第二話 予兆②
帝国暦1014年10月12日12:40
フジシマ子爵領トカラ村近郊
フジシマ軍東部防衛大隊 ソウスケ・マキシマ少佐
街道沿いに不穏な砂埃が次第に大きく舞い上がってくる。
風下にあるためか、ざらついた空気が鼻腔を刺激してきた。
思わず顔をしかめる。
昨夜は妻のお手製の握り飯を食べながら、作戦の最終確認をした。
麦と山菜の質素な食事だったが、彼女が心を込めて作ってくれたものだ。
「お帰りをお待ちしています」というか細い声が、今も胸に残っている。
トカラ村に近いこの丘は街道に隣接しており、草木や遮蔽物で偽装された本陣からは敵も味方も程よく見える絶好の場所だった。
俺の大隊は、すでに展開を終えている。丘の陰となって街道からは見えない位置にだ。
敵が丘を回り込むと、凹陣形をとった俺たちの正面に出るって寸法だ。
土嚢と塹壕で簡易的な陣地も築いてある。短時間で築城した割にはなかなか良く出来ている。
「おう、いるいる」
思わず笑ってしまった。相手がここに来てくれたおかげで手の震えが止まる。準備万端で芋泥棒が相手とはいえ、やはり張り詰めていたようだ。 自分じゃ豪胆なつもりだったんだがなぁ。
一族として、もう何年もお館様にお仕えしているのにこの体たらく。合わせる顔がないな。
待つことの不安より、戦うことの方がずっと楽だった。敵がここに寄せてくれたなら勝てる。
とはいえ、お館様から預かった精兵たちだ。虎の子の魔導兵もいる。必ず生きて帰さねば
さて招かれざる客が、のこのことご来店だ。たっぷりもてなしてやらんとな。もちろんお代はたんまり頂戴するがな。
「伝令!魔導第一小隊から第三小隊まで、収束射撃用意。目標、敵中央部。斉射三連。距離二百で発動せよ!」
傍らに控える伝令兵に噛みつくように命令を飛ばす。
伝令兵の若い顔が緊張で固まっている。そういえばこいつ初陣だったか?
「伝令!復唱ォ!」
我に返った若いのが弾かれたように復唱する。
「復唱しまっ!魔導第一小隊から第三小隊、収束射撃用意。目標、敵中央部。斉射三連。距離二百で発動!」
「馬鹿野郎!”しまっ”ってなんだ!行け!」
泡を食って走っていく新兵。あぶねえな。あの女に食われるぞ。お守りつけとくか。
「おいタウロ、一緒に行ってやれ」
近くにいたベテランの従卒に顎をしゃくる。タウロは露骨にやれやれという面をしやがったが、すぐに新兵の後を追いかけていった。
つまらないことをやっている内に敵が近づいてくるのが見える。
あんまり統率が取れていない密集隊形だな。魔導のいい的だ。斉射三連はもったいなかったかな。収束射撃で威力が爆増するのはいいんだが、アレは高くつくからな。
「弓兵第一中隊、第二中隊は敵が乱れたら両翼から連弩で仕掛けろ!直轄歩兵中隊は仕上げに突撃だ。気張れよ!」
「おお!」
中隊長どもから野太いいらえがある。まったく頼もしい奴らだぜ。
この緊張感、たまんねえな。
「敵兵、距離七百」
観測班から短い報告が上がる。
早く、こっちに来やがれ。いい子だ、そのまま、そのまま。
べろり、と舌なめずりする。唇が乾いてひび割れしていた。
チッ!
