第14話 反抗の飴細工
反抗の飴細工
「伊聡!」
俺が家に入るなり、父は大きな足音を立てて靴も脱いでいない俺を叩く。せめて靴くらい脱がせろよ。
「何でこんなに遅くなった!最近遅いぞ!何か馬鹿なことをしてるんじゃないだろうな!」
「テストで遅くなった」
「馬鹿言うな!テストはもう終わっているだろう!」
「テストの結果で、呼び出されてた」
俺は半事実の事を言う。時間帯が違っただけで、呼び出されたのは事実だ。その言葉に父は疑いの声を出す。
「何?お前まさか、」
「ん」
俺は父の言葉を待たずにファイルを渡す。父は乱暴にそれを取りテストを見て行く。父は全て見た後、信じられないという顔で俺の方を見る。
「お前…」
「全部、100点。で、カンニング疑われて呼ばれた。でもしてなかったから、解放されて帰ってきた」
父はまたテストをマジマジと見る。そこにはバツも三角も無い、正真正銘丸だけのテストがある。
「お前、やればできるじゃないか」
俺はその言葉にカチンとくる。何だよそれ、何一つ俺のこと信じてなかったくせに、こんな時になって手のひら返して、第一声がそれなのか?
一言くらい、褒めてくれよ。
俺は黙って靴を脱ぐと、背中から話しかけられる。
「これだけやったら満足だ、これからも継続するように。そうだな、ご褒美ということで今日はお前の好きな料理にするか。それとも外食にするか?」
「…………ねぇ、父さん」
俺は振り返って父の方を見る。
「俺が好きな料理にするって言ってるけどさ、それ作るのは母さんでしょ?」
「は?何当たり前なこと言ってるんだ。俺に料理なんて作る時間なんて無い」
「じゃあ父さん、俺の好きな料理分かる?」
「お前が好きなのは…」
そこで父の言葉が止まる。
「お前は何でも食べるからな」
「そうだよ!!!」
俺は叫ぶ。父は驚いてようやくテストから目を離して俺の方をまっすぐ見る。
「ねぇ父さん、俺の好きな料理分かる?俺の趣味は?好きな教科は?動物は?音楽は?色は?分かんないよね、ねぇ!!」
俺は大股で父に近づく。こんなに大声をあげる俺は初めてで父は一歩後退りする。
「だって無いんだよ!!!全部全部!!!」
俺はその場に止まって下を向く。
ずっと、ずっと言いたかった。ずっと前から、父に俺の本音を曝け出したかった。今だ。今が、その時だ。
「だって無いんだよ、全部。好きな料理も、趣味も、教科も、何も無いんだよ。料理だっていつも冷たくて、何にも美味しくない。趣味なんてする時間なんて、探す時間なんて無い。好きな教科なんてあるわけない。大嫌いだ、全部全部。勉強なんて、本当は大嫌いなんだよ、父さん」
俺は鼻の奥がツンとして痛いのを堪える。視界が水面のようにゆらゆら揺れていく。
「全部全部、父さんが俺のこと決めたから。俺の人生を、父さんが勝手に全部決めたから!!俺の人生なのに!!!」
俺は涙声で叫ぶ。目の端からしょっぱい水が溢れて頬を伝い、下に落ちて床に複数のシミを作る。溢れ落ちた本音はもう、止められない。
「大嫌いだ!全部全部!!父さんも母さんも!!!」
その瞬間、途轍もない痛みが頭に走る。ぐらりと視界が揺れて俺はその場に倒れ込む。頭を触ると、ぬるりと生温かい赤色の液体が手に付く。
「お前、いつからそんな…!!」
「最初からだよ!!全部最初からだ!!誰が好きなんだよアンタなんて、アンタらなんて!!自分の息子に暴力振るって、それで国を背負って行く?馬鹿言うなよ!!!」
俺は立ち上がって父に初めて反抗する。こんなこと言ったら喧嘩になるなんて分かりきっている。それでも、言いたかった。俺の気持ちを知って欲しかった。
「殴って蹴って、それで満足かよ!?なぁ!!」
俺は拳を作って父を殴る。運動が苦手で何一つ格闘技を習っていない俺でも流石は高校男子、力任せで殴っても結構ダメージが入る。父の堅っ苦しい黒縁の四角い眼鏡は割れて吹っ飛び、父は尻餅をつく。大きな物音と大声を聞いた母が2階から降りてきて俺たちを嗜めようとする。
