第5話 終わりなき物語

「よし、全員に飲み物が渡ったわね」

 天草姉が梅昆布茶、天草妹がオレンジジュース、ミッチーがハーブティー、親父がAIでも飲めるデジタルトロピカルジュース、俺には焼肉のタレ。

「ではミッチー、お願いするわ」

 ボケなのかな。これは。焼肉のタレは飲み物じゃないやろ! って突っ込んだ方が良いんかな?

 俺がそう悩んでいる間に、ミッチーがホワイトボードに何かを書き込んでいく。

 ふむ……俺は働くのも嫌いだが、勉強も嫌いだ。要するに、苦労するのが嫌いだ。

「どういうことか俺にも分かりやすく説明してくれよ! 親父!」

「この馬鹿息子が!」

「社長~、これはね、どうして社長が悪い奴らに狙われているのか、悪い奴らの正体がなにか、ってお話だよ」

 天草妹がにこりと笑った刹那、耳をつんざく様な雷鳴が轟いた。

 近くに大きな雷でも落ちたのか、視界が一瞬真っ白に染まった。

 何度か目をしばたたかせている内に、白い視界の中に黒いもやのようなものがポツポツと浮き上がってくる。

 俺は絶句した。

 目が慣れた時、俺はどこまでも続く何もない真っ暗な空間に佇んでいた。

 前後も上下もはっきりとしない。

 視覚がおかしくなったのかと思ったが、そうではないらしい。手を伸ばしても何かに触れる様子はなく、そして何も聞こえない。自分の体を触る。しっかりとした感触がある。体には問題がないのだろう。

 どうしたものかと首を捻っていると、突然目の前に女が一人現れた。

 どこにも光源がないにも関わらず、女の顔はしっかりと見えた。

 どことなく天草姉に似ている。そう感じた直後だ。俺の頭の中には存在しないはずの記憶が蘇っていた。

「う、あっ……なん……」

 酷い頭痛を伴って現れた記憶。俺は膝をついて頭を抱えながら、記憶に向き合う。王を名乗り、神を詐称し、そして、多くの女性たちを利用するだけ利用して捨て去った記憶。

「ち、違う……俺は……! 俺は、俺たちは……小説の登場人物に過ぎないんだ……俺たちはアイツに……あの業人に……!」

 何を言っているのか自分でも分からなかったが、俺の目からは涙が溢れ出している。

「ケイスケ……」

「……お前は……レナ……?」

「ええ……大学の生徒会長をやっている、財閥令嬢のレナよ」

 自嘲するように言って、彼女が俺に手を差し出す。俺は躊躇いながらもその手を取った。

「もういいの、もうすべて終わったのよ」

「終わった……?」

「そう。業人が小説を削除したの」

「……そう、か」

 理由は分からないが、酷く安心する。俺はもう、王を名乗る必要はないのだ。ケーパークだのという気が狂ったレジャー施設を運営することも、電脳空間で人任せバトルに励むこともない。いや、何の話だ? 頭が痛い。

「ふふっ。あなたって本当は馬鹿なのね」

「馬鹿だと?」

「ええ。自分は悪くないと知っていながら、これまでのことを悔いている」

「悔いるさ。そりゃあ。身に覚えはない記憶だけど、あんな醜態を晒していたなんて……。でも待ってくれ。ここは『ぶぶっと一発業人姉妹』の世界だろう? 『なっくり』の世界での記憶や……そもそも君は、『なっくり』の住人だ」

「そうよ。だから言ったでしょう。終わったの。すべてがね。私たちは誰かを楽しませることも、誰かを励ますことも、誰かの希望となることもなく、ただあの惨めな男の慰みものにされて、終わったの」

 言葉が出ない。

 俺たちは終わったのか。何の役にも立たず。

 誰にも読まれることなく、誰の心にも響かない。そんな小説は世にごまんと存在するだろう。だけど、そんな小説を書いた作家自身の糧にはなるものだ。普通なら。業人でないなら。そう。俺たちはまさしく、あいつの慰み者に過ぎなかった訳だ。習作として作家自身に吸収されていく訳でもない。

 しばし絶句していたが、俺はふと思い立った。

「待て。終わったのなら、こうしてレナと話しているのはおかしい。このどこまでも続く虚無空間は物語が終わった証だろう? そこに俺が居るのも、君が居るのもおかしくはないか?」

「そうね……。ここはいわば、物語と物語の狭間。説明するよりも早いでしょうから、見せてあげる。あなたの夢を」

 レナが指を鳴らした途端、俺の脳裏にはまたしても存在しえない記憶がいくつも蘇ってくる。俺は様々に姿を変え、そして、俺が踏みにじってきた女性たちもまた……。

「分かる? 私たちの存在は、物語は、あの業人以外の者の手によって、様々に形を変えながら続いているの。……だから、もう何も悩まなくて良い。悔やまなくて良いの」

「そうか……。俺たちは無駄じゃなかった……あいつに良いように遊ばれるだけの哀れな人形ではなかったのか……」

「ええ。もしかすると、いつか……誰かの心に火を灯す……そんな存在になれるかも知れないわ」

 薄れゆくレナの体を抱きしめる。俺自身も消え始めている。

 やがて俺たちは完全に消えてしまい、この物語は幕を閉じるのだろう。

 いつか……業人の慰みものであった過去が洗い流される日が訪れることを願いながら、俺はいつまでもレナを抱きしめていた。

 そして幕は下りる。

 

 了

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ぶぶっと一発業人姉妹 @zunpe

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