勇者が生まれた日

酒とゾンビ/蒸留ロメロ

勇者が生まれた日

「魔王って強かった?」

「そりゃな……魔王だしなぁ」

「ふうん」


 エル兄ちゃんが帰って来た。

 村を出て行った日と同じ服だ。

 僕はエル兄ちゃんと久しぶりに村まで歩いた。

 小高い丘の真ん中を通る掘れたわだちを。


「村の外ってどんなだった?」

「どんなって?」

「楽しいところ? つまんないところ?」

「どうだろうな……そのうち、アユムが自分の目で確かめにいけばいいさ」

「そのうちって?」

「もうすぐだ」


 丘の頂上まで来ると村が見えた。


「父さんと母さんを呼んできてくれないか、兄ちゃんが帰ってきたって。俺はゆっくり歩いて帰るから」

「わかった」


 僕は駆けだした。心も体も軽かった。

 うれしいな。

 兄ちゃんが帰ってきた。





「母さん、兄ちゃん帰ってきた」


 家の戸を開けた。母さんは台所で夕飯の支度をしていた。


「え」

「兄ちゃん。帰ってきた」

「兄ちゃんって……エル?」

「うん、丘にいた。こっち来るって」


 母さんは血相を変え、タオルで手を拭うと表へ出た。

 丘の方を眺めたが、他の民家や森が邪魔をして、先っちょしか見えない。


「ほんとにエルが帰ってきたの?」

「うん」

「どうした」


 父さんが太い丸太を担いで山から戻ってきた。


「あなた、アユムがね、エルが帰ってきたって」

「エルが? そんなわけ……」


 父さんも丘を見た。





 その夜、埠頭のヨシナスさんがうちに来て、母さんと父さんに何か言った。

 埠頭は丘を越えたさきにある港だ。

 僕はそのとき寝室の布団の中にいた。

 扉の隙間から居間の灯りが漏れているのに気づいて、這っていって覗いた。

 玄関前で三人が何か話している。

 声は聞こえなかった。

 そのうち母さんが両手で顔を覆って泣いた。泣き崩れた。

 父さんは母さんの肩に手を置いた。

 しばらく二人は黙って、父さんはヨシナスさんに頷いた。

 ヨシナスさんも頷いて、すると帰っていった。

 帰り際、ヨシナスさんと目が合った気がした。

 ヨシナスさんの口元がすこし、弱々しい笑みを含んだように見えた。





「みんな気味悪がってるわ」

「どうして?」

「あなたよ」

「僕?」

「そう、あなた。あなたが、エル兄が帰ってきたって、嘘を叫びながら村を走りまわるから」

「嘘じゃないよ。昨日エル兄ちゃんと丘を歩いたんだ」


 セレスは小麦色の髪をかき分けながら、ため息をついた。

 彼女はカスケードおじちゃんの子だ。

 僕よりも半年生まれたのが遅いのに偉そうだ。

 でも僕より強い。

 なにしろ彼女は勇者だ。


「あのね、アユム。そういうのは言っちゃ駄目なの」

「どうして?」

「どうしても。みんなが困るの」

「エル兄ちゃんが帰ってくると困るの?」

「そうじゃなくて……とにかく、もう言わないって約束して。わかった?」

「わかんないよ」


 僕がじんわり泣き出すと、セレスは弱った顔をした。





「帰ってくるわけないだろ」


 翌日、その話をカスケードおじちゃんにした。

 カスケードおじちゃんは母さんの同級生で、いつも島の裏手のゴミ山を漁っている。

 お宝を見つけると港の船に乗せて、しばらく沖に出て帰ってこない。

