第八話 策謀③

帝国暦1014年12月5日昼

フジシマ子爵領

ゴルドシュタイン家全権大使 ヨセフ・サックス


 石畳が、丁寧に整備されている。

 

 石畳が丁寧に整備されている。

 それが、フジシマ領に足を踏み入れた最初の印象だった。

 ここ数年の混乱で、街道や町並みの整備が後回しになる領地が多い中、この地の街道には割れた石もなく、我が物顔で生い茂る雑草もない。

 

 人や牛の合間を荷車がのんびり行き交う農村には、やせ細り力なく座り込んでいる農民の姿も見受けられなかった。

 

 のどかだ。本当にそう思う。

 それ故に、心の傷がふたたび開き、止めどない呵責が胸に溢れ出す。

 

 この光景を軍靴で踏みにじるために、私はここへ来たのだから。

 

 辺境伯閣下からの命令は、実に簡潔なものだった。

 曰く、「この通牒を手渡し、フジシマ子爵を挑発せよ。交渉は無用」というものだ。


 通牒の内容を教えていただいたが、奴隷契約としか受け取れない条件であった。正直なところ、これを読んだフジシマ子爵が激昂し、私を切り捨てる恐れすらあった。

 

 家中での私の序列はさほど高いものではない。自分で言うのもなんだが、私は名も通っていない小物だ。

 その小物が全権大使として、屈辱的な通牒を突きつけるのだ。


 これは実質的な宣戦布告であり、通牒を受け入れれば奴隷のような服従を、拒否すれば征伐を意味する。すでに既定路線なのだ。

 

 あまりにも無慈悲。

 

 されど、今のゴルドシュタイン家のあり様を思えば、外に敵を作り、華々しく打ち破ることで寄子たちをまとめ上げ、この豊かな領地を収奪することで経済的に息をつくという方策は、やむを得ないとも言えた。

 荒れ果てた時代を忘れさせるような、牧歌的な街道を東進すると、やがて領都のアスカが見えてくる。

 さすがに『街道の女王』と呼ばれるだけあって、城壁に囲まれた趣き深いその姿が、次第に大きくなる。

 

 城門にいる騎馬武者と歩兵は、おそらく出迎えなのだろうな。

 こちらの馬車に気づいたのか、指揮官と思しき鎧武者が、見事な馬体の芦毛を操って近づいてくる。

 

「ゴルドシュタイン辺境伯家のご使者とお見受けする!某はフジシマ子爵家中政所別当、ライゼン・アキノミヤと申す。委細相違なきや?」


 古色蒼然たる鎧と大音声に、思わず周囲を見回してしまう。本当に自分の出迎えか自信が持てなかったが、かの武者はこちらを注視しているので私に話しかけているのは間違いないのだろう。

 

「ゴルドシュタイン辺境伯家二等書記官、ヨセフ・サックスです。かような身分の者を御出迎えの労、お察し申し上げます」

 

 今の自分にできる精一杯の皮肉を込めてみた。

 アキノミヤと名乗った老人の眉が、少し揺れたような気はする。

 

「ご使者殿、遠路はるばるよう参られた。さっそくだが屋敷にご案内いたすゆえ、参られよ」


 おそらく執事長のことだと思うが、政所別当殿が馬首を返し、城門へと向かう。

 すぐさま街道の左右を兵が固め、城門まで、槍を掲げた軍列が整然と並び立った。

 統制された素早い動きに練度の高さを感じ、じわりと嫌な汗が滲み出す。

 

 私は御者に、騎馬に従って馬車を進めるよう指示を出し、城門やアスカの街並みを観察することに専念する。

 

 無骨ながら機能的な城門をくぐる。空堀に橋、落とし格子に分厚い門扉が見えて、素人目ながら守りの堅牢さが伺えた。

 

 城内に入ると、そこには人の生活そのものが色を纏って沸騰している光景が広がっていた。

 木と石で作られた年季の入った商店の店先には、様々な色合いの垂れ幕が飾られ、その意匠で何を商っているのかが一目で分かる。

 隙間があれば天幕が張られ、その中には赤い果物、青や黄色の野菜が並べられている。そこに客引きや値切りの声と、鼻をくすぐる香辛料の香りが混ざり合って、むせ返るほどの熱気と喧騒を作り出していた。

 

 「生きる」━━そう題された舞台劇が、いきなり目の前で幕を開けたようだった。

 

 規模で比較すれば到底、辺境伯家の商都フロイルには敵わない。噂に聞くバーミステラ家の商都イン=マリにも及ばないだろう。

 だが、この生き生きとした暮らしが、他領にあるだろうか。

 

 私は再び自己の使命の重さが絡みつき、底なし沼に引きずりこまれるのを感じていた。

 

◆◆◆


帝国暦1014年12月5日午後

フジシマ子爵領領都アスカ

領主屋敷 ヨセフ・サックス


 重々しい扉が、鈍い音を立てて開かれた。


 時を刻んだ石床が、靴底の一歩ごとに鈍い音を返す。その一歩ごとに、胸の奥で冷たい針が跳ねるのを感じる。


 フジシマ子爵家の応接間。華美ではないが機能美を宿しており、歴史の積層がにじむ重厚な空間だった。だが不思議と荒々しさはない。場の気が、よく調っている。これが、長き時間を生き抜いてきた一族というものか。


