再第5話 消された騎士たち
宿の夜は静かだった。
酒場の喧騒も徐々に落ち着き、陽が沈んだ後は、客の多くが部屋に引き上げている。残るのは、黙って安酒を舐める一人の男――カイ・ルザルド。
長年の戦場の空気をそのまま纏ったような男だった。無口で、油断がない。だが、どこかに抜けた温もりがある。
レオは、階上の部屋の窓からその姿を見下ろし、深く息を吐いた。
「……セレス。あいつを部屋に誘い出す方法、思いついた」
隣で帳面を見ていたセレスが、ぱちりと瞬きをして振り返った。
「騎士殿が……これは興味深い」
「言うな。言葉にするな。二度と言うな」
「了解しました。記録だけはしておきますね」
♦
酒場の隅、カイの背後の席に、“レオ”がそっと腰を下ろした。今は、“あの身体”――女の姿のまま。剣は背に隠し、声を低く抑え、肩の布をわずかに落として見せる。
「……ご一緒、しても?」
女の声に、カイが視線を向ける。老いた目はまだ鋭く、一瞬の警戒を見せたが、すぐに和らぐ。
「……嬢さん、旅の人かい」
「ええ。ひとりでは心細くて。歩き詰めで熱くなってしまって……」
胸元をはだけさせて微笑んで見せる。
「こんな傷だらけの身体ですが……」
カイの目は分かりやすく動いた。笑顔の奥でレオの奥歯が軋む。
(……こんな、屈辱が……)
だが、目的は果たせた。男は、誘いに応じて席を立った。
♦
静かな部屋の中、カイが上着を脱ごうとした、その瞬間だった。
「カイ・ルザルド」
女の口が、その名を呼ぶ。動きが止まり、空気が張り詰めた。次の瞬間、レオは振り返り、手にしていた鞘付きの剣を腹部へと叩きつけた。
「ぐっ……!」
鈍い音とともにカイが転がり、机が倒れ、ランプの炎が揺れる。
「誰が“座れ”と言った。俺は――騎士レオ・ヴァレンティアだ」
倒れたままのカイが、信じられないものを見るような目で見上げる。
「……嘘、だろ……?」
「本物だ。死んだはずの俺が、生きている。お前が“そうした”んだろう」
足音を響かせ、レオが近づき、カイの襟をつかんで引き起こす。
「俺を、死んだことにして消した。記録から名を消し、戦いの痕跡すら葬った。誰の命令だ。なぜだ。答えろ、カイ」
呻きながらも、カイはわずかに笑った。
「……本当に……お前なのか……」
「答えろッ!」
鞘が床を叩きつけるように鳴った。
「部隊を消してまで、何を守った……!」
隠れていたクローゼットの奥。セレスは珍しく真顔で、その光景を見つめていた。記録帳に、一文だけ走らせる。
『騎士、魂の激昂。自らの羞恥を越え、真実へ踏み込む。』
カイは、倒れた椅子の傍に身を落ち着け、ゆっくりと口を開いた。
「……ああ。……お前は、疎まれていた」
重く、苦い声だった。
「正直すぎて、強すぎて、黙って従うには危なっかしかった。上層部……いや、“今の宰相”になった男にとっては、特に」
「リュグナー・ヴァルテノス」
「……ああ。あいつがまだ戦略局長だった頃の話だ。お前の戦果が目立ちすぎて、“そのままでは上に立たれる”と恐れた。そして、無理のある命令が下された。補給なし、援軍なし。ナクス前線へ――“死ぬまで戦え”って命令だった」
「俺を殺すために、部隊ごと……!」
「それだけじゃない」
カイの声に、自嘲が滲む。
「俺も、加担した。……村に、家族がいる。飢饉の年に、飢えで死にかけた。リュグナーはそこへ“救援”を送ってきた。……代価は、お前を死なせることだった」
レオの拳が震える。
「……裏切りの報酬が、麦と金だったか」
「違う。……俺が裏切ったのは、“自分の誇り”だ」
カイの目が、潤みさえ浮かべていた。
「……お前に、生きて帰ってきてほしくなかった。戻れば、全部に気づくと思ったから……」
言葉を失う室内。沈黙の中で、カイがさらに絞り出すように続けた。
「だがな――あの男は、魂にまで手を伸ばし始めてる」
「……魂?」
その言葉に、隠れていたセレスが身を乗り出す。
「何を知っているのですか?」
カイはため息のように言った。
「お前の部隊が“戦死”として処理された後、あの男はその部隊を継いで、“戦死者管理局”を私兵部隊に変えた。死体の収集、魂の封印、遺族の沈黙……最近じゃ、“魂を抜いて別の兵士に埋め込む”なんて話もある」
レオが一歩、前へ出た。
「……俺が消されたのは、ただの実験だった?」
「そうだ。魂の記録から消す――その試みの、始まりだった」
セレスの目が静かに細められた。
「……魂の意志改竄。それが本当なら、協力者がいるはず。魔術の領域を越えてます」
