りましたね。そこまで言い切るからには、何か策がお有りですね。僕もちょっと腹案があるので知恵比べといきませんか」
まったく、この弟は変わらないな。
「いいだろう。このメモにお前の腹案とやらを書け。俺も書くから一緒に答え合わせをしようじゃないか」
メモとペンを手渡すと、アコウは喜々として受け取った。
「おお、なにやら軍記物の名場面のようですね。はい、書きました」
俺も書き入れ、メモを二つに折る。そして、お互いのメモを交換した。
「よし、開くぞ」
開いたメモを見る。
兄弟の絆に心地よさを覚えて、視線を上げると、興奮したようなアコウの視線と絡み合った。
お互い、広げたメモを無言で見せ合う。
『セルナ河』
そこには簡潔に同じ文字が書かれていた。
俺もアコウも思わず笑い出した。
その笑い声はいつまでも響いていた。
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