 あぶないからここには来るな、といつも言われる。


「戦争にいくってのはな、もう帰ってこないってことだ」

「でも帰ってきたよ? 昨日一緒に丘のわだちを歩いたんだ」

「大人になれ、アユム。そんなこと言ってたら、怖いとこに連れてかれるぞ」

「怖いとこって?」

「言っちゃいけないことを口にする人がいるとこさ」


 カスケードおじちゃんが手を止めた。

 首から巻いたタオルで汗を拭った。


「なあ、アユム。セレスを守ってやってくれないか」





 波の音がしていた。


「ソカイ?」


 村の人たちが大勢、港に集まって二台の漁船に分かれて乗り込んでく。

 子供も大人も、たくさん荷物を抱えている。


「ソカイって何?」

「疎開は疎開や。そのうちわかる」


 村の大人は言った。


「そのうちって?」

「そのうちは、そのうちや。ほなな、アユムもあとからおいで」

「いつ戻ってくるん?」

「ン?……戦争が終わったらや」

「戦争が終わったら?」

「そう。戦争が終わったら戻ってくる」

「戦争っていつ終わるん?」


 ボートのモーターが動き出した。

 僕の声はかき消された。

 みんな手を振ってた。バイバイって言いながら。





 帰ってくると、言い合ってる声がした。

 家の前でカスケードおじちゃんと母さんが揉めてた。

 僕に気づくと二人は喧嘩をやめた。


「おかえりなさい」

「みんなどっか行っちゃったよ」


 二人は顔を見合わせて、それからまた僕を見た。


「港に行ってたのか」


 カスケードおじちゃんが訊いた。


「うん。戦争が終わったら戻ってくるんだって。ねえ、戦争っていつ終わるの?」

「そのうちよ。お腹すいたでしょ、なかに入りなさい、お昼にしましょ」


 カスケードおじちゃんが離れていく。


「そのうちって?」

「そのうちは、そのうちよ」





「母さん、エル兄ちゃんはどうやって勇者になったの?」

「どうって……リコ婆って人がね、昔この島にいたのよ」

「リコばあ? リコばあがいると、勇者になれるの?」

「違うわよ。リコ婆は予言者なの」

「よげん?」

「島の人みんなの相談役で、みんな占ってもらったんだから。そういう習わしだったの」

「母さんも占ってもらった?」

「もちろん。リコ婆に言われたわ……“生まれてくる子供が、勇者になる”って」


 どこか母さんの声が沈んでいる気がした。


「ああ、だからエル兄ちゃん、勇者なのか」





「リコ婆?」

「母さんが言ってた。昔、この島に予言者がいたって」

「なつかしいな、リコ婆か……」


 カスケードおじちゃんは首に巻いたタオルで汗を拭った。


「おじちゃんもリコ婆知ってるの?」


 僕が訊くと、おじちゃんはしばらく黙った。


「おじちゃん?」

「ん?」

「さっき母さんと何話してたの?」

「まあ、いろいろ、な……大人の話だ」

「ふうん……おじちゃんもリコ婆に占ってもらった?」

「そりゃな。村の連中はみんな占ってもらったからなぁ」

「なんて言われた?」

「俺は……」


 スコップをゴミ山に突き刺すと、おじちゃんはどこか遠くを見た。

 多分海を見てるんだと思う。


「最初の子が、勇者になる……そう言われた」


 僕はそのうち納得した。


「ああ、だからセレスは勇者なのか」





