再第8話 騎士物語

 全てを飲み込むような黒い火炎を、レオは間一髪で跳び避けた。

 どうにか剣を当てても竜の肌をかすめるだけで、手ごたえはない。

 気力を振り絞り剣を握るが、リュグナーの魔力は収まらなかった。

 黒い煙を噴き上げ、さらに異形の姿で立ちはだかる。

 その吹き抜ける黒い風の中に、レオは気づいた。

 ――これは、リュグナーの意志ではない。

 吸収された元部下たちの、声なき悲鳴だった。

「……そこにいるのか」

 レオは剣を担ぎ、目を閉じる。

 ――レオ、隊長……

 ――命令を、最後まで……

 ――俺たちの記憶……お前に、託す……

 声が、骨が、剣が、魂に触れる。かつて共に戦った兵たちの想いが、死の彼方から還ってきた。

 燃えるように力が集まり、剣に仲間の気配が宿る。刃を走る切れ味と、魂を撫でる温もりがそこにあった。

「……俺はお前たちの誇りを、忘れたことはない」

 黒炎を、輝く剣が切り裂いた。

 その体を流れるのは、かつての部隊を支えた者たちの魂。

「俺の名は――レオ・ヴァレンティア! 騎士として、皆の思いを引き受けた!」

 剣は巨大な光の柱となり、砦ごとリュグナーを断ち切った。一瞬の静寂の後、黒き魂が呻きながら弾ける。

「ぐああああああああ――ッ!」

 爆風。

 リュグナーの全身が黒い霧となり、砦の天井を吹き飛ばした。

 風が抜ける。レオは静かに剣を収め、まだ煙の残る夜空を見上げた。

「終わったか……」

 星に交じり、仲間の魂が一瞬光り、そして消えた。

 砦の大半は吹き飛び、石は割れ、通路は裂けていた。瓦礫の合間を縫って現れたのはセレスだった。

 煤けた黒衣に焦げた杖を手に、それでも足取りはしっかりしている。

「……ご無事でしたか。さすがは私の最高傑作――いえ、“騎士殿”ですね」

 変わらぬ調子で胸を張るセレスに、レオは思わず笑みを漏らした。

「そっちの仕事も終わったようだな」

「当然です。魂は天に、肉体は地に返しました。もう辱められることはありません」

 レオは瓦礫に腰かけ、崩れた天井の夜空を見上げる。

「記録も資料も、全部吹き飛ばしちまった。……これじゃ俺のことも、全部闇の中だな」

「でも、あなたはここにいます。今夜のあなたは、誰よりも輝いていました」

「そうか?」

「ええ。とても。素敵でしたよ」

 レオは肩をすくめ、顔を逸らした。

「証拠も、名簿も、記録も消えた。けど――俺には、“どんな剣を振るえばいいか”が残ってる。それがあるなら……もう一度、騎士をやってもいいのかもしれねえ」

 つぎはぎの体、記憶の抜けた顔。だが、その背はまっすぐだった。

 セレスは一歩前に出て、彼を見上げる。

「それなら……ちょうど良かった」

「ん?」

「私、今回の事件で確信しました。これから“死霊術”を正しく広めなければならないと。その過程で各地を回りますし、敵も増えるでしょうし……」

 彼女は軽く笑って言う。

「――だから、騎士様。私の護衛に付き合ってくださいよ」

 レオは呆れたように息を吐いた。

「俺みたいな女の顔した、つぎはぎ騎士でも?」

「ええ。あなたは“騎士の中の騎士”。魂を見れば、誰よりも誇り高い剣の持ち主です」

 レオは小さく笑った。

「……護衛騎士ってのも、悪くないな。ま、命は高くつくぞ?」

「護衛代は、命の貸し借り分でおあいこということで」

 風が吹いた。二人は歩き出す。

 塔を背に、過去を焼き払った瓦礫を越えて――。

 騎士の歩みが、確かに始まっていた。

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