第8話

 ザラン砦の石門は、かつてよりも色あせて見えた。

「しかし酷いものですね。勝ったにしてもお金が無いのでしょうか?」

 レオは目を丸くした。

「勝った? そんなバカな......」

「ご存知無いのですか? 新設部隊が三日三晩進軍して敵軍の裏を取り壊滅させたとか。賠償金はろくに取れなかったそうですが......」

 城塞の外壁には無数の修繕痕があり、戦の記憶がまだそこに残っているようだった。

 レオは目を細める。

 この砦の空気を、彼の肺は一度吸ったことがある。

 歩いた廊下、手で開けた扉、剣を研いだ中庭の匂い――

 すべてが、皮膚ではなく魂に刻まれていた。

 受付の老兵は、彼らの申し出に驚きこそしなかったが、記録室への案内には渋い顔をした。

「騎士団の古い記録? ……あまり残ってはおりませんが」

「“レオ・ヴァレンティア”という名を探しています」

 セレスが淡々と告げると、老兵は小さく眉を寄せた。

「……その名は……聞き覚えがありませんな」

「記録を見ればわかるはずです」

 老兵は無言のまま、彼らを古文書庫に案内した。

 薄暗い部屋の中に、革綴じの記録簿が年代順に並んでいる。

 セレスは順序立てて閲覧し、必要な巻を取り出して読み進めていく。

 ――30年前の戦功記録。

 ――20年前の配置図。

 ――15年前の騎士叙任名簿。

 そして。

「……ありませんね」

 セレスは最後の一冊を閉じながら呟いた。

「そんなバカな......!?」

「あなたが率いた部隊そのものが、丸ごと記録から抜けています。

 誤記や紛失ではありません。“整理された形で”消されています」

 レオは、何も言わなかった。

 ただ、棚の一番上に並ぶ書物の中を無言で指先でなぞる。

 かつての鎧の感触を思い出すように、肩に力が入っている。

「……俺は、ここで戦った。確かに剣を振った。仲間もいた。部下も、いた」

 その声には、怒りも悲しみもなかった。

 ただ、喪失を既に受け入れている者の静けさがあった。

「“遺留品も痕跡を残さない抹消”は、名誉剥奪や不名誉死刑の際に行われる処理だ。

 ただ通常は罪状が別記録に残されているはずまなんだ……」

「ではあなたたちの部隊は……」

「――死体も何も遺っていない......」

 セレスは一瞬、レオ方を振り返った。

「つまり?」

「部隊丸ごと......何者かに攫われた――」

 言葉を切ったのは、重たい空気ではなく、馬車の車輪音だった。

 外で待機していた馭者が、何かに気づいたのか、微かに馬を引いた音が聞こえる。

 レオは記録室の暗がりを見渡し、声を低くした。

「ここに俺はいなかった。――だが、俺を知る誰かが、まだどこかにいる」

 セレスは頷き、記録帳に「存在証明・消去型抹消の疑い」と記した。

「この砦では、これ以上は得られないようですね。……次は?」

 レオは静かに言った。

「俺の部隊が最後に配置されていた場所――“ナクスの前線”だ。出戻りだよ」

 セレスの目が光る。

「戦火と死体と記憶の宝庫ですね。面白くなってきました」

「お前は本当に楽しそうだな」

「魂に触れる旅は、私にとって極上の娯楽ですので」

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