 部屋の窓から月を眺めていたとき、森へ入ってゆくエル兄ちゃんの姿を見つけた。

 僕は家を飛び出して追いかけた。


「エル兄ちゃん?」


 森から少し入った場所に湖がある。

 水面に大きな月が映っている。

 エル兄ちゃんは、その湖の傍に立っていた。


「どこ行ってたの?」


 兄ちゃんの背中は大きい。 


「なんか変なんだ、カスケードおじちゃんとか、みんなエル兄ちゃんが帰ってくるわけないって言うんだよ。帰ってるのにね。セレスには言うなって言われるし」

「ある人に言われたんだ。おまえは勇者じゃないって」

「ええ?」

「勇者はな、恐怖を前にしても、故郷が恋しくても、冒険への好奇心がまさってしまうものなんだ」

「まさってしまう?」

「家に帰りたいって思っても、わくわくして帰れないってことだ……俺は違った。俺はずっと家に帰りたかった。俺には、冒険は向いてなかった」

「でも兄ちゃん、魔王倒したんでしょ?」

「……魔王なぁ……」

「ねえ、魔王ってどんな人?」

「どんな人だろうなぁ……そのうち、アユムが自分の目で確かめにいけばいいさ」

「またそれ……」


 みんな僕をあしらう。


「帰ろ。もう夕飯できて……」


 エル兄ちゃんの姿がなかった。





 父さんがカスケードおじちゃんを殴り飛ばしたところだった。

 母さんが二人を止めようとしている。

 僕に気づくと、父さんはカスケードおじちゃんの服を離した。

 カスケードおじちゃんは僕に気づくと、何も言わずに去っていった。

 父さんも僕を見て、何も言わず家に入った。


「セレスちゃんは? 一緒じゃないの?」


 母さんが僕の方にやってきた。


「剣の稽古があるから遊べないって」

「そう」

「僕も剣の稽古したい。していい?」


 母さんが急に僕を抱きしめた。

 顔が見えなかった。

 でも母さんが泣いているのはわかった。





「それで口の端が切れてたのね」

「父さん、どうしてカスケードおじちゃんを殴ったんだろ」

「放っておけばいいのよ」


 セレスは年上ぶって言った。


「気にならないの?」

「気にしなくていいの、わたしたちは子どもなんだから。それより、剣を構えなさいよ」


 森へやや深く入ったところで、セレスは立ち止まって言った。


「お稽古につき合ってくれるんでしょ?」

「つき合うんじゃないよ、僕が稽古するんだ」

「どういう意味?」

「僕だって勇者になりたいんだ」

「あのねぇ、勇者は遊びじゃないの。わたしは別に、したくてしてるわけじゃないの」

「そうなの?」

「そうよ。わたしだってアユムみたいに遊んでたいわ」

「僕、遊んでないよ?」

「遊んでるじゃない。エル兄が帰ってきたって、嘘ついて走りまわって」

「嘘じゃないよ?」

「嘘よ、どこにエル兄がいるっていうのよ」

「昨日、湖で会ったよ」

「嘘よ、嘘に決まってるわ」

「嘘じゃない」

「嘘よ!」

「嘘じゃなっ──」


 雑木林から音がした。

 僕とセレスは話をやめて振り返った。

 おっきな茶色い動物が、僕たちをじっと覗いていた。


「セレス、見て、ヒグマだ」


 僕はうれしくなって知らせた。

 稽古の成果を見せるときだ。


「セレス?」


 でもセレスの顔が引きつってた。

 ヒグマがこっちへ近づいてくる。


 