「何やってるの伊聡!」
「死ね!みんな死ね!!お前らなんか死ねばいいんだ!!お前らなんか死んでも誰も困らない!!お前らは死ぬべき人間なんだ!!!」
俺は父に馬乗りになって殴り続ける。父も俺を殴るが俺は痛みを感じず、防御もしないで父を殴る。防御をする暇があったら少しでも多く殴りを入れたい、そんな一心で取っ組み合いの喧嘩をする。
「伊聡!ねぇどうしたの!?やめてよ!お父さん死んじゃうよ!?」
「五月蝿い!!」
俺は母の手を振り払う。ボロボロと涙が溢れて止まらないし、鼻水も出てきて呼吸が苦しい。
「何で全部全部父さんなんだよ!父さんばっかり!!みんなみんな父さん父さんって、俺なんか全然期待もしないで見てないくせに!!今だって、父さんのことは気にかけるのに俺に対しては何一つ気にかけなかったくせに!!毎日毎日殴られて蹴られてたの見てたくせに!!助けてくれなかったくせに!!!!」
「今更母親ヅラするなよ!!!!!」
俺は血と涙と鼻水でベシャベシャになった顔で、一際大きな声で叫ぶと母は俺から離れて泣き始める。その声も鬱陶しくて余計に拳に力が入る。泣きたいのは俺だ、泣きたかったのは俺だ。ずっとずっと辛かったのにこんなことで泣いて。
「何一つ母親らしいこと、父親らしいこと何にもしてくれなかった!!誕生日も全部勉強で、校外学習も何一つ行けなくて!2人だけで旅行に行って!学費を払う?勉強部屋を改築してあげた?俺がいつ高校に行きたいって言ったかよ!!俺がいつあんな窓一つない密室の部屋を作れって言ったかよ!!ホントは俺は要らないんだろ、そうなんだろ!?なぁ答えろよ!!」
俺はベトベトな手で父の胸ぐらを思い切り掴む。父は殴られて腫れ始めた顔でカスカスな声を出す。
「お前なんてな、ほんとは、要らなかったたんだ、」
その言葉に俺は絶望する。一気に手から力が抜けて、目の前が真っ暗になる。予想していた言葉なのに、知っていた結末なのに、何でこんなに苦しいんだ。苦しくて、虚しくて、どうしようもないんだろうか。魂が抜けてしまったみたいだ。
「後継ぎとして、お前を産んだ。ただ、それは失敗だった。いくら言っても出来ない、しようともしない、お前は、出来損ないだ」
父は呆然としている俺に一気に畳み掛ける。母は父を嗜めるが父の言葉は止まらない。
「お前のほうが、死ぬべき人間だ」
父は俺を突き飛ばしてぐらりと立ち上がる。そして、俺を温度の感じない瞳で見下す。
ああそれだ、その瞳。何度もその瞳に俺は刺されて、殺された。
俺は気づく。ああ、俺はもう、死んでいたんだ。
父に、殺されていたんだ。
「お前は、俺の息子じゃない」
その言葉で俺の心は壊れてしまった。あの時の飴細工の瞳みたいに、パキリと音がして粉々に砕け散ったのがわかった。
俺は心のどこかで期待をしていた。もっと良い点数を取れば、いつかきっと認めてくれると。褒めてくれると、そう信じて生きてきた。だから、全教科100点を取ったこの日、初めて腹を括って話したのだ。
しかし、本音を言ったらこのザマだ。俺らは結局、何も分かり合えなかった。挙げ句の果てに実の親から「要らない」とか、「死ぬべき」とか、そんなことを言われてしまった。本当の血のつながった家族なのに、唯一無二の家族なのに、分かり合えなかったのだ。
「じゃあ、もうアンタの言う事を聞かなくて良いね」
俺は呟く。虚無になった心を抱いて。フラフラと立ち上がって俺はヘラリと笑う。俺にはもう笑うことしか残されてないから。泣くとも、叫ぶことも、反抗することも、全部全部やって無駄だった。
「伊聡、」
「いいよ、もう」
母の声を無視して俺は危ない足つきでフラフラと階段を上がる。俺にはもう何も無い。警察に駆け込んだって父が虐待を揉み消すだけだ。俺には何も出来ない。
俺の人生は、意味の無い虚無だった。
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