◆◆◆
帝国暦1014年10月12日13:00
フジシマ子爵領トカラ村近郊
フジシマ軍魔導第一小隊 フブキ・アマクサ中尉
魔導小隊が配置されている中央部からも、敵さんの様子がかすかに見えるようになってきた。
久しぶりの戦場の空気で、頬がピリピリするったらありゃしない。お肌に悪いねェ。
「あんたたち、そろそろお仕事だよ。支度はいいかい?」
木箱に腰掛けて黙々と魔晶球を磨いている女が第二小隊長のスズナ。
床几に座ってのんびりと茶を飲んでいる女が第三小隊長のクレハだ。
「あいあい姉さん。あたしどもはバッチリですよ。魔導杖ちゃんもネットリしごき上げて、びんびんですわ」
相変わらずクレハはふざけた女だ。こんなアマでも腕は確かで収束陣を使える貴重な術士だ。
スズナはスズナで、こっちをちらっと見たあと布を持った右手を挙げるだけで済ませている。横着だねェ。
「クレハ。魔晶球、落っことすんじゃないよ。ちょっとした家が建つんだから」
はぁ。ため息が押さえられない。
何の因果で女どもしか魔導杖を扱えないんだろうねェ。
おかげさまで娘の頃から戦働き。周りの男どもはどいつもこいつもむさっ苦しい。
おまけに収束陣を使うとえらく疲れちまう。
お給金が高いのが救いだけど、割に合わないねェ。
でもねェ、お館様のあの眼。あの瞳に見つめられるとねェ。
うんって言わされちまうのさ。惚れた方の負けなのかね。
塹壕の中で、座って休んでいる女たちの様子を見ていると本陣から走ってくる人影が見える。
――若い兄ちゃんとおっさん?どんな組み合わせだい?
「伝令!でんれー!」
ゼイゼイ息を切らして、まあ、坊やだねェ。後ろのおっさんを見な。呆れてるよ。
「発、司令部。宛、魔導第一から第三小隊指揮官。収束射撃用意。目標、敵中央部。斉射三連。距離二百で発動。以上であります!」
おお、たどたどしいけど言い切れた。偉いねェ。あとで可愛がってやってもいいかねェ。
涼しい顔をしている後ろのおっさんに目配せするとしっかり頷いた。
内容も間違いないか。
「先任小隊長アマクサ中尉了解。二百で収束三連だね」
いいねえ、ちょっとだけ滾ってきた。全員での収束射撃なんて久方ぶり。
「聞いたかい、スズナ、クレハ。二百で真ん中にまとめてぶちかますよ。合図は青黄赤で出すからね。位置に付きな」
「あーい、姉さん」
クレハは湯飲みを置くと、魔導杖を担いでふらふら持ち場に戻って行く。
スズナは磨いていた魔晶球を丁寧に魔導杖にはめ込むと、敬礼だけして走り去る。
さて次はアタシの番だね。
「第一小隊傾聴!休憩は終わりだよ。位置につきな。収束陣での斉射三連だ。拍子を外したら承知しないよ!」
それぞれ好き勝手な返事をしながら動き出す小隊員たち。
緊張していないのはいいことさね。
「アケミ、五百を切ったら百ごとに報告しな。せっかくの蟹眼鏡、無駄にすんじゃないよ」
「はい、姉さん」
測距手のアケミが蟹眼鏡を覗いたまま元気よく答える。
こんなカタツムリの角みたいなおもちゃで、距離が測れるってんだから不思議な話さね。
「あ、姉さん、動き始めた。七百」
おっと、こうしちゃいられないねェ。
「距離五百。速度上がった!え、いきなり突撃?野戦陣地に?」
アケミの戸惑った声が塹壕に反響する。
遠くの空が砂煙に霞み、敵の先頭列が徐々に輪郭を帯びてくる。
「よし……展開するよ」
アタシは深く息を吸い、魔導杖を前に突き出す。脳裏に幾何学紋様の白き回路を描き、それを現実に織り上げていく。 焦げた空気のような魔力の脈動が肌に絡みつき、じっとりと汗が滲む。
祈るように力を、そして命を注ぎ込んでいく。大切な何かが抜けて、体が重くなってくる。
術式展開――。
周囲の空間が低く唸る。私の杖先から放たれた魔力が空中に浮かび、白い幾何紋が拡張し始める。
まるで無数の星図を結び直すように。空気が震え、地面の小石が浮かび上がった。
疲労で足が震える。情けないったら。
「距離三百!」
アケミがこちらを向いた。頷いてやる。
「信号弾、青!」
アケミの杖から放たれた青光が空に上がる。小隊員たちが一斉に魔導杖を掲げる。紋章の中心が煌き、光が集束する――それは、まさに第二の太陽だった。
「信号弾、黄!構え!」
杖先が一斉に紋章に向かう。アタシの心臓が爆発しそうなほど打ち鳴る。光はうねりをあげ、術式が震える。崩壊寸前の結界のような不安定なエネルギーが、今にも暴発しそうに脈打っていた。
「信号弾、赤――撃てッ!」
小隊員の杖から放たれた白の光が、術式に吸い込まれる。刹那、中心点から吹き上がる閃光となって大気そのものを歪ませる。
敵陣の中央が光に呑まれた。
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