 セレスは気を失ってしまった。

 僕は彼女を左肩に担ぎ、空いた右手で倒したヒグマを引きずって村へ戻った。


「あ、みんなー、ヒグマを倒したよ!」


 村の大人やみんなの姿が見えた。

 みんな口をぽかんと開けていた。

 僕はすこし誇らしかった。


「アユ、ム……」


 なのに誰も何も言ってくれない。

 父さんと母さんが家から出てきて僕を見た。


「父さん、母さん。ほら、見てよ、ヒグマだよ」





 夜、家の前にエル兄ちゃんがいた。


「兄ちゃん?」

「腹から真っ二つだったな」


 多分、昼のヒグマのことだと思った。


「見てたの?」


 兄ちゃんは頷いた。


「でもあまり見せびらかさないようにな。村の人たちがびっくりしてしまう」

「わかった。そういえば」


 僕は思い出したことを言った。


「セレスが変だったんだ。ヒグマを前にして、足とか手とか、体が震えてたんだ。それでね、動かなくなったんだよ」

「そうか……アユムは、それが変だと思うのか」

「え?」

「いや、いいんだ。そうだな……確かに変だな、そいつは」

「でしょ。セレス、どうしちゃったんだろう。大丈夫かなぁ」

「アユム」

「ん?」

「もうすぐ迎えが来る」

「むかえ?」

「カルミアに会ったら、伝えてくれないか」

「カルミア?」

「約束を守れなくてごめん、と」

「約束?」

「伝えればわかる」

「その人は、兄ちゃんのなんなの?」

「仲間だ」


 がちゃ、と後ろで戸の開く音がした。


「何してるの、早くご飯食べなさい」

「兄ちゃんと話してたんだ」


 母さんが寂しい顔をして、辺りを見渡した。

 それから弱々しく微笑んだ。

 僕は中へ入って晩御飯を食べた。





 朝起きると、居間の椅子に立派な剣が立てかけてあった。

 僕はそれを手に取って、鞘から少しだけ剣を抜いた。


「兄ちゃんのみたい」

「アユムのだ」


 父さんの声がして振り向いた。

 母さんの姿もあった。


「僕の?」

「ああ。トーリンさんに頼んで鍛えてもらった」


 僕は剣の表面の銀に見惚れた。


「今日、港に勇者教会の人が来るわ」

「今日? 急だね」

「セレスと一緒に、アユムも行きなさい」

「え、僕も?」


 僕は顔を上げた。


「どうして、僕も?」

「勇者になりたいんでしょ?」

「……うん、なりたい。なりたいけど」

「セレスを守ってあげなさい」





 埠頭には父さんと母さん、カスケードおじちゃん、セレスのママとセレスがいた。

 海を眺めていると、ヨシナスさんの漁船が見えた。

 埠頭に船が着くと、知らない人が下りてきた。

 女の人で、貴族みたいだ。

 暗い藍色の燕尾服のようなマントを着ている。

 華やかで、気品があった。


「もしかして、アユムくん?」


 びっくりした。

 女の人が僕の名を呼んだ。


「なんで僕の名前知ってるの?」


 女の人は微笑んだ。


「エルがよく話していた弟さんに、なんだか似ている気がしたの」


 僕はぴんときた。


「もしかして、お姉ちゃんがカルミア?」


 お姉ちゃんの目が少し大きくなった。


「どうして、私の名前を知ってるの?」

「エル兄ちゃんが言ってた」

「エルが?」

「そうだ。兄ちゃんから伝えてくれって言われてたんだった」

 

