絡みつく蔦

香久山 ゆみ

絡みつく蔦

「おはよう」

 ピピピ……と鳴り響くスマホのアラームを停止したその指で、彼へのメッセージを打込む。いつものことながらすぐには既読にならないし当然返信もこない。昨夜のメッセージも私の「おやすみ」で終わっている。絵文字くらい返してくれたっていいのに。

 スマホを部屋着のポケットに入れて、朝の仕度に取り掛かる。

 今日、彼は残業の予定がないと言っていたから会えるかもしれない。約束する前に寝落ちしちゃったけど。念入りに肌のケアをしてからメイクする。マスカラもチークもリップも何もかも彼好みに。面倒だけれど、髪もしっかり巻いてセットする。

 そうこうするうちにキッチンで「チン」とトースターが鳴る。コーヒーも沸いたところだ。インスタントのスープに湯を注ぎ、朝食をいただく。最近サラダを食べてない、彼と会わなければ帰りにスーパーへ寄ろう。冷蔵庫の中は肉類中心のラインナップで、葉物は切らしている。「手料理のできる女っていいよな」と言うくせに、彼は野菜をまるで食べないから。出勤まで少し時間があるので洗い物を片付けていたら、スマホが着信する。「おはよ」と彼からのメッセージスタンプが一つ表示されていた。

「今日会える?」って返信しようと思ったけど、できなかった。重い女だと思われたくない。

 メッセージ一つ送るのに悶々と悩んでいたら、慌てて家を出るはめになってしまった。駅まで走るのに、ピンヒールとシフォンスカートでもたつく。ちょうどホームに上がったところで、いつもの電車の扉は閉まり乗り過ごしてしまった。

 はあ。次の電車を待つまでの間に、彼にメッセージを送る。

「今日会える?」

 メークも髪型も服装も、会う準備は万端なのだ。けれど、彼から返信があったのは五時過ぎてからだった。「仕事で会えない」、そっけない一言を私はじっと見つめた。

 うちに帰って、ぼふんとソファに倒れ込む。徒労感。

 寝転がったまま、スマホで彼のSNSを開く。彼はアカウントを教えてくれないから、自力で見つけたものだ。飲み会やバーベキューや映画、最新の更新は本日昼におしゃれカフェで撮ったパスタの写真がアップされている。他愛もない話題ばかり。どれだけスクロールしても私のことは出てこない。まあ、リテラシーが高いといえば、そうなのだろう。

「付き合って一年の記念日なのに」

 記念日への思い入れって、男女差があるものなのだろうか。もうすぐ一年だね、とかさり気なく何度もアピールしたつもりだが、サブリミナル効果はなかったようだ。クッションに顔を埋めると彼の匂いがする。うちに来た時にいつも枕にして寝転んでいるから。さっさとメイクを落せばいいのに、もしかしたら連絡があるかもって思って、結局九時過ぎまで着替えずにいた。彼の勧める自己啓発本を読んでおこうと思ったけれど、三頁も読み進まなかった。

 最近は仕事が忙しいらしく、なかなか彼に会えない。

 そう聞いていた。だから、その日曜日に私は一人で街へ出た。あえて普段彼とは出掛けることのない場所を選んだ。すっぴんに近いメイクで、ジーンズにスニーカー。こんなラフな格好は久々だった。

 なのに、彼に出遭わしてしまった。休日出勤のはずの彼は、私と会う時よりも少し洒落た普段着で、隣に知らない女を連れていた。

 声を掛けるつもりもなかったけれど、立ち尽くす私に彼の方が気付いた。気付いた瞬間、女に向けていただらしない笑顔をふいと引っ込めて、無表情に私から顔を背けた。

 彼から長文のメッセージが来たのは、夕方になってからだった。

 あれは女友達だ、誤解だ、という言い訳を並び立てる。既読スルーしていると、次から次と矢継早にメッセージを受信する。

 私は、彼の連絡先を削除しようと思ったけれど、やめた。

 代わりに彼のSNSを覗きに行く。いつもみたいに観た映画のことでも書き込んでいるかと思ったけれど、さすがに今日は更新されていなかった。

 ピロン、ピロン。

 彼からの着信は止まない。引き留める気ならば、あの時すぐに申し開きをすればよかったのに。ほんと中途半端な男だ。

 さあて、どうしようかな。

 部屋着に着替えて、コンビニで買った惣菜を広げ、缶ビールを空ける。届くメッセージをいちいち既読にした上で放置する。ああでも家まで乗り込んできたら面倒だな。程好い所で適当に返信するか。

 この一年で、彼はどっぷり私に依存している。まさに自分の好みの女で、誰よりも彼に理解を示して、自由にさせてやって、会いたい時に会って、ご飯を食べさせてくれて、モーニングコールまでしてくれる。彼は私にずっぷり依存して、もう私なしでは生きていけない。そんな男が捨てられるのだ。

 彼の狼狽振りはSNSで逐一確認することができるだろう。さてどれくらい楽しませてくれるかな。

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