「ヨセフ・サックス殿で相違ないな。歓迎する、と言おう」


 冬の寒さと巌の重さを纏った声の主は、中央の紫檀の肘掛椅子に腰掛けていた。

 

 黒髪と黒衣の男――カガセ・フジシマだ。


 鋭い輪郭と冷ややかな眼差し。だがそれ以上に、存在が重い。単なる軍人の精悍さとは違う。大切なもののために、何度も己を殺してきた者の境地。いくつもの修羅場をくぐったものが持つ凄みなのだろう。

 

 隣には、軽く顎に手を添えてシニカルな笑みを浮かべる青年。弟のアコウだろう。こちらは対照的に、何を考えているか分からぬ気配だ。何食わぬ笑顔の裏で、致命の一刺しを画策していそうな、そんな雰囲気がする。


「はっ……ヨセフ・サックス、ゴルドシュタイン辺境伯家よりの特命大使として、貴家に書状をお届けに参上いたしました」


 咽が乾き、声がかすれる。だが震えを悟られぬよう、言葉を強く押し出す。開戦の口実を整えるためにも、ここで躓くわけにはいかない。


「書状を見よう……いや、その前に、ひとつだけ確かめておきたい」


 カガセの眼が、まっすぐに射抜くように私を見つめる。

 心の奥の、自覚できぬ何かまで見通すような眼差しで。


「そなた自身は、この書状の中身を知っているのか?」


 一拍、呼吸が止まるのを感じた。

 首筋から背中を冷たい汗が伝わる。


「……は。辺境伯閣下より拝聴しております」


「そうか。ならば、話は早い」


 カガセがアコウに目配せする。アコウが柔らかな笑みを浮かべたまま立ち上がった。


「ご案内します、サックス殿。言葉を交わすには、こちらの方が適した場所がございますゆえ」


 連れられたのは、応接間に隣接する控え室――ではなかった。壁一面に地図が貼られ、戦略会議室の趣を持った部屋だった。


 部屋の中央には、帝国全土の地図が精緻に描かれた大卓。そこにピンで打たれた印――それは、まさしくゴルドシュタイン家とその寄子たちの動向を示している。


「……っ」


 思わず息を呑む。

 フジシマ家は、ゴルドシュタイン家に膝を折る気はないのだ。

 私の使命は果たされたことになる━━生きて帰れれば。


「あなたが持参した書状を読むまでもなく、我らには見えているものがございます。が、それでも貴族には形式が必要でしょう。では、これを」


 カガセがアコウから書状を受け取り、ゆっくりと封を解いた。


 読み進めるうちに、目の奥が静かに鋭く光を灯していく。そのカガセの変化を、アコウが横から見つめている。剣と知恵が絡み合って何かを織り上げてゆくような光景。


 やがて、文を置いたカガセは、怒りを押し殺すように吐きだした。


「帝国議会の勧告も北方貴族の仲裁も、全て一顧だにせぬと━━傲慢なその足で全てを踏みつけると、そう言うのだな」

「申し訳、ありません」


 それは、思わず漏れた言葉だった。


「そなたに罪があるとは思わん。だが、この場で斬り捨てられても文句のいえぬ内容と理解しているか?」


 アコウが少し慌てたように、私とカガセの間に割り込んでくれた。


「兄上、帝国法では、使者は不可侵と定められています。殺せば、フジシマは帝国に糾弾されることになります!」


「そうだ。だが、アウグストはその覚悟でこの通牒を寄越したのであろう」


 カガセは言葉を切った。そのまま目を細めて、私を真正面から見据えてきた。死神の鎌が首に触れた気がした。


「一つ、尋ねよう。使者殿――ゴルドシュタイン家は、この領地のことをいかほど存じておられるか?」


 カガセの意図が分からず、思わず黙り込んでしまう。


「民を飢えさせず、この土地に根を張り、街道を守り抜いてきた我らの思いを、本当に知っておられるか?」


 返答ができなかった。途中で見たもの――それがすべてだった。


「そなたらが奪いに来ようとしているのは、金や食料だけではない。祖霊の誇り、民の命だ。五百年に及ぶこの領の血と涙が、金勘定で量れると?」


 言葉が出なかった。


 宣戦を布告しに来た。だがここに来て、こちらが問われている。何を知り、何を奪いに来たのか。それを本当に理解しているのかと。


「……閣下の命にございます。ただ……命に従うのみ……」

「分かっている。では、使者殿」


 カガセは、椅子から立ち上がると、厳かに告げた。


「今一度、そなたの手でこの書状を持ち帰り、アウグストに伝えるがよい。フジシマは屈せぬ、と」


 それは、静かで強い拒絶だった。


 私は、ただただその場に膝をつき、額を床につけた。


「……命、確かにお預かりしました」

「戻れ。そして結末を見届けるがいい」


 その言葉が、胸を焼いた。

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