 女の人は首を傾げた。


「約束を守れなくてごめん……そう伝えてくれって、兄ちゃん言ってた。どういう意味かなぁ?」


 女の人の片目から、涙が流れたのが見えた。


「お姉ちゃん、エル兄ちゃんの仲間? 兄ちゃんなら島にいるよ、会ってく?」


 もう片方の目からも涙が出て、その人はどんどん泣いた。

 顔をごしごし袖で拭った。


「すみません。お伝えしたいことがあります」


 母さんがそう言って、お姉ちゃんと離れた。父さんも着いて行った。

 何か話をしているみたいだった。

 波の音が邪魔でよく聞こえない。

 お姉ちゃんは僕をちらちら見ていた。

 しばらくすると三人は戻ってきた。


「アユム」


 お姉ちゃんが僕の名を呼んだ。

 僕は首を傾げて、見上げた。


「私と一緒に、勇者教会に来てくれる?」

「うん、いいけど……行っていいの?」


 僕は母さんと父さん、それからお姉ちゃんの顔を順に見た。

 みんな微笑んで、頷いた。


「もちろんよ。エルの話を聞かせて」

「むかしリコ婆が言うてた」


 ヨシナスさんの声がした。パイプを吹かしながら海の遠くを眺めていた。


「勇者は、神の世界と通じとる」


「カミの世界?」


 ヨシナスさんは僕を見た。


「勇者は、死んだ人に会えるらしい。未練があって、そのらへんさまよーとる人がよーけおるやろ? そういう人の姿が見えるんやと」

「ふうん。すごいなー、勇者って。エル兄ちゃんも見えるのかなぁ?」

「エルフェレンか、どやろな……アユム、おまえ島でエルを見た言うとったらしいな」

「うん、見たよ。兄ちゃん、帰ってきたんだ」

「今もおるんか?」


 僕は首を振った。


「どっか行った。でも島にはいるよ」

「ほうか。あいつ……戻ってこれたんやなぁ」


 僕はヨシナスさんが泣く姿をはじめてみた。

 大好きなパイプを離して、袖で顔をごしごし拭っていた。

 母さんと父さんも泣いていた。

 それからお姉ちゃんも。


「アユム、前にゴミ山で言ったこと覚えてるか?」


 カスケードおじちゃんだった。


「前?」

「セレスを守ってやってほしいって、お願いしたろ」


 僕は思い出した。


「いつか俺を恨む日がきても、それは関係ない」

「恨む?」

「おまえとセレスは二人だけの……あの子を守ってやってくれ」

「うん」


 僕は頷いた。


「でもセレスは勇者だよ? 僕の助けなんていらないよ」 


 おじちゃんは微笑んで、僕の小指と自分の小指を結んだ。


「約束だぞ」

「……うん。わかった」

「アユム、何してるの、早く乗りなさいよ」


 セレスのたくましい声がした。

 彼女はもう甲板にいた。


「今行くよ」


 しばらくして船が出航した。


 港が遠ざかってゆく。

 父さんと母さん、カスケードおじちゃん、セレスのママが小さくなってゆく。

 船が波で揺れた。

 お姉ちゃんとヨシナスさんが何か話してる。

 セレスがずっとうずくまって泣いてる。


「どうしたの?」

「家に帰りたい……」


 僕はため息をついた。


「ちゃんとお別れすればよかったのに」


 セレスは強がって、カスケードおじちゃんとの別れをいい加減にした。





 セレスとアユムを乗せた船が見えなくなってしばらく後のこと。

 マーリンとグランダルは、港から森の傍の小道を抜けた。

 カスケードやセレスのママと一緒に村へ戻った。


 家の扉を開けると、マーリンは思わず息を止めた。

 リビングテーブルの前に、席に着くエルフェレンの横顔が見えたからだ。


「ただいま……母さん、父さん」


 振り向き、そう言って微笑むと彼の姿は消えた。


 マーリンは膝から崩れ落ちた。

 顔を両手で覆って、肩を揺らして泣いた。

 グランダルは呆気に取られ、しばらくすると口元が笑った。


「おかえり、エル」

 




 港が見えなくなってもセレスは泣いていた。


「あんまり泣きすぎるとまた気を失うよ」


 それでもセレスは泣き止まない。

 

「セレスは勇者でしょ?」


 セレスが上目遣いに睨んできた。

 鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃだ。


「アユムは寂しくないの? パパとママが恋しくないの?」

「え」

「パパとママに会いたいって思わないの?」


 僕は考えた。

 パパとママが恋しいだなんて、考えたこともなかった。


「どうだろう……そのうち、恋しくなるのかなぁ? 僕ね、ずっとエル兄ちゃんに会いたかったんだぁ。でもエル兄ちゃんは帰ってきた」

「まだそんなこと言ってるの」

「寂しくなったら、そのときは島へ一緒に帰ればいいよ。でしょ?」

「……うん」


 なんだか空気が澄んでいる。

 気分がふわふわする。

 新しいことが始まりそうな気がする。


 母さんと父さん、エル兄ちゃんのいる島はもう見えなくなってしまった。

 なのに僕はわくわくしていた。


「あれ?……」


 なのに、なぜだか片目から涙が流れていた。

 拭うと、もう片方からも涙が出た。

 僕は両目とも拭った。


「ねえ、セレス。知ってる?」

「ん?」


 思い出した。

 僕はエル兄ちゃんに教えてもらった言葉をなぞった。


「勇者は故郷が恋しくなっても、冒険への好奇心がまさってしまうものなんだって」

「なに、それ……」


 セレスは鼻声だった。涙をぬぐった。


「家に帰りたいって思っても、わくわくして帰れないんだって」

「エル兄が言ったの?」

「うん」

「そう……でも、それってなんだか寂しい」

「うん……そうだね。そうかもしれない」


 僕もセレスと同じ気持ちだった。


 島にいたときよりも、空が青く、広く見えた。

 空がどんどん広くなってゆく。

 うわ、と思わず声に出した。

 すると僕は笑顔になっていた。


「あ……」


 僕は気づいた。

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