「いるさ。“屍語の連盟”っていう、禁術を扱う連中と組んでる。そして今、リュグナーが進めてるのが――《フェリクス計画》」
レオは、黙って鞘を拾い上げた。
「だったら、俺が生き返った意味がある」
「何?」
「俺たちを殺したやつが、国そのものを穢してるなら――今度は、俺の剣で終わらせる」
セレスは、微かに笑みを浮かべた。
「ようやく、“あなたの真の目的”が見えてきましたね。騎士殿の魂、やはり美しい」
「うるさい。俺の魂は展示品じゃない」
「ええ、美しくても、戦うための騎士ですから」
そのとき、鋭い足音が廊下を満たした。戦闘に慣れた兵士の気配。レオとセレスは、同時に反応する。
ドン、と扉が蹴り破られた。黒衣の刺客が三人、無言で雪崩れ込んでくる。
「……裏切り者の口を塞ぐ」
狙いは、まだ床にいたカイ。
「させるかっ!」
レオの剣が唸り、戦いが始まった。レオの声と同時に、鞘付きの剣が横一線に振るわれた。
刺客の刃が逸れ、体ごと吹き飛ぶ。壁に叩きつけられ、呻く間もない。
「……っ、騎士……」
もう一人が踏み込んでくる。レオはそれをかわし、膝を低く落として剣の柄で喉元を打ち抜いた。
“この身体は、剣を覚えている”
――戦いは数十秒で終わった。
最後の刺客が逃げようと背を向けたその瞬間、セレスの術式が部屋の床に展開された。
「《縫魂封》」
黒い糸のような魔法が床下から立ち上がり、逃げかけた刺客の足元に絡みつく。バチン、と音を立てて動きが止まり、そのまま床に沈み込むように気を失った。
静寂。
レオが剣を鞘に戻し、乱れた呼吸を整える。セレスが、部屋の奥の影から姿を現した。
「だから言ったでしょ? あなたの身体は、剣を振るうためのものだと」
誇らしげな笑顔を浮かべるセレスに、レオがやや呆れた目を向ける。
「その割には、しっかり奥に隠れてたな」
「私は術師ですから。剣で前に出るのは騎士殿の役目」
「便利な立場だな」
「術師ですから」
セレスは涼しい顔で記録帳を取り出し、刺客の様子を観察しながら言った。
「しかしこの騎士......死体ですよ」
青白い顔を見て呟きながら、彼女の手は無意識に腰の護符を撫でていた。
「……さて、これで確信が持てましたね。“あの男”は既に我々を消そうとしている」
レオはうなずき、足元の倒れた刺客を見下ろす。
「今度は、俺が消しに行く番だ」
レオを嬉しそうに見ながらも、セレスの指先は既に術式を編み始めていた。床に倒れた刺客の一人に、淡い青光が注がれる。
「《魂縫留(リゼメリド)》」
死にかけた魂が、肉体から滑り落ちる寸前で縫い止められる。セレスは媒介の小瓶から骨の粉を撒き、低く詠唱を紡ぐ。
「魂は記憶を曇らせても、噓はつけません。――さあ、見せてもらいましょう」
光の陣が淡く輝き、視界に霧のような靄が立ち込めていく。やがてそれは、映像へと形を変えた。
廃墟の建物。積み上げられた無数の死体。玉座のような椅子に座る、白銀の鎧を纏った男。顔は影に隠れ、声だけが響く。
「……記録を取れ。死体さえ集めればいくらでも増やせるとはいえ、重要なサンプルだ」
黒衣の術者たちが、魂を結晶へと変え、無造作に死体へと押し込んでいく。次々と積まれる棺。そこに納められているのは、戦場で“戦死報告”を受けた騎士たちの遺体。
「《フェリクス兵》計画、次段階へ移行。強い魂、強い肉体ほど、戦闘反応は高い。抵抗? かまわん。魂も、肉体も――割って、組み直せばいい」
冷徹な声が響き、映像は霧散した。
残された静寂の中で、セレスは帳面に記録を書き留めながら呟く。
「粗いですが、確かな証拠になりますね……」
レオは霧の跡を睨みつけ、震える声を押し出した。
「リュグナー……あいつはずっと、俺たちが死ぬのを待っていた。砦で死体を集め……兵器に変えていたんだ」
剣を担ぎ直し、ためらいなくドアを開く。
「ヤツは鼻が利く。首都に報告すれば逃げる。……なら、先に叩くしかない」
セレスは大きく嘆息し、帳面を閉じた。
「……まったく、無茶にもほどがありますよ、騎士殿」
「やめる気はない」
レオは背を向けたまま言う。
「たとえ一人でも行く。……だが、お前も協力しろ。その義理くらいはあるだろう」
短い沈黙のあと、セレスはふっと口元を緩め、法衣の裾を翻した。
「仕方ありませんね。……魂の記録係として、見逃すわけにはいきませんから」
その声は微笑とも溜息ともつかず、しかし確かに――伴走の意思を示していた。
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