再第4話 魂の足跡

 ザラン砦へ向かう馬車の中、車輪の揺れに合わせて板の床が軋む音が響く。

 セレスは脚を組み、膝上の記録帳に魔術符を走らせていた。

「ザラン砦に行っても、騎士の記録が残ってるかどうかは分からんぞ」

 レオが呟くように言う。

「なら、探しましょう」

 セレスはさらりと返した。

「構造的な証拠でも、語り継がれた逸話でも。あなたのような魂が、名もなく埋もれていたなんて、考えにくいですから」

 レオは小さく鼻を鳴らす。

「……この身体で、それを辿るのも妙な話だな。剣を振っても、筋肉が応えてこない。腕が……剣の重さを“覚えていない”」

「ええ、でしょうね。体が違えば、当然です」

 セレスはあっさり肯定する。

「でも、身体よりも魂が“剣の振り方”を覚えているはずです。あなたがドラゴンに挑んだとき、剣は迷いなく振るわれていた」

 レオは目を伏せ、少しだけ表情を動かした。

「……あれは、咄嗟だっただけだ」

「咄嗟であそこまで戦えるのが、“騎士の中の騎士”というものですよ」

「やめろ。そう呼ぶなと言っただろ」

「事実ですから。それに、今のあなたの体――“ただの寄せ集め”じゃないんですよ?」

 セレスは涼しい顔で続ける。

「攻撃速度、可動域、関節の負荷耐性、全部調整済み。量産型の騎士なんて目じゃないほどの高性能仕様です」

「……お前、本当に俺を人間だと思ってないだろ」

「違います。あなたは、魂としての“人間そのもの”です」

 微笑む彼女の顔には、一分の迷いもなかった。

「だからこそ、この器は必要だったんです。誰よりも騎士らしい魂に応えるには、誰よりも整った器でなくては」

「……恥ずかしくないのか、そういうことを平然と」

「ええ。これは誇りですから」

 セレスは記録帳にさらりと書き込んだ。

「“この姿で騎士を名乗るのは恥だ”なんて考えなくていいんです。あなたの魂は、剣を構える姿だけで誰にでも分かります。騎士だと」

 レオは少し黙り込んだ。揺れる窓の外、木立の影が流れていく。

「……お前の言葉は……腹が立つ」

「褒めてるのに?」

「褒め方が嫌味なんだ」

「それは、たぶんあなたが素直じゃないからです」

 にっこりと笑いながら、セレスは記録帳の片隅に書き込む。

「騎士殿:自己評価、低」

「……やっぱりうるさい」

「はいはい、では静かにしてます。でも、“騎士の中の――”」

「言うなっ」

 ザラン砦の石門は、かつてよりも色あせて見えた。砦全体が疲れ果てた老人のように、陽に焼かれた外壁を晒している。

「しかし、ひどいものですね。勝ったにしては……財政難?」

 セレスが砦を見上げて呟いた。

 レオは目を細める。

「勝った……? そんなバカな……」

「ご存じないのですか? 新設部隊が敵の背後を突いて、壊滅させたそうですよ。賠償金はろくに取れなかったようですが」

 壁には無数の修繕跡が残っていた。戦の痕跡は、まだ生々しい。

 レオの表情がわずかに変わる。

 この砦の空気を、彼の肺は一度吸っていた。歩いた廊下、開いた扉、剣を研いだ中庭の風――すべてが、皮膚ではなく魂に染みついている。

 受付は、彼らの申し出にわずかに渋い顔を見せた。

「騎士団の古い記録か……あまり残ってはおりませんが」

「“レオ・ヴァレンティア”という名を探しています」

 セレスが名前を告げると、老兵はしばらく沈黙し、眉を寄せた。

「……聞き覚えがありませんな」

「記録を確認できれば、分かるはずです」

 彼らは、古文書庫へと案内された。

 半ば崩れかけた木製の棚に、革綴じの記録簿が年代順に並んでいる。

 セレスは順に書を抜き、丁寧にめくっていった。

 ――三十年前の戦功記録。

 ――二十年前の配置図。

 ――十五年前の騎士叙任名簿。

 そして。

「……ありませんね」

 最後の一冊を閉じ、セレスが呟く。

「そんな馬鹿な……!」

 レオは記録棚の上段を無言でなぞる。手が覚えている感触を確かめるように、微かに力がこもっていた。

「俺が率いた部隊の記録が……丸ごと抜けている」

「誤記や紛失ではありません。意図的な“整理”です」

 セレスの声が静かに響く。

「“抹消”ですね。遺留品も痕跡も、残さぬようにされた痕跡です」

 レオは、言葉を持たなかった。ただ、目を細める。

「俺は、ここで戦った。確かに……いた。仲間も、部下も」

 その声音には、怒りも悲しみもなかった。ただ、何もかもを失った者だけが持つ静寂があった。

「こういう抹消は、不名誉死刑か、裏切り者に対する処理だ」

「でも、あなたは“戦場で剣を振った”。それだけは、確かなはず」

「……俺が記録にいないなら、俺を知っている誰かがまだいるはずだ」

 その瞬間、馬の蹄が小さく鳴った。外で待機していた馭者が、何かに気づいたのか。

 レオは顔を上げる。

「ここではもう得られない。次へ行こう。……“ナクスの前線”だ。あそこが、俺たちの最期だった」

「戦火と死体と記憶の宝庫ですね。……面白くなってきました」

 セレスが目を細め、記録帳に「存在証明・消去型抹消の疑い」と走り書く。

「お前は、本当に楽しそうだな」

「魂に触れる旅は、私にとって極上の娯楽ですから」

 ナクス前線跡地近くの小さな宿に着いたのは、陽が傾き始めた頃だった。

 一階の酒場には退役兵らしき男たちが集い、陽の高いうちから酒をあおっていた。

「多少話が通じそうな者がいれば、手がかりになるかもしれませんね」

 セレスが店の奥を眺めたそのとき――

「……あれは」

 レオの声が低く落ちた。

 視線の先、カウンター席に肘をつく一人の男。白銀に近い髪、顎に深い割傷。椅子には、使い古した長剣の柄が立てかけられている。

「あいつは……“カイ・ルザルド”」

「お知り合い?」

「かつての副長。……俺の副官だった」

 セレスの瞳が細められる。

「記録の抹消に関与していた可能性もある、と?」

「……あいつは、嘘をつける男じゃない。だが、“何かを守るために黙る”ことはできる」

「では、声をかけましょう」

 そう言って進みかけたセレスの腕を、レオが静かに止めた。

「俺が行く。……俺の過去だ」

 セレスは頷く。

「では私は、三席後ろで観察を。……記録帳、用意しますね」

 小さな笑みとともに、筆と帳